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Channel: 古代史の道
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身の回り

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 三日前の夕方のことである。左眼の手術以来、ほぼ半月ぶりにハンドルを握った。なんとなくおっかなびっくりだったが、ともかく数キロ離れた牛丼の店までテストを兼ねて車を走らせた。この日はこれでハンドル操作は中止した。
 問題は昨日のことである。2カ所のスーパーとホームセンターを駆け回っていつもの駐車場にたどり着いた。手術前は普段行っている何気ない行為である。すっかり当たり前になっていたので、全く生活の一部だった。
 ところが、今回久々にハンドルを握ってみて思い知った。車とはなんて便利なものなんだろう、これである。普段日常的に使っていて、車の便利さはそれなりに理解していたつもりである。なのに、今回あらためて車の便利さを思い知ったのである。身の回りにあってほぼ毎日使っていた車が突如使えなくなる!。これはある意味深刻な事態である。この自分が山村に住んでいることを想像すると、車の存在なしに生活は考えられない。大袈裟にいえば、二本の足をもぎ取られたようなものだ。
 慢性的に気管支炎の気がある私には歩行が厄介である。私にとって、車はたんに便利な道具の一つではない。日常生活を送るのに、なくてはならぬ必需品なのである。
 こういう単純な事実を、つまり、生活必需品であることをあらためて再認識させられたのである。普段日常的に恩恵をこうむっているものはきっと他にもあるに相違ない。家族のある人は家族の存在そのものであるかも知れない。小さなことをいえば、毎日使っている歯ブラシ一本全部なくなってしまったら不便この上ないに相違ない。自分の身の回りにあるあって当たり前、それ故にあらためて気づくことのない存在。そういう存在はきっと少なくないに相違ない。これを契機に日々使用していて、あって当たり前になっているものの大切さを見直してみようと思った次第である。
           (2015年8月31日)
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