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万葉集読解・・・204(3299~3304番歌)

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     万葉集読解・・・204(3299~3304番歌)
3299番長歌
  見わたしに 妹らは立たし この方に 我れは立ちて 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも 漕ぎ渡りつつも 語らふ妻を
(見渡尓 妹等者立志 是方尓 吾者立而 思虚 不安國 嘆虚 不安國 左丹と之 小舟毛鴨 玉纒之 小楫毛鴨 榜渡乍毛 相語妻遠)

 本歌の「思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも」の部分は、1520番長歌の「彦星は 織女と ~ 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに ~ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも ~」とある対応部分とほぼ一致。したがって七夕にちなんだ歌と考えて差し支えあるまい。
 「妹らは」のらは親愛の表現で、複数を意味するわけではない。「小舟もがも」や「小楫もがも」の「もがも」は「~があったら」という意味である。「玉巻き」は「玉で飾り立てた」という意味。
 「岸の向こう側に彼女は立っている。こちらの岸に私は立ち、思いを馳せるに穏やかならず、嘆いてもよんどころない。丹塗りの(真っ赤な)小舟があったら、また、玉で飾り立てた小梶があったら、川を漕いで渡って妻と語り合えるのに」という歌である。
 「見わたしに」に代えて、或本の頭句は「こもりくの 泊瀬の川の をちかたに」(己母理久乃 波都世乃加波乃 乎知可多尓)となっている。」という注がついていて、彼女は泊瀬川(初瀬川)の向こうの岸に立っていることになっている。初瀬川は奈良県桜井市の北東部付近から西流し、北流し、やがて大和川と名を変える川。

3300番長歌
  おしてる 難波の崎に 引きのぼる 赤のそほ舟 そほ舟に 網取り懸け 引こづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみえずぞ 言はれにし我が身
 (忍照 難波乃埼尓 引登 赤曽朋舟 曽朋舟尓 綱取繋 引豆良比 有雙雖為 日豆良賓 有雙雖為 有雙不得叙 所言西我身)

 「おしてる」は枕詞。「難波の崎」は大阪市大阪湾一帯。そほ舟は、270番歌に「旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ」と出ている。朱塗りの赤い舟。「引こづらひ」は「あれこれ引っ張る」こと。「ありなみすれど」は「あれやこれやと」で、ここまで「言ひづらひ ありなみすれど」を導く序歌。
 「難波の崎に引っ張って上らせようと朱塗りのそほ舟。そのそほ舟に綱を掛けてあれこれ引っ張ってあれやこれやとやってみるように、言いつくろい、あれやこれやと言い訳をしてみたが、とうとう噂になってしまった」という歌である。

3301番長歌
  神風の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る俣海松 深海松の 深めし我れを 俣海松の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君
 (神風之 伊勢乃海之 朝奈伎尓 来依深海松 暮奈藝尓 来因俣海松 深海松乃 深目師吾乎 俣海松乃 復去反 都麻等不言登可聞 思保世流君)

 「神風(かむかぜ)の」は枕詞。深海松(ふかみる)は海底深くに生える海藻の一種。俣海松(またみる)は深海松の枝分かれしたもの。ここまでは後半の比喩。「妻と言はじとかも」は「妻とは呼ばないと」という意味である。
 「神風吹く伊勢の海の朝なぎどきに寄ってくる深海松、夕なぎどきに寄ってくる俣海松、そんな海松のように、深く恋い焦がれ、離れてもまた舞い戻ってきた私だのに、妻とは呼ばないと思っておいでなのですか、あなたは」という歌である。

3302番長歌
  紀の国の 牟婁の江の辺に 千年に 障ることなく 万代に 斯くしもあらむと 大船の 思ひ頼みて 出立の 清き渚に 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る縄海苔 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引けば絶ゆとや 里人の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り 梓弓 弓腹振り起し しのぎ羽を 二つ手挟み 放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思へば
 (紀伊國之 室之江邊尓 千年尓 障事無 万世尓 如是将在登 大舟之 思恃而 出立之 清瀲尓 朝名寸二 来依深海松 夕難岐尓 来依縄法 深海松之 深目思子等遠 縄法之 引者絶登夜 散度人之 行之屯尓 鳴兒成 行取左具利 梓弓 弓腹振起 志乃岐羽矣 二手狭 離兼 人斯悔 戀思者)

 「紀の国の牟婁(むろ)の江」は和歌山県田辺市田辺湾。「障(さは)ることなく」は「差し支えることなく」という意味である。「出立(いでたち)の」は出発の意か。大船にこと寄せて、渚に立ってさあ出発ということのようだ。深海松(ふかみる)は前歌参照。縄海苔(なはのり)は縄のように細長い海苔。「子ら」のらは例によって親愛の「ら」。「梓弓((あづさゆみ)」は枕詞ないし弓の縁語を導く。「しのぎ羽」は矢の根元の羽根。「二つ手挟み」は各書とも「二つ挟んで」の意に解している。が、二本の矢を挟んで構えるなどあり得ない。手挟みのことで、手の指でしのぎ羽を挟むことに相違ない。
 「紀の国の牟婁(むろ)の江のあたりに千年にもわたって何の差し支えもなく、未来永劫にこうあらんと大船のような思いで(安心して)、出で立とうと清らかな渚に立っていたら、朝なぎどきに寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎどきに寄ってくる縄海苔(なはのり)。その深海松のように深く恋い焦がれていた子なのに、細い縄海苔を引けば切れるだろうと、ある里人の男が集まりに行った際に、泣く子がものを手探りするように、梓弓を取って矢をつがえ、矢の根元のしのぎ羽を手挟んで放った。その行為が悔しい。安心して私は恋心を寄せていただけに」という歌である。

3303番長歌
  里人の 我れに告ぐらく 汝が恋ふる うつくし夫は 黄葉の 散り乱ひたる 神なびの この山辺から [或本云 その山辺] ぬばたまの 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫は逢ひきと 人ぞ告げつる
 (里人之 吾丹告樂 汝戀 愛妻者 黄葉之 散乱有 神名火之 此山邊柄 [或本云 彼山邊] 烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎 七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴)

 「うつくし夫(つま)は」(原文:愛妻者)は「いとしい人は」である。「神なびの」は「神のいらっしゃる」という意味である。「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「うらぶれて」は「悄然と」という意味だが、本歌の場合は「疲れ果てて」だろう。
 「里人が私に告げて言うには、あなたが恋うる愛しい人は、黄葉が散り乱れる、神のいらっしゃる山辺から(或本にいう、その山辺)」真っ黒な黒馬に乗って、(曲がりくねった)川の瀬を幾度も渡り、疲れ果ててあなたに逢いにきましたよと、その人は私にいいました」という歌である。
 「神がいる場所から」とか「人づてに告げられた」とか「黄葉が散り乱れる中を」とか「黒馬に乗って」とか、この歌は挽歌の匂いがする。

3304  聞かずして黙もあらましを何しかも君が正香を人の告げつる
      (不聞而 黙然有益乎 何如文 <公>之正香乎 人之告鶴)
 「黙(もだ)もあらましを」は「黙っていてほしい」という意味。
 正香(ただか)は「その人の消息、様子」。「聞かせないで黙っていてほしかった。どうしてあの人の消息や様子を里人は知らせたのかしら」という歌である。
 以上長反歌二首。
           (2016年2月18日記)
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