巻9~12メニュー へ
そ の 183 へ
万葉集読解・・・182(2964~2982番歌)
2964 かくのみにありける君を衣にあらば下にも着むと我が思へりける
(如是耳 在家流君乎 衣尓有者 下毛将著跡 <吾>念有家留)
寄物陳思(物に寄せて思いを述べる歌)。2964~3100番歌の137首。
「かくのみにありける君を」は「こんな人だと知っていたら」つまり「こんなつれないお方と知っていたら」という意味である。「こんなつれないお方と知っていたら、あの人が着物であって下にしっかりと着込んでおくんだったのにという思いです」という歌である。
そ の 183 へ
万葉集読解・・・182(2964~2982番歌)
2964 かくのみにありける君を衣にあらば下にも着むと我が思へりける
(如是耳 在家流君乎 衣尓有者 下毛将著跡 <吾>念有家留)
寄物陳思(物に寄せて思いを述べる歌)。2964~3100番歌の137首。
「かくのみにありける君を」は「こんな人だと知っていたら」つまり「こんなつれないお方と知っていたら」という意味である。「こんなつれないお方と知っていたら、あの人が着物であって下にしっかりと着込んでおくんだったのにという思いです」という歌である。
2965 橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ
(橡之 袷衣 裏尓為者 吾将強八方 君之不来座)
「橡(つるはみ)の袷(あわせ)の衣」は着物にうとい私にはよく分からない。「橡(つるばみ)の衣(ころも)」は、ドングリの実を煮た汁で染めた着物。黒い色の布だという。召使いなど身分の卑しい人間が着る物とされていた。今風に言えば庶民の着物。袷(あわせ)だが、裏も表も着られるように2枚重ねて作った着物のこと。その着物のように裏に返す「態度の急変」を意味している。「強ひめやも」は「強いて逢って下さいとは言いません」。
「橡(つるばみ)の袷の着物を裏返しに着たかのように、態度が急変したあなた。私は「強いて逢って下さいとは申しません。それにしても長らく逢いに来て下さいませんね」という歌である。
本歌は、相手の態度の急変に怒りつつ逢いに来て欲しい、という女性の微妙な心情を巧みに表現している。秀歌といってよかろう。なお、橡の着物は次次句2968番歌にも詠われている。
(橡之 袷衣 裏尓為者 吾将強八方 君之不来座)
「橡(つるはみ)の袷(あわせ)の衣」は着物にうとい私にはよく分からない。「橡(つるばみ)の衣(ころも)」は、ドングリの実を煮た汁で染めた着物。黒い色の布だという。召使いなど身分の卑しい人間が着る物とされていた。今風に言えば庶民の着物。袷(あわせ)だが、裏も表も着られるように2枚重ねて作った着物のこと。その着物のように裏に返す「態度の急変」を意味している。「強ひめやも」は「強いて逢って下さいとは言いません」。
「橡(つるばみ)の袷の着物を裏返しに着たかのように、態度が急変したあなた。私は「強いて逢って下さいとは申しません。それにしても長らく逢いに来て下さいませんね」という歌である。
本歌は、相手の態度の急変に怒りつつ逢いに来て欲しい、という女性の微妙な心情を巧みに表現している。秀歌といってよかろう。なお、橡の着物は次次句2968番歌にも詠われている。
2966 紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも
(紅 薄染衣 淺尓 相見之人尓 戀比日可聞)
「紅(くれなゐ)の薄染め衣」は「薄く紅に染めた着物」でここまでは比喩。「薄く紅に染めたうす桃色の着物のように浅い気持で逢っただけの人だったのに、しきりに恋しいこのごろです」という歌である。
