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万葉集読解・・・111(1622~1635番歌)

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     万葉集読解・・・111(1622~1635番歌)
1622  我が宿の秋の萩咲く夕影に今も見てしか妹が姿を
      (吾屋戸乃 秋之芽子開 夕影尓 今毛見師香 妹之光儀乎)
 大伴田村大嬢(たむらのおほいらつめ)が妹の坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)に与えた歌二首。田村大嬢と坂上大嬢は大伴宿奈麿(すくなまろ)の娘だが、母が異なる(田村大嬢の母は不明。坂上大嬢の母は坂上郎女)異母姉妹。田村大嬢が坂上大嬢に与えた歌は、本歌のほかに756番歌、1499番歌等々にもあり、万葉集では9首に及んでいる。
 「夕影に」は「萩に射し込む夕日の影」のこと。「今も見てしか」は「この今も見たい」という意。「我が家の庭に萩の花が咲いている。その夕日の影にあなたの姿がこの今も見られたらなあ」という歌である。

1623  我が宿にもみつかへるで見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし
      (吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無)
 「もみつかへるで」は「もみじしたカエデ」のこと。原文は「蝦手」でカエルの手。カエルは通常「蛙」という字を当てるが、ガマガエルのような大きな蛙を蝦とすることがある。カエデは蛙の手に似ているから蝦手の字を当てているというが、似ているかどうか私には判然としない。「我が家の庭のカエデ紅葉を見ると気にかかるあなたのことが恋しく思われない日はありません」という歌である。

1624  我が蒔ける早稲田の穂立作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背
      (吾之蒔有 早田之穂立 造有 蘰曽見乍 師弩波世吾背)
 坂上大娘(さかのうえのおほいらつめ)が、秋の稲穂で作った蘰(かづら=髪飾り)を大伴家持に贈った歌。坂上大娘は坂上大嬢と表記されることが多いが、このように坂上大娘と表記されることもあるので念のためにひとこと述べておきたい。
 「私が蒔いて育てた早稲田の稲穂で作ったかづらをご覧になって私のことをしのんで下さいね。あなた」という歌である。

1625  我妹子が業と作れる秋の田の早稲穂のかづら見れど飽かぬかも
      (吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞)
 前歌に応えて大伴家が贈った歌。
 前歌の主要部分を繰り返しに使った歌なので内容は平明である。「業(なり)と作れる」は「仕事として作った」の意。「わが愛するあなたが仕事にして作ってくれた早稲田の稲穂のかづら。いくら見ても見飽きることがありません」という歌である。

1626  秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ
      (秋風之 寒比日 下尓将服 妹之形見跡 可都毛思努播武)
 題詞に「また坂上大娘が着物を脱いで贈ってくれたことに対して贈った大伴家持の歌」とある。
 「かつも」は「とともに」。「秋風の寒さが身にしみるこのごろ、下に着てからだをあたため、かたがた、あなただと思ってあなたをしのぼうと思っています」という歌である。本歌の左注に「以上の三首は天平十一年己卯年(739年)秋九月にやりとりした歌」とある。

1627  我が宿の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が笑まひを
      (吾屋前之 非時藤之 目頬布 今毛見<壮>鹿 妹之咲容乎)
 題詞に「大伴宿祢家持が季節外れの藤の花と早々と黄葉化した萩の花の二つを攀(よ)ぢて(引きちぎって)坂上大嬢に贈った歌二首」とある。
 「時じき藤の」は原文に「非時藤之」とあるように、「季節はずれの藤」のこと。次歌の左注に「二首は六月の歌」とある。旧暦の六月は現在の(新暦の)七月後半。盛夏の真っ盛り。藤は初夏の花。「めづらしく」は「珍しく」と「愛づらしく」の両用に使われている。「今も見てしか」は「今すぐにでも見たいものです」という意味である。「我が家の庭に季節はずれの藤が珍しく咲いたんですが、そのようにも愛らしいあなたの笑顔が今すぐにでも見たいものです」という歌である。

1628  我が宿の萩の下葉は秋風もいまだ吹かねばかくぞもみてる
      (吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曽毛美照)
 「もみてる」は1623番歌に「もみつかへるで」の形で出てきたばかり。「もみてる」も「もみつ」もほぼ同意。「色づいた」の意。「我が家の庭の萩の下葉がまだ秋風も吹かないというのに、ほれこんなに色づきました」という歌である。
 本歌には左注が付されていて、「これら二首は天平十二年庚辰年(740年)夏六月に贈ったものである」とある。

