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今年もとうとう師走を迎えた。師走というと、サラリーマンであった私は、忘年会を思い起こす。課の忘年会を筆頭に、飲み会と称して種々のグループの仲間が集まって会を催したものである。私はこまごまとした雑用をこなさなければならない幹事役は苦手だったので、もっぱら裏方に徹するか、ないしはプランナーをかってでた。
一例を記すと、若い頃、県庁内の若い仲間に年忘れダンスパーティと称した会を呼びかけたことがある。せいぜい十名前後と予想したのだが、予想外の参加希望者が集まった。確か60名を超す大所帯となり、とうてい私一人では処理出来なくなった。知らぬ間に周囲の数名が幹事役をかってでてくれ、乗り切った。ダンスとは名ばかり、実際は飲み会、ダベリング会。終了後は三々五々、二次会、三次会に繰り出した。
こうしたものでなくとも、師走は何かと飲む機会が増え、街には千鳥足でふらつく人々の姿がよく見られた。が、わが民族は次第に行儀良くなったのか、年々酔客の数が減り、最近ではほとんど見かけなくなったように思われる。
とんと忘年会とは縁がなくなった近年の私は、どうしたわけか緊張感を覚えるようになった。年の変わり目を強く意識するからだろうか。緊張感は若い頃からあったのだろうが、かなり希薄だったと思う。忘年会はまさにこうした緊張感から解放されるために行われた行事だが、年の節目を意識させる意味で重要な役目を担っているように思う。
師走、それはまさに年の節目の月であり、「ようし、来年こそは」という気持ちにさせられる月である。「ようし、来年こそは」に続く言葉は「新たにこれこれに挑戦しよう」とか「何が何でもこれだけは完成させよう」とか「同じ轍は踏むまい」等々色々あろう。私などは反省の弁は好みじゃないので、前向きに行きたい。「ようし、今取り組んでいる万葉集読解を何が何でも完成させよう」。これが私の緊張感である。
(2016年12月3日)
今年もとうとう師走を迎えた。師走というと、サラリーマンであった私は、忘年会を思い起こす。課の忘年会を筆頭に、飲み会と称して種々のグループの仲間が集まって会を催したものである。私はこまごまとした雑用をこなさなければならない幹事役は苦手だったので、もっぱら裏方に徹するか、ないしはプランナーをかってでた。
一例を記すと、若い頃、県庁内の若い仲間に年忘れダンスパーティと称した会を呼びかけたことがある。せいぜい十名前後と予想したのだが、予想外の参加希望者が集まった。確か60名を超す大所帯となり、とうてい私一人では処理出来なくなった。知らぬ間に周囲の数名が幹事役をかってでてくれ、乗り切った。ダンスとは名ばかり、実際は飲み会、ダベリング会。終了後は三々五々、二次会、三次会に繰り出した。
こうしたものでなくとも、師走は何かと飲む機会が増え、街には千鳥足でふらつく人々の姿がよく見られた。が、わが民族は次第に行儀良くなったのか、年々酔客の数が減り、最近ではほとんど見かけなくなったように思われる。
とんと忘年会とは縁がなくなった近年の私は、どうしたわけか緊張感を覚えるようになった。年の変わり目を強く意識するからだろうか。緊張感は若い頃からあったのだろうが、かなり希薄だったと思う。忘年会はまさにこうした緊張感から解放されるために行われた行事だが、年の節目を意識させる意味で重要な役目を担っているように思う。
師走、それはまさに年の節目の月であり、「ようし、来年こそは」という気持ちにさせられる月である。「ようし、来年こそは」に続く言葉は「新たにこれこれに挑戦しよう」とか「何が何でもこれだけは完成させよう」とか「同じ轍は踏むまい」等々色々あろう。私などは反省の弁は好みじゃないので、前向きに行きたい。「ようし、今取り組んでいる万葉集読解を何が何でも完成させよう」。これが私の緊張感である。
(2016年12月3日)
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