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遠回りでも

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 前回、「いじめ」問題の解消には「遠回りでも多様な価値観を認める社会になるようにもっていく努力が求められる。」と記した。「遠回りでも」という意味は、たとえば個々人の多様性である。
 突然だが、近年外国人が来島して働いたり、観光めぐりを行う人の姿が目立つようになってきた。「いじめ」の解消には大きく寄与するとみている。世界には色々な文化を背負った人々が暮らしている。それを知るいい機会だ。一言でいえば国際化の進展だ。これにより日本のムラ社会は徐々に崩れていくことが期待される。
 今ひとつは「人と違っている」からこそ素晴らしいと認識することである。「ひきこもりがち」だったり「無口」だったり「無愛想」だったりする、いわゆる「変な子供」ほど将来性豊かかもしれないと気づいてほしい。子供の頃「いじめ」にあった人で後に大成した人は枚挙に暇がないだろう。
 先ず父兄の問題である。多様性こそ人間社会の価値なのである。学歴一本やりではなんとつまらないだろう。スポーツ、音楽、絵画、科学等々子供の将来は無限に広がっている。昔ながらの近所づきあい感覚では律しきれない。「変な子供」大歓迎くらいの気持ちでふところを大きくして育ててほしいものである。
 父兄同士も同じこと。人と違う意見だからこそ、聞く耳を持つ価値がある。そして教育。先生の視野が小さいのはムラ社会の父兄を反映している。「多様な子供」、「変な子供」、大いに結構なことではないか。人に追随して「いじめ」に加わる人間などは人と同じであろうとする人間。そんな人間にはならないよう率先して教育にあたってほしい。
 長い長い間醸成されてきたムラ社会。これを突き崩していくには時間がかかる。こういう意味で私は「遠回りでも」と言ったつもりである。
           (2016年12月18日)
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