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私は毎年ゴールデンウイークに入ると金魚の泳ぐ水槽を掃除することにしている。室内に据え付けるものとしては比較的大型の水槽である。背後の濾過器の大きさから類推していただければ水槽の大きさも自ずから見当がつこう。金魚といっても、やはり背後の濾過器から容易に見当がつくようにかなり大きい。もう10年も飼っている。
さて、水槽が大型なのはいいが、反面その清掃はひと苦労である。水を抜いて水槽をいったん空にしなければならない。水槽自体が重いので水ごと浴室に運び入れることができない。使う道具は体を流す柄杓一個だけ。水を掻き出すにしても注入するにしても、水槽と浴室の間を数十回は往復しなければならない。加えて水槽の底に砂利を敷いているので、その清掃がこれまたひと苦労。砂利内には一年分の様々なカスやほこりが溜まっているから小分けして丁寧に洗わないときれいにならない。さらに、金魚はそのまま直に水を交換すると死滅する危険がある。そのために予備の水槽が用意してあって、前日から準備をしておく必要がある。具体的には、が、もういいだろう。たかが水槽の清掃といっても、要するになかなかひと苦労ということさえ分かっていただければよい。
面倒なので私は年一回の清掃にとどめているが、理想的には年に4,5回行うといいらしいのである。「水清ければ魚住まず」というが、とんでもない。飼育魚は手を抜けば死んでしまうのである。むろん、エサやりは毎日欠かさず行っている。
こんな風に書くと、世話にうんざり、という風に聞こえるかも知れない。が、実態はその正反対である。こうした種々の世話が必要だからこそ、生き物は楽しいのである。飼い猫のチビがやってきて、私を見上げていった。「おいらが面倒なのかよ、このボケダヌキ」。毎日散歩につれださなければならないという犬の飼い主ならお分かりでしょうが、人間、世話ができる幸せってのもある気がするのである。
(2015年5月2日)
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私は毎年ゴールデンウイークに入ると金魚の泳ぐ水槽を掃除することにしている。室内に据え付けるものとしては比較的大型の水槽である。背後の濾過器の大きさから類推していただければ水槽の大きさも自ずから見当がつこう。金魚といっても、やはり背後の濾過器から容易に見当がつくようにかなり大きい。もう10年も飼っている。
さて、水槽が大型なのはいいが、反面その清掃はひと苦労である。水を抜いて水槽をいったん空にしなければならない。水槽自体が重いので水ごと浴室に運び入れることができない。使う道具は体を流す柄杓一個だけ。水を掻き出すにしても注入するにしても、水槽と浴室の間を数十回は往復しなければならない。加えて水槽の底に砂利を敷いているので、その清掃がこれまたひと苦労。砂利内には一年分の様々なカスやほこりが溜まっているから小分けして丁寧に洗わないときれいにならない。さらに、金魚はそのまま直に水を交換すると死滅する危険がある。そのために予備の水槽が用意してあって、前日から準備をしておく必要がある。具体的には、が、もういいだろう。たかが水槽の清掃といっても、要するになかなかひと苦労ということさえ分かっていただければよい。
面倒なので私は年一回の清掃にとどめているが、理想的には年に4,5回行うといいらしいのである。「水清ければ魚住まず」というが、とんでもない。飼育魚は手を抜けば死んでしまうのである。むろん、エサやりは毎日欠かさず行っている。
こんな風に書くと、世話にうんざり、という風に聞こえるかも知れない。が、実態はその正反対である。こうした種々の世話が必要だからこそ、生き物は楽しいのである。飼い猫のチビがやってきて、私を見上げていった。「おいらが面倒なのかよ、このボケダヌキ」。毎日散歩につれださなければならないという犬の飼い主ならお分かりでしょうが、人間、世話ができる幸せってのもある気がするのである。
(2015年5月2日)