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万葉集読解・・・183(2983~2999)

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     万葉集読解・・・183(2983~2999)
2983  高麗剣我が心から外のみに見つつや君を恋ひわたりなむ
      (高麗劔 己之景迹故 外耳 見乍哉君乎 戀渡奈牟)
 「高麗剣(こまつるぎ)」は「岩波大系本」によると朝鮮語で「ナ」といい、古くは一人称を「な」といった例があり、「我が心」は「なが心」だという。通常「な」は汝。君を指す。なので朝鮮語を持ち出してのこの説明自体いかにも強引。加えて「高麗剣」はもう一例あって199番長歌に「高麗剣和射見が原の」とまごうかたなく「わ」に続けている。枕詞(?)といわざるを得ない。「外(よそ)のみに」の解も歌意から見て不審。各書は全体の歌意を次のように訳出している。
 1:「私の性分で、あなたをただ、はたから見ているだけで、心から恋いつずけることでしょう」(「岩波大系本」)
 2:「われと我が心から、いとしいあの方なのに、遠目にお見かけするだけで、ずっと恋いつづけることになるであろうか」(「伊藤本」)
 3:「わが心のゆえに外からだけ見ながら、恋い続けるのだろうか」(「中西本」)
 以上、多少のニュアンスの差はあるが、要するに3書とも「遠目に見ているだけなのでしょうか」と解している。そういう相手なら歌にするだろうか。少なくとも甚だ気が弱い作者としか写らない。歌は「~外(よそ)のみに見つつや」で切れている。ここは「ただ遠目に見ているだけでいいのだろうか」という意味ではなかろうか。「心からお慕いしているあの方をただ遠目に見ているだけでいいのだろうか。ただじっと恋い続けるしかないのだろうか」という歌である。「あわよくば逢えないものだろうか」という積極的な心情を詠っていると思われるのである。

2984  剣大刀名の惜しけくも我れはなしこのころの間の恋の繁きに
      (劔大刀 名之惜毛 吾者無 比来之間 戀之繁尓)
 上3句は616番歌の「剣太刀名の惜しけくも我れはなし~」に全く同じである。「剣大刀(つるぎたち)」は枕詞と考えると実質は第2句以降。「このころの間(ま)の」の「間」は「恋心と恋心の間」すなわち「しきりに」という意味である。「私の名など惜しくない。ただしきりに君が恋しくて」という歌である。

2985  梓弓末はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを(一本歌日 あづさゆみ末のたづきは知らねども心は君によりにしものを)
      (梓弓 末者師不知 雖然 真坂者君尓 縁西物乎 (一本歌曰 梓弓 末乃多頭吉波 雖不知 心者君尓 因之物乎))
 「梓弓((あづさゆみ)」は枕詞ないし弓の縁語で末を導く。「末(すゑ)はし」の「し」は強調。「まさかは」は「今現実は」という意味。「未来のことは分かりませんが、今現実はあなたに心が寄っています」という歌である。
 異伝歌の「末のたづきは」は「弓の先端と握る手元」で、要するに「近くも遠い未来も」である。「先のことはわかりませんが、今の私の心はあなたに寄っています」という歌で、ほぼ同意。

2986   梓弓引きみ緩へみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
      (梓弓 引見緩見 思見而 既心齒 因尓思物乎)
 梓弓は前歌参照。「引きみ緩へみ」は弓にたとえた言い方。「弓を引いたり緩めたりするように思いあぐねていますが、わが心はすでにあなたの方に寄っています」という歌である。

2987  梓弓引きて緩へぬ大夫や恋といふものを忍びかねてむ
      (梓弓 引而不緩 大夫哉 戀云物乎 忍不得牟)
 梓弓は2985番歌参照。「引きて緩へぬ」は原文に「引而不緩」とあるように「引いたまま緩めない」の意。「弓を引き絞ったまま緩めない剛毅な大夫(ますらを=男子)たるものも、恋にかかってしまうと耐えかねません」という歌である。

2988  梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやめむ
      (梓弓 末中一伏三起 不通有之 君者會奴 嗟羽将息)
 梓弓は2985番歌参照。訓だけ見て通り過ぎれば何でもない。「末中一伏三起(原文)」をなぜ「末の中ごろ」と読めるのかだが、朝鮮のサイコロ遊びで、一枚が裏、三枚が表の状態を「ころ」ということから「一伏三起」を「ころ」と読ませたようだ。弓の先端と手元の間がたわむ状態になるので、「淀めりし」といっている。読みに手間取るのは本意ではないので先を急ぐ。要は逢わなかったという意味。
 「弓の先から手元までのように淀んで(しばらく逢えませんでしたが)やっとあなたに逢えましたもの。もう嘆くのはやめます」という歌である。

2989  今さらに何をか思はむ梓弓引きみ緩へみ寄りにしものを
      (今更 何壮鹿将念 梓弓 引見縦見 縁西鬼乎)
 「梓弓引きみ緩へみ」は2986番歌に出てきたので参照。「今さら何をあれこれ思いましょう。弓を引いたり緩めたりするようにしている内に、私の心はあなたに寄ってしまいましたのに」という歌である。