(紅 薄染衣 淺尓 相見之人尓 戀比日可聞)
「紅(くれなゐ)の薄染め衣」は「薄く紅に染めた着物」でここまでは比喩。「薄く紅に染めたうす桃色の着物のように浅い気持で逢っただけの人だったのに、しきりに恋しいこのごろです」という歌である。
2967 年の経ば見つつ偲へと妹が言ひし衣の縫目見れば悲しも
(年之經者 見管偲登 妹之言思 衣乃<縫>目 見者哀裳)
状況がいまいち分からない歌である。「年の経ば見つつ偲へと」とあの子が言ったというのだが、「何年か経ったら、見て私を偲んで下さい」というのは作者が長い旅立ちをするに当たっての言葉か、あるいはあの子が何らかの事情(たとえば病に伏して死別)に見舞われて逢えなくなった時の歌か。判然としない。結句に「見れば悲しも」とあるので私は後者に解したい。「何年か経ったら、縫目を見て私を偲んで下さい、と言ったっけ。もうあの子はいないが、着物の縫目を見ると悲しくてたまらない」という歌である。
(年之經者 見管偲登 妹之言思 衣乃<縫>目 見者哀裳)
状況がいまいち分からない歌である。「年の経ば見つつ偲へと」とあの子が言ったというのだが、「何年か経ったら、見て私を偲んで下さい」というのは作者が長い旅立ちをするに当たっての言葉か、あるいはあの子が何らかの事情(たとえば病に伏して死別)に見舞われて逢えなくなった時の歌か。判然としない。結句に「見れば悲しも」とあるので私は後者に解したい。「何年か経ったら、縫目を見て私を偲んで下さい、と言ったっけ。もうあの子はいないが、着物の縫目を見ると悲しくてたまらない」という歌である。
2968 橡の一重の衣うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも
(橡之 一重衣 裏毛無 将有兒故 戀渡可聞)
「橡(つるはみ)の」は前々歌参照。各書とも「あの子は私のことは何とも思っていない」と解釈しているが、妙である。原文「裏毛無」は{うら(心)もなく」ではなく文字通り「裏もなく」だ。そして原文「将有兒故」は「まさにそんな子ゆえ」だ。「橡の裏のない一重の着物のように裏表のない子だからこそ、私は恋続けているのかも」という歌である。
(橡之 一重衣 裏毛無 将有兒故 戀渡可聞)
「橡(つるはみ)の」は前々歌参照。各書とも「あの子は私のことは何とも思っていない」と解釈しているが、妙である。原文「裏毛無」は{うら(心)もなく」ではなく文字通り「裏もなく」だ。そして原文「将有兒故」は「まさにそんな子ゆえ」だ。「橡の裏のない一重の着物のように裏表のない子だからこそ、私は恋続けているのかも」という歌である。
2969 解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし
(解衣之 念乱而 雖戀 何之故其跡 問人毛無)
「解(と)き衣(きぬ)の」は「脱ぎ捨てた着物の」という意味。「脱ぎ捨てた着物のように思い乱れて恋しているが、なぜ思い乱れてと問いかける人もいない」という歌である。
(解衣之 念乱而 雖戀 何之故其跡 問人毛無)
「解(と)き衣(きぬ)の」は「脱ぎ捨てた着物の」という意味。「脱ぎ捨てた着物のように思い乱れて恋しているが、なぜ思い乱れてと問いかける人もいない」という歌である。
2970 桃染めの浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
(桃花褐 淺等乃衣 淺尓 念而妹尓 将相物香裳)
「桃染めの浅らの衣(ころも)」までは「浅らかに」を導く序歌。「逢はむものかも」は「逢うことなどあろうか」という反語表現。「桃色に染めた薄色の着物。その浅い気持で私が彼女に逢うことなどあろうか」という歌である。
