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万葉集読解・・・267(4128~4138番歌)

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     万葉集読解・・・267(4128~4138番歌)
 頭注に「越前國(こしのみちのくちのくに)の掾(じょう)大伴宿祢池主(いけぬし)が贈ってきた戯歌四首」とある。掾は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。3番目の官。この注によって、かっては大伴家持のもとにいた池主が越中から越前に転任したことが分かる。
 頭注に続いて手紙の文面が付されている。省略しようと思ったが、大略を掲げておこう。「物を贈っていただきありがたいのですが、中身が表書きと異なります。物を違えるのは重罪でございまするぞ。眠気覚ましに歌を四首贈ります。勝宝元年十一月十二日」。勝宝元年は749年。749年は天平感宝元年であるが、七月二日に勝宝に改元。
4128  草枕旅の翁と思ほして針ぞ賜へる縫はむ物もが
      (久佐麻久良 多比<乃>於伎奈等 於母保之天 波里曽多麻敝流 奴波牟物能毛賀)
 「草枕(くさまくら)」は枕詞。「旅行中の老人と思われたのでしょうか。針をお贈り下さったのですね。なにか縫う物があればいいのですが」という歌である。

4129  針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり
      (芳理夫久路 等利安宜麻敝尓於吉 可邊佐倍波 於能等母於能夜 宇良毛都藝多利)
 「返(かへ)さへば」は「ひっくり返してつくづく眺めれば」という意味である。「おのともおのや」の「おの」は感動詞で、ふたつ並べて「あんれまあ」という感じ。「(贈っていただいた)針袋を取り上げて前に置き、ひっくり返してつくづく眺めれば、あんれまあ、裏地まで付いているじゃございませんか」という歌である。

4130  針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず
      (波利夫久路 應婢都々氣奈我良 佐刀其等邇 天良佐比安流氣騰 比等毛登賀米授)
 「照らさひ歩けど」は「見せびらかして歩いてみたが」、「人もとがめず」は「誰一人気にとめない」という意味。「針袋を腰にぶら下げて里という里を見せびらかして歩いてみたが、誰一人気にとめる様子がない」という歌である。

4131  鶏が鳴く東をさしてふさへしに行かむと思へどよしもさねなし
      (等里我奈久 安豆麻乎佐之天 布佐倍之尓 由可牟於毛倍騰 与之母佐祢奈之)
 「ふさへしに」ははっきりしない。他に例がなく、「ふさ」は3943番歌に「秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも」とあるように、「総」という意味である。むろん、ここでは意味をなさない。意味からすると「お返しに」ということになる。「幸を求めて」等では意味をなさない。「よしもさねなし」は「理由が見あたらない」という意味。「(家持様がおられる)鶏が鳴く東に向かって(針袋)をお返しにあがろうと思いますが、その理由が見あたりません」という歌である。
 左注に「右の歌に返歌した筈だが、探しても見あたらない」とある。

 頭注に「更に贈ってきた二首。」とあって、続けて大略こうある。「驛使(はゆまづかひ)を迎えに出ようと今月十五日に管轄内の加賀郡、越中との境界にやってきました。深海村に来ると越中は射水郷が思い出され、守(家持)が恋しくてなりませんでした。守の手紙を見ると 、誤って針袋を贈られたとのこと、先に差し出した当方の手紙に気を悪くされたかと心配しています。勝宝元年十二月十五日。」
 驛使は公用に使われた早馬。加賀郡は石川県南部、金沢市から加賀市を含む一帯。家持のいる越中は東北に位置する。深海村は金沢市の北の津幡町。そこから東北方面に富山県小矢部市、砺波市、射水市が続く。この手紙により家持が誤って針袋を贈ったことが伺われる。都の妻に贈るつもりだったか。
4132  縦さにもかにも横さも奴とぞ我れはありける主の殿門に
      (多々佐尓毛 可尓母与己佐母 夜都故等曽 安礼波安利家流 奴之能等乃度尓)
 「縦さにもかにも横さも」は「(越中時代の)上下関係であったときも、(越前に勤める今のように)横の関係であってもとにかく」という意味である。池主と家持の関係を言っている。「主(ぬし)の殿門(とのど)に」は家持を強調した表現。
 「上下関係であろうと他国に勤める横の関係であろうと、とにかく私は僕(しもべ)でございます。ご主人様の御門に控える・・・。」という歌である。