2990  娘子らが績み麻のたたり打ち麻懸け績む時なしに恋ひわたるかも
      ((女+感)嬬等之 續麻之多田有 打麻懸 續時無<三> 戀度鴨)
 「績(う)み麻のたたり」は「麻を紡ぐときに糸がもつれないようにかける器具」。「打ち麻懸け」はむろん「打った麻をたたりにかけること」。ここまでうむ時を導く序歌。「娘子らが麻を紡ぐ時に使う打った麻をたたりにかける、その績(う)むように、倦むこともなく恋い続けています」という歌である。

2991  たらちねの母が飼ふ蚕の繭隠りいぶせくもあるか妹に逢はずして
      (垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘ろ荒鹿 異母二不相而)
 「たらちねの」はおなじみの枕詞。「~繭隠り」までは比喩。「いぶせく」は「気が重い」、「気がふさぐ」等々。「母が飼っている繭が繭隠(まゆごも)りしたかのように、彼女に逢えないままだとなんと気がふさぐことだろう」という歌である。

2992  玉たすき懸けねば苦し懸けたれば継ぎて見まくの欲しき君かも
      (玉手次 不懸者辛苦 懸垂者 續手見巻之 欲寸君可毛)
 「玉たすき」は枕詞。2898番歌に出てきたばかりである。「懸(か)ける」は「たすきをかける」と「声をかける」にかけたもの。「継ぎて見まくの」は「続いて逢いたくなる」という意味。「声をかけねば苦しくてたまらない。声をかけたらかけたで次には逢いたくなるお人ですこと」という歌である。

2993  紫のまだらのかづら花やかに今日見し人に後恋ひむかも
      (紫 綵色之蘰 花八香尓 今日見人尓 後将戀鴨)
 「紫のまだらのかづら」は「紫染めのまだら模様のかつら」。「後恋ひむかも」は「きっと後になって恋い焦がれるだろうな」である。「紫染めのまだら模様のかつらをつけたあの華やかな、きょう見かけたあのお人、きっと後になって恋い焦がれるだろうな」という歌である。

2994  玉葛懸けぬ時なく恋ふれども何しか妹に逢ふ時もなき
      (玉蘰 不懸時無 戀友 何如妹尓 相時毛名寸)
 「玉葛(たまかづら)」は枕詞とされているが疑問点もある。「懸けぬ時なく」は2992番歌同様「声をかける時もなく」の意。「何しか」は「どういうわけか」という意味。「声をかける機会もなく恋い焦がれているけれどどういうわけか彼女に逢う機会がやってこない」という歌である。

2995  逢ふよしの出でくるまでは畳薦重ね編む数夢にし見えむ
      (相因之 出来左右者 疊薦 重編數 夢西将見)
 「逢ふよしの出でくるまでは」は「逢う機会がやって来るまでは」ということ。「畳薦(たたみこも)」は「畳用に編んだコモ(敷物)」。重ねて編む。「逢う機会がやって来るまでは畳薦を幾枚も編むようにせめて幾度も夢の中で逢えたらなあ」という歌である。


2996  白香付く木綿は花もの言こそばいつのまえだも常忘らえね
      (白香付 木綿者花物 事社者 何時之真枝毛 常不所忘)
 「白香」は、広辞苑に「麻やコウゾの類を細かく裂いて白髭のようにしたもの。神事に用いる」とある。「白く飾り立てた」の意か?。「木綿(ゆふ)」は「木綿」で作った真っ白な花。「いつのまえだも」は「いつかけて下さった言葉も」という意味である。「白香を付けた木綿花は華やかだけど飾り物。あなたのかけて下さる言葉こそいつかけて下さったものも忘れられませんわ」という歌である。

2997  石上布留の高橋高々に妹が待つらむ夜ぞ更けにける
      (石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曽深去家留)
 「石上布留(いそのかみふる)」は奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)の北側の山地。1353番歌、1927番歌等に出てくる。高橋は判然としないが、布留川に架かる高い橋のことともいう。ここまで「高々に」を導く序歌。「石上布留の高橋のように今か今かと背伸びして彼女が待っているだろうに夜が更けてしまった」という歌である。

2998  港入りの葦別け小舟障り多み今来む我れを淀むと思ふな
(湊入之 葦別小船 障多 今来吾乎 不通跡念莫)
 或本歌曰 (港入りに葦別け小舟障り多み君に逢はずて年ぞ経にける)
 或本歌曰 (湊入尓 蘆別小船 障多 君尓不相而 年曽経来))
 「葦(あし)別け小舟」は「葦を押しわけ押し分け進む小舟」でここまで比喩。「障(さや)り多み」は「色々障害があって」。「多み」は「~ので」の「み」。「港に入る小舟が葦を押しわけ押し分け進むように、何かと障害が多いのでなかなか逢いに行けない。さりとてためらっているわけではないと思って欲しい」という歌である。
 異伝歌は第三句まではほぼ同じ。下二句が「あなたに逢えないまま年を越してしまいました」となっている。

2999  水を多み上田に種蒔き稗を多み選らえし業ぞ我がひとり寝る
      (水乎多 上尓種蒔 比要乎多 擇擢之業曽 吾獨宿)
 二度の「多み」は「~ので」の「み」。「~選(え)らえし」までが比喩。「(下田)は水が多いので上田に稲の種を蒔いたが、稗が多いのでより分けられたように、私はよりわけられてしまってひとり寝ています」という歌である。1285番歌に、若い男女が農作業などを休んで山や野に集まり、踊ったり歌を詠みあったりして楽しんだ野遊び、すなわち歌垣のことが詠われている。あるいは本歌も歌垣でのことか?
          (2015年11月1日記)
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