(桃花褐 淺等乃衣 淺尓 念而妹尓 将相物香裳)
「桃染めの浅らの衣(ころも)」までは「浅らかに」を導く序歌。「逢はむものかも」は「逢うことなどあろうか」という反語表現。「桃色に染めた薄色の着物。その浅い気持で私が彼女に逢うことなどあろうか」という歌である。
2971 大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも
(大王之 塩焼海部乃 藤衣 穢者雖為 弥希将見毛)
「大君(おほきみ)の」は原文に「大王之」とあるように天皇のこと。「藤衣(ふじごろも)」は藤の繊維で作った着物で、粗末なものであったらしい。ここまでは「なれ」を導く序歌。「いやめづらしも」は「ますます可愛い」という意味である。「大君(おほきみ)のお召しになる塩を焼く海女が着ている藤衣のようによれよれになってすっかりなじんだ彼女だけど、それでもますます可愛い」という歌である。
(大王之 塩焼海部乃 藤衣 穢者雖為 弥希将見毛)
「大君(おほきみ)の」は原文に「大王之」とあるように天皇のこと。「藤衣(ふじごろも)」は藤の繊維で作った着物で、粗末なものであったらしい。ここまでは「なれ」を導く序歌。「いやめづらしも」は「ますます可愛い」という意味である。「大君(おほきみ)のお召しになる塩を焼く海女が着ている藤衣のようによれよれになってすっかりなじんだ彼女だけど、それでもますます可愛い」という歌である。
2972 赤絹の純裏の衣長く欲り我が思ふ君が見えぬころかも
(赤帛之 純裏衣 長欲 我念君之 不所見比者鴨)
「純裏(ひつら)の衣」の「純裏」は「すべて一続きの」でここまで長くを導く序歌。「見えぬころかも」は原文に「不所見~」とあるように、「逢いに来てくれない」という意味である。「赤い絹のすべて一続きの布のように、末長くありたいと思っているあの方がなかなか来て下さらない」という歌である。
(赤帛之 純裏衣 長欲 我念君之 不所見比者鴨)
「純裏(ひつら)の衣」の「純裏」は「すべて一続きの」でここまで長くを導く序歌。「見えぬころかも」は原文に「不所見~」とあるように、「逢いに来てくれない」という意味である。「赤い絹のすべて一続きの布のように、末長くありたいと思っているあの方がなかなか来て下さらない」という歌である。
2973 真玉つくをちこち兼ねて結びつる我が下紐の解くる日あらめや
(真玉就 越乞兼而 結鶴 言下紐之 所解日有米也)
「真玉(またま)つく」は枕詞。全万葉集歌中4例ある。「をちこち兼ねて結びつる」は「紐に通した玉のように遠くの玉も近くの玉も結びあった」という意味で、紐を導く序歌。「解くる日あらめや」は反語表現。「紐に通した玉のように遠くの玉も近くの玉も結びあった、その下紐が解ける日があるだろうか」という歌である。
(真玉就 越乞兼而 結鶴 言下紐之 所解日有米也)
「真玉(またま)つく」は枕詞。全万葉集歌中4例ある。「をちこち兼ねて結びつる」は「紐に通した玉のように遠くの玉も近くの玉も結びあった」という意味で、紐を導く序歌。「解くる日あらめや」は反語表現。「紐に通した玉のように遠くの玉も近くの玉も結びあった、その下紐が解ける日があるだろうか」という歌である。
2974 紫の帯の結びも解きもみずもとなや妹に恋ひわたりなむ
(紫 帶之結毛 解毛不見 本名也妹尓 戀度南)
「紫の帯」は「紫染めの帯」のことだが、紫は高貴な色とされていた。「もとなや」は「心もとなく」ないしは「しきりに」という意味。「彼女が結んでいる紫染めの帯を解く機会もなく、しきりに彼女に恋続けている」という歌である。
(紫 帶之結毛 解毛不見 本名也妹尓 戀度南)