1629番 長歌
1630  高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも
      (高圓之 野邊乃容花 面影尓 所見乍妹者 忘不勝裳)
 1629番長歌の題詞に「大伴家持が坂上大嬢に贈った歌と短歌」とある。
 高円山(たかまどやま)は1610番歌に出てきたばかりだが、奈良市春日山の南方の山。「かほ花(原文「容花」)」は朝顔、かきつばた、むくげ等諸説あってはっきりしないという。本歌は長歌の内容を念頭に置くといいと思うので、その概要を述べておこう。「毎日共に寝泊まりしているのに、一日一夜離れているだけで苦しいほど恋焦がれる」という歌である。
 長歌の内容からすると結句の「忘れかねつも」をそのまま受け取るとどこかしっくりこない。日々顔を合わせている相手に対し「忘れられない」は妙である。もっと激しい歌ではないだろうか。なので「かほ花」は具体的な花の名ではなく、「どの花を見てもあなたに見える」という意味であろう。「高円の野辺に咲くどの花もみなあなたに見える。あなたを追い払おうにも四六時中ついてまわる」という歌である。つまり、激しく狂おしい恋の歌に相違ないのである。

1631  今造る久迩の都に秋の夜の長きにひとり寝るが苦しさ
      (今造 久邇能京尓 秋夜乃 長尓獨 宿之苦左)
 大伴家持が安倍女郎(あへのいらつめ)に贈った歌。765番歌等にも記したが、聖武天皇は一時的に、久邇京=恭仁京(京都府木津川市、740~743年)に遷都をおこなっている。久迩の都(くにのみやこ)とはむろんそのために造営された都のこと。大伴家持はこの久邇京に付き従って勤めていた。「今造っている久迩の都にいると、秋の夜長にひとり寝ているのはつらい」という歌である。

1632  あしひきの山辺に居りて秋風の日に異に吹けば妹をしぞ思ふ
      (足日木乃 山邊尓居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曽念)
 大伴家持が勤務地の久邇京から寧樂宅に留まっている坂上大娘に贈った歌。
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。595番歌等にあったように、「日に異(け)に」は「日ごとに増す」である。「こうして山辺に暮らしていると、秋風が日増しに吹き、彼女のことが思われてなりません」という歌である。

1633  手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ
      (手母須麻尓 殖之芽子尓也 還者 雖見不飽 情将盡)
 本歌と次歌の二首はある人が尼に贈った歌。
 「手もすまに」について私は1460番歌の際に次のように記した。
 「「手もすまに」は「岩波大系本」の注に「未詳」とある。「一所懸命」の意に解しておけば歌意がすんなり通る」と記した。本歌も同様である。「かへりては」は「かえって」の意。「「一所懸命植えた萩。なのでかえって愛着が湧き、見ていても見飽きることがなく、今後も心尽くして面倒を見ようと思う」という歌である。ただ、本歌は相聞歌のひとつ。「ある人」は男性とみれば、萩は尼の仮託ということになる。どんな風に解したらよかろう。次歌からすると「ある人」とは尼さんの後見人のような人物で、少女時代から大切に世話をしてきた人のように思われる。。

1634  衣手に水渋付くまで植ゑし田を引板我が延へまもれる苦し
      (衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子)
 水渋(みしぶ)は泥水の跳ね汚れ。引板(ひきた)は鳥や獣がやってきて触れると紐が引っ張られてカラカラと音を立てるように張り巡らせた、いわゆる鳴子のこと。「着物の袖に泥水の跳ね汚れが付くまで苦労して稲を植え育てた田を、鳴子を張り巡らせて守らなければならないとは心苦しいことよ」という歌である。前歌と併せて読むと、「ある人」(後見人)の尼に対する複雑な心情が読み取れる。

1635  佐保川の水を堰き上げて植ゑし田を [尼作] 刈れる初飯はひとりなるべし [家持續]
      (佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 [尼作] 苅流早飯者 獨奈流倍思 [家持續])
 題詞に「尼が上三句を作り、それに続く下二句を大伴家持が作って一首の和歌とし、「ある人」が作った二首に応えた歌」とある。
 「佐保川の水を堰(せ)き上げて」とは「佐保川の水を引いて」という意味である。「刈れる初飯(はついひ)」はむろん「新米で炊いた最初のご飯」。
 「佐保川の水を引いて苦労して稲を植えたのはあなたさま」(尼))
 「その田で刈り取った新米を食べるのは田主以外にないじゃありませんか」(家持)
 という歌である。田主の「ある人」は後見人のほかに実父とも取れるが・・・。

 以上が秋相聞歌である。次歌の1636番歌からは冬雜歌となっている。
           (2014年9月30日記)
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