4133  針袋これは賜りぬすり袋今は得てしか翁さびせむ
      (波里夫久路 己礼波多婆利奴 須理夫久路 伊麻波衣天之可 於吉奈佐備勢牟)
 「すり袋」だが、簏(すり)は広辞苑には「旅行用の竹細工の匣(はこ)」とある。したがって「簏を入れる袋」ということになる。「翁(おきな)さびせむ」は「神さび」の「さび」と同様「帯びる」という意味。「針袋は頂戴致します。今度はすり袋を得て老人らしくいたしとうございます」という歌である。

 宴席で詠んだ雪月梅花の歌。
4134  雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも
      (由吉乃宇倍尓 天礼流都久欲尓 烏梅能播奈 乎<理>天於久良牟 波之伎故毛我母)
 「はしき子もがも」は「いとしい娘でもいたらなあ」という意味である。「雪が降って輝く月夜に梅の花を折って贈るいとしい娘でもいたらなあ」という歌である。
 左注に「右の一首、十二月大伴宿祢家持作」とある。

4135  我が背子が琴取るなへに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも
      (和我勢故我 許登等流奈倍尓 都祢比登乃 伊布奈宜吉思毛 伊夜之伎麻須毛)
 「我が背子が」は誰に呼びかけたかはっきりしないが、左注からして、主人の石竹(いはたけ)と見られる。「琴取るなへに」は「琴を取るや否や」である。「常人の」は「世間一般の人たちの」という意味である。「あなたが琴を取るや否や世間一般の人たちの嘆き声がますます強く聞こえます」という歌である。
 左注に「右の一首は少目秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)の舘で開かれた宴席で守大伴宿祢家持が作った歌」とある。目は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。

 頭注に「天平勝宝二年正月二日國庁において郡司たちにご馳走する酒宴の歌一首」とある。天平勝宝二年は750年。「國庁」は国の役所。「郡司」は各郡を治める役人。
4136  あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ
      (安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「ほよ」は木に寄生するヤドリギ。「かざしつらくは」は「髪にかざしたことは」という意味である。「山の木の梢に寄生するヤドリギを取ってかざしたことは千年の先まで祝ってのことぞ」という歌である。
 左注に「右の一首は守大伴宿祢家持作」とある。

 頭注に「判官久米朝臣廣縄(ひろなは)の舘での宴席の歌」とある。判官は掾(じょう)のこと。前歌参照。
4137  正月立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも
      (牟都奇多都 波流能波自米尓 可久之都追 安比之恵美天婆 等枳自家米也母)
 「正月(むつき)立つ」は「正月(一月)が始まった」という意味。「時じけめやも」は「時だけであろうか」という反語表現。「お正月が始まった春の初めに、このように互いに笑みを交わすのはこの時だけであろうか」という歌である。
 左注に「同月五日守大伴宿祢家持作」とある。

 頭注に「墾田地を検察するために砺波(となみ)郡の主帳、多治比部北里(たぢひべのきたさと)の家に宿をとる。折悪しくたちまち風雨が起こり辞去出来ずにそのまま留まった時の歌」とある。主帳は郡の書記官。
4138  薮波の里に宿借り春雨に隠りつつむと妹に告げつや
      (夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜)
 「薮波(やぶなみ)の里」はどこか不詳。「妹に告げつや」は「妻に伝えてくれただろうか」という意味。家持の妻は坂上大嬢(おほいらつめ)だが、この歌作時に大嬢が越中に来ていたのか不明。「薮波の里で宿を借りたところ、激しい春雨が降ってきて宿にこもっている。このことを誰か妻に告げてくれただろうか」という歌である。
 左注に「二月十八日守大伴宿祢家持作」とある。

       巻18完了
 やっと巻18の読解を終えた。巻17はさながら大伴家持と大伴池主の社交辞令の応酬記録で、いささかうんざりしたが、巻18もそれを引きづっている。が、社交辞令の応酬は当時の官員たちの常識とすれば、そういうものだと思えばよいことになる。巻17と巻18を通して、漢文には漢文で応え、長歌には長歌でやりとりする。家持の多様な才能を感じざるを得なかった。
           (2016年12月6日記)
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