「紫の帯」は「紫染めの帯」のことだが、紫は高貴な色とされていた。「もとなや」は「心もとなく」ないしは「しきりに」という意味。「彼女が結んでいる紫染めの帯を解く機会もなく、しきりに彼女に恋続けている」という歌である。
2975 高麗錦紐の結びも解き放けず斎ひて待てど験なきかも
(高麗錦 紐之結毛 解不放 齊而待杼 驗無可聞)
「高麗錦(こまにしき)の紐」は朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。「斎(いは)ひて」は「身を慎んで祈る」という意味である。「験(しるし)なきかも」は「霊験なし」すなわち「効果がない」という意味。「高麗錦(こまにしき)の紐の結びも固く結んで解かず、身を慎んでおいでになるのを待っている。けれどもその甲斐がありませんね」という歌である。
(高麗錦 紐之結毛 解不放 齊而待杼 驗無可聞)
「高麗錦(こまにしき)の紐」は朝鮮半島から伝わってきた華麗な紐のことである。「斎(いは)ひて」は「身を慎んで祈る」という意味である。「験(しるし)なきかも」は「霊験なし」すなわち「効果がない」という意味。「高麗錦(こまにしき)の紐の結びも固く結んで解かず、身を慎んでおいでになるのを待っている。けれどもその甲斐がありませんね」という歌である。
2976 紫の我が下紐の色に出でず恋ひかも痩せむ逢ふよしをなみ
(紫 我下紐乃 色尓不出 戀可毛将痩 相因乎無見)
「紫~下紐」は前々歌の「紫の帯」を参照。「色に出でず」は「表面に出さず」、下紐は隠れていて、表面に見えない。「逢ふよしをなみ」の末尾の「み」は「~ので」の「み」、すなわち「逢う機会もないので」という意味である。「紫染めの隠れた下紐のように、決して表には出しませんが、恋する苦しさにやせ細るばかりです。お逢いする機会もないままに」という歌である。
(紫 我下紐乃 色尓不出 戀可毛将痩 相因乎無見)
「紫~下紐」は前々歌の「紫の帯」を参照。「色に出でず」は「表面に出さず」、下紐は隠れていて、表面に見えない。「逢ふよしをなみ」の末尾の「み」は「~ので」の「み」、すなわち「逢う機会もないので」という意味である。「紫染めの隠れた下紐のように、決して表には出しませんが、恋する苦しさにやせ細るばかりです。お逢いする機会もないままに」という歌である。
2977 何ゆゑか思はずあらむ紐の緒の心に入りて恋しきものを
(何故可 不思将有 紐緒之 心尓入而 戀布物乎)
「何ゆゑか思はずあらむ」は「どうして思わずにいられよう」である。「紐の緒の」は「紐の緒が」と主格用法。「どうして思わずにいられよう。紐の緒がしっかり心に食い込むように、あの人が恋しくてたまらないのに」という歌である。
(何故可 不思将有 紐緒之 心尓入而 戀布物乎)
「何ゆゑか思はずあらむ」は「どうして思わずにいられよう」である。「紐の緒の」は「紐の緒が」と主格用法。「どうして思わずにいられよう。紐の緒がしっかり心に食い込むように、あの人が恋しくてたまらないのに」という歌である。
2978 まそ鏡見ませ我が背子我が形見持たらむ時に逢はざらめやも
(真十鏡 見座吾背子 吾形見 将持辰尓 将不相哉)
「まそ鏡」は白銅製の鏡。しばしば枕詞として使用されている。「逢はざらめやも」は反語表現。「もう逢えないなんてことがありましょうか」と「鏡を私だと思っていて下されば逢っていないなんてことがありましょうか」と二様に取れる。ここでは鏡をお守りとみて前者に解しておきたい。「この鏡をごらん下さい、あなた。これを私の形見だと思って持っていらっしゃればもう逢えないなんてことがありましょうか、きっと逢えますもの」という歌である。
(真十鏡 見座吾背子 吾形見 将持辰尓 将不相哉)
