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前回、近年私は年の節目を迎える師走になると緊張感を覚えるようになった、と記した。むろん、若い頃から緊張感は覚えたのだろうが、それが希薄だったように思われる。
「形より心だ」というのは真理なんだろうが、緊張感が希薄だった私などは、漠然と「師走なんだな」と思うくらいで、普段の生活に意識が流れていってしまいがちだった。
どういうことかというと、老齢期を迎えている私ははっきりした形を眼前にしないと緊張感が希薄になる。どんなにささやかなものでもいいが、形を眼前に置き、それを眺めると気分がシャンとするのである。
師走に入って一週間足らず。少々早い気もしたが、小さな小さな鏡餅を買ってきて、テレビの前に据え付けた。テレビの前なら、いやでも目にはいる。ささやかな、まことにささやかな迎春の準備である。
年と共に次第に重さ増す鏡餅生ある意味を深く思えり
ささやかな形なれども眼前に餅を飾れば緊張走る
つまり、年の節目を形をもって示すことの重要性を私は年々強く意識するようになってきているのである。「形より心だ」とは節目節目に強く心に受け止めることを意味している。「形などどうでもいいではないか」、若い頃の私ならきっとこう言って傲然と頭をそらしたことだろう。が、最近の私はむろん心は大切だが、それと同様に、形も重要だと思うようになっている。
神社の祭りがいい例である。伝統の祭りを行うことによって、ああ、今年もそういう時期になったんだなと意識できる。私は形を馬鹿にしてはいけないと思う。
鏡餅などほこらしや掌に受けて
いかがでしょう。皆さんは形をどうお考えでしょう。
(2016年12月6日)
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前回、近年私は年の節目を迎える師走になると緊張感を覚えるようになった、と記した。むろん、若い頃から緊張感は覚えたのだろうが、それが希薄だったように思われる。
「形より心だ」というのは真理なんだろうが、緊張感が希薄だった私などは、漠然と「師走なんだな」と思うくらいで、普段の生活に意識が流れていってしまいがちだった。
どういうことかというと、老齢期を迎えている私ははっきりした形を眼前にしないと緊張感が希薄になる。どんなにささやかなものでもいいが、形を眼前に置き、それを眺めると気分がシャンとするのである。
師走に入って一週間足らず。少々早い気もしたが、小さな小さな鏡餅を買ってきて、テレビの前に据え付けた。テレビの前なら、いやでも目にはいる。ささやかな、まことにささやかな迎春の準備である。
年と共に次第に重さ増す鏡餅生ある意味を深く思えり
ささやかな形なれども眼前に餅を飾れば緊張走る
つまり、年の節目を形をもって示すことの重要性を私は年々強く意識するようになってきているのである。「形より心だ」とは節目節目に強く心に受け止めることを意味している。「形などどうでもいいではないか」、若い頃の私ならきっとこう言って傲然と頭をそらしたことだろう。が、最近の私はむろん心は大切だが、それと同様に、形も重要だと思うようになっている。
神社の祭りがいい例である。伝統の祭りを行うことによって、ああ、今年もそういう時期になったんだなと意識できる。私は形を馬鹿にしてはいけないと思う。
鏡餅などほこらしや掌に受けて
いかがでしょう。皆さんは形をどうお考えでしょう。
(2016年12月6日)