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万葉集読解・・・109(1596~1605番歌)

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     万葉集読解・・・109(1596~1605番歌)
1596  妹が家の門田を見むとうち出で来し心もしるく照る月夜かも
      (妹家之 門田乎見跡 打出来之 情毛知久 照月夜鴨)
 題詞に「大伴宿祢家持、娘子(をとめ)の門前にやってきて作った歌」とある。
 「心もしるく」は「やってきた甲斐があって」。「彼女の家の門前に広がる田をみようと家を出てきたところ、その甲斐があってこうこうと照り渡る月夜だった」という歌である。

1597  秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり
      (秋野尓 開流秋芽子 秋風尓 靡流上尓 秋露置有)
 1597~1599番歌の三首は大伴宿祢家持の歌。
 そのままで歌意が取れる平明歌。「秋の野に咲いている秋萩が秋風に靡いていて、その萩に霜が降りている」という歌である。

1598  さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
      (棹壮鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露)
 本歌も前歌同様平明歌。「朝、牡鹿が野辺の秋萩のそばにやってきて立っている。その萩に白玉(真珠)とみまごうばかりに美しい白露がぴっしり付いていた」という歌である。鹿と萩と白露。まるで絵はがきを見ているような歌である。

1599  さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる
      (狭尾壮鹿乃 胸別尓可毛 秋芽子乃 散過鶏類 盛可毛行流)
 歌の主題は「秋萩の散り過ぎにける」である。最初にこの主題を念頭に置いておいて読み返すとすんなり腑に落ちてくる歌である。「胸別けにかも」は「鹿が胸で押し分けて通ったからだろうか」という意味である。つまり、主題を強めるための倒置表現の歌である。「秋萩が散ってしまっている。これは牡鹿が胸で押し分けて通ったからだろうか。それとも、萩が盛りを過ぎているためだろうか」という歌である。
 以上の三首、本歌の左注に「天平十五年癸未年(743年)秋八月、風物を見て」とある。

1600  妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく
      (妻戀尓 鹿鳴山邊之 秋芽子者 露霜寒 盛須疑由君)
 本歌と次歌の二首の作者は内舎人石川朝臣廣成(うどねりいしかはのあそみひろなり)。内舎人(うどねり)は天皇の付き人。
 「寒み」の「み」はしばしば出てくる「~み」で、「~なので」の意。「妻を恋い慕って牡鹿が鳴く山辺の秋萩は露霜の寒さの故で盛りを過ぎて散ってゆく」という歌である。

1601  めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも
      (目頬布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母)
 1584番歌の際、私は、「めづらしき」は「類い希な(特別な)」という意味ではないかと記したが、本歌ははっきりとそういう意味である。「お慕い申し上げているあなた様の家の花ススキ、尾花が出そろう秋が過ぎ去ってゆくのが惜しゅうございます」という歌である。

1602  山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして
      (山妣姑乃 相響左右 妻戀尓 鹿鳴山邊尓 獨耳為手)
 大伴宿祢家持が鹿の鳴くのを聞いて作った歌二首。
 「山彦の相響(とよ)むまで」は「やまびこが響き合うほど激しく」という意味である。「独りのみして」は妻恋いに鳴く一頭の鹿に仮託した作者の思い。「やまびこが響き合うほど激しく妻を求めて鳴く山辺の牡鹿、この私も山辺にたった一人」という歌である。

1603  この頃の朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも
      (頃者之 朝開尓聞者 足日木篦 山呼令響 狭尾壮鹿鳴哭)
 「この頃の」は「ここ数日」というほどの意。「朝明(あさけ)」は「明け方」。「ここ数日、明け方に聞こえてくるのは、山を響かせて激しく鳴く牡鹿の声」という歌である。
 以上の二首、本歌の左注に「天平十五年癸未年(743年)秋八月十六日作」とある。

1604  秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも
      (秋去者 春日山之 黄葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛)
 作者は大原真人今城(おほはらのまひといまき)。故郷の奈良を傷んだ歌。真人(まひと)は古代の八色の姓(やくさのかばね)の最上位に位置づけられた姓、以下、朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)等と続く。
 「秋されば」の「されば」は「夕されば」、「春されば」等でお馴染みの「されば」。「~になると」の意。「秋がやってくると春日の山の美しい黄葉が見られた奈良の都。その都が荒れ果てていくのが惜しい」という歌である。天平十五年(743年)頃は、恭仁京(京都府木津川市、740~743年)や紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市、744~745年)等にめまぐるしく遷都が繰り返された時期。奈良の平城京は放置されていたので、その平城京を傷んだ歌。

1605  高円の野辺の秋萩この頃の暁露に咲きにけむかも
      (高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 暁露尓 開兼可聞)
 作者は大伴宿祢家持。
 高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。「この頃の暁(あかとき)」は
1603番歌の「この頃の朝明」と同意。「高円山の野辺の秋萩はここ数日の露を受けて咲いたであろうか」という歌である。
 秋雑歌は本歌で終了し、次歌から秋相聞歌に入る。
           (2014年9月21日記)
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