「まそ鏡」は白銅製の鏡。しばしば枕詞として使用されている。「逢はざらめやも」は反語表現。「もう逢えないなんてことがありましょうか」と「鏡を私だと思っていて下されば逢っていないなんてことがありましょうか」と二様に取れる。ここでは鏡をお守りとみて前者に解しておきたい。「この鏡をごらん下さい、あなた。これを私の形見だと思って持っていらっしゃればもう逢えないなんてことがありましょうか、きっと逢えますもの」という歌である。
2979 まそ鏡直目に君を見てばこそ命に向ふ我が恋やまめ
(真十鏡 直目尓君乎 見者許増 命對 吾戀止目)
「まそ鏡」前歌参照。似た歌に678番歌がある。「直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ」という歌である。この例から「命に向ふ」は「命がけの」という意味と分かる。「鏡に向かうように、直接あなたにお逢いしてこそ命がけの私の恋も静まるでしょう」という歌である。
(真十鏡 直目尓君乎 見者許増 命對 吾戀止目)
「まそ鏡」前歌参照。似た歌に678番歌がある。「直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ」という歌である。この例から「命に向ふ」は「命がけの」という意味と分かる。「鏡に向かうように、直接あなたにお逢いしてこそ命がけの私の恋も静まるでしょう」という歌である。
2980 まそ鏡見飽かぬ妹に逢はずして月の経ゆけば生けりともなし
(犬馬鏡 見不飽妹尓 不相而 月之經去者 生友名師)
「まそ鏡」2978番歌参照。ここでは枕詞用法。特に読解を要する用語もないが、結句の「生けりともなし」はもちろん相手の妹(彼女)のことではなく、作者自身の心情。「見ても見ても飽きない彼女に逢わないまま月が経ってゆくので生きた心地がしない」という歌である。
(犬馬鏡 見不飽妹尓 不相而 月之經去者 生友名師)
「まそ鏡」2978番歌参照。ここでは枕詞用法。特に読解を要する用語もないが、結句の「生けりともなし」はもちろん相手の妹(彼女)のことではなく、作者自身の心情。「見ても見ても飽きない彼女に逢わないまま月が経ってゆくので生きた心地がしない」という歌である。
2981 祝部らが斎ふみもろのまそ鏡懸けて偲ひつ逢ふ人ごとに
(祝部等之 齊三諸乃 犬馬鏡 懸而偲 相人毎)
「まそ鏡」2978番歌参照。「祝部(はふり)ら」は「神官たち」、「斎(いは)ふ」は「あがめまつる」という意味である。「みもろ」は「神社」のこと。「~まそ鏡」までは「懸けて」を導く序歌。「神官たちは鏡をあがめまつり、神木に懸ける、そのように私は道行く人に声をかけては彼女を偲んでいます」という歌である。
(祝部等之 齊三諸乃 犬馬鏡 懸而偲 相人毎)
「まそ鏡」2978番歌参照。「祝部(はふり)ら」は「神官たち」、「斎(いは)ふ」は「あがめまつる」という意味である。「みもろ」は「神社」のこと。「~まそ鏡」までは「懸けて」を導く序歌。「神官たちは鏡をあがめまつり、神木に懸ける、そのように私は道行く人に声をかけては彼女を偲んでいます」という歌である。
2982 針はあれど妹しなければ付けめやと我れを悩まし絶ゆる紐の緒
(針者有杼 妹之無者 将著哉跡 吾乎令煩 絶紐之緒)
そのまま分かる平明歌。「針と糸はあるのだが、彼女がいないので縫いつけられるものかとばかりに、ちぎれては私を悩ます紐の緒」という歌である。
(2015年10月29日記)
![イメージ 1]()
(針者有杼 妹之無者 将著哉跡 吾乎令煩 絶紐之緒)
そのまま分かる平明歌。「針と糸はあるのだが、彼女がいないので縫いつけられるものかとばかりに、ちぎれては私を悩ます紐の緒」という歌である。
(2015年10月29日記)