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男女間の本質

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 最近はあまり耳にしないが、私が若い頃はときおり「遠くて近きは男女の仲」という言葉を耳にした。男女の仲は千差万別、本稿のような短文で意を尽くせるか否か覚束ないが、やってみよう。諺の原点は清少納言の枕草子にあるという。繰ってみると、なるほど一七一段に「遠くてちかきもの 極樂 舟の道 男女の中」とある。が、これでお分かりのように単に「遠くてちかきもの」の例示の一つになっており、ことわざ化して男女の仲だけ特筆された場合のような重みがない。どうも恋愛沙汰に絡めて巷間に広まったようである。が、男女の仲は恋愛沙汰ばかりではない。深刻な側面も多々ある。
 十年ほど前のことだが、私の身近に私には考えられないような実例が勃発した。鳳凰堂や法隆寺などへも同行させていただいた二人だが、彼らは各々家庭があって、まだ小学生の子等をそれぞれ数名抱えていた。ところが、彼らはお互いに相思相愛になった。別言すれば不倫同士の関係になったのである。以降、数年を要したが、かれらは各々の家庭を捨てて一緒になったのである。結びつく筈がない二人が結びついたのである。まさに「遠くて近きは男女の仲」なのである。が、人様の実例だけを云々するのは片手落ちである。私自身には離婚の経験がある。今風の言い方をすればバツイチということになる。子育てもし、毎日顔を合わせていた、いわば最も近い相手だったわけである。それが今では音信不通状態。最も遠い存在になっている。なので、私の場合は諺が逆になる。「近くて遠きは男女の仲」なのである。
 では、男女の仲がなぜ極端に遠く、近くなったりするのか。ここが肝心だが、それは動物界の自然の摂理なのである。遠近をはっきりさせないと、つまり自由気ままの関係でよいことにしたら、どの子が誰の親で誰が養育すべきかめちゃくちゃになってしまう。時には未練も許されようが、いつまでもうやむやでは摂理に反する。この理解間違ってる?。
          (2014年8月17日)
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