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万葉集読解・・・273(4203~4213番歌)

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     万葉集読解・・・273(4203~4213番歌)
 霍公鳥(ホトトギス)が鳴かないので恨みに思う歌
4203  家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け
      (家尓去而 奈尓乎将語 安之比奇能 山霍公鳥 一音毛奈家)
 「あしひきの」は枕詞。「一声も鳴け」は「一声なりと鳴いておくれよ」ということ。「家に帰って何を語り草にしよう。山ホトトギスよ。一声なりと鳴いておくれよ」という歌である。判官久米朝臣廣縄(ひろつな)作。判官は掾(じょう)のこと。掾は3番目の官。

 攀(よ)じ折った保寳葉(ほほがしは)を見て二首
4204  我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青ききぬがさ
      (吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖)
 「我が背子(せこ)」は家持を指す。「ほほがしは」は朴(ホオ)の木のことで、モクレン科の落葉高木。「きぬがさ」は貴人に背後からかざした笠。「貴殿が捧げ持ってかざしているホオガシワはあたかも貴人にかざす青いきぬがさに似てますね」という歌である。
講師僧恵行(えぎゃう)作。講師は諸国の国分寺に置かれた僧官か。

4205  皇神祖の遠御代御代はい布き折り酒飲みきといふぞこのほほがしは
      (皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寶我之波)
 「皇神祖(すめろき)の」は「天皇の祖先の」という意味である。「い布(し)き折り」は「折り重ねて」。「皇祖神の遠い昔から代々、葉を折り重ねて酒を飲んだということらしい、このホオガシワは」という歌である。守大伴宿祢家持作。守(かみ)は地方長官。

 頭注に「還りに濱の上を仰ぎ見たとき月光に惹かれて詠った一首」とある。還りとは布勢の水海(みづうみ)からの帰りか。布勢の水海は塩水湖で、今は現存しない。富山県氷見市に名残をとどめる。
4206  渋谿をさして我が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め
      (之夫多尓乎 指而吾行 此濱尓 月夜安伎?牟 馬之末時停息)
 渋谷は富山県高岡市の海岸。「月夜飽きてむ」は「この月夜を飽きるまで満喫しよう」という意味である。「渋谷に向かって我らが行くこの浜の夜の月光、これを飽きるまで満喫しようではないか。馬をしばし留めて」という歌である。

 頭注に、「廿二日、判官久米朝臣廣縄(ひろつな)に贈るため、霍公鳥の鳴かないのを恨めしく思って作った歌と短歌」とある。判官は4203番歌に記したように掾(じょう)のこと。
4207番長歌
   ここにして そがひに見ゆる 我が背子が 垣内の谷に 明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の繁みに はろはろに 鳴く霍公鳥 我が宿の 植木橘 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ 告げなくも憂し
      (此間尓之? 曽我比尓所見 和我勢故我 垣都能谿尓 安氣左礼婆 榛之狭枝尓 暮左礼婆 藤之繁美尓 遥々尓 鳴霍公鳥 吾屋戸能 殖木橘 花尓知流 時乎麻太之美 伎奈加奈久 曽許波不怨 之可礼杼毛 谷可多頭伎? 家居有 君之聞都々 追氣奈久毛宇之)

 長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「そがひに見ゆる」は「背後に見える」。「榛(はり)」はハリノキのことで、カバノキ科の落葉高木。「時をまだしみ」はいったん「~まだし」と切りながら、「~ので」の「み」を付加した珍しい用法。「まだ時期ではなく、なので」という意味である。

 (口語訳)
 ここ(家持の家)からは貴君ちの垣根の背後に谷が見える。明け方になるとハリノキの枝に止まって、夕方になると藤の茂みに止まって、遙かに鳴くホトトギス。他方、我が家の庭に植わわっている橘の花が散る時期ではないからか、ホトトギスはやって来て鳴かない。そのことは恨みに思わないけれど、谷間の近くに家を構えて、居ながらにして貴君はホトトギスの鳴き声を聞いている。うらやましいことだ。私に一言告げてくれればよかったのに。

 反歌一首
4208  我がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥ひとり聞きつつ告げぬ君かも
      (吾幾許 麻?騰来不鳴 霍公鳥 比等里聞都追 不告君可母)
 「ここだ」は「しきりに」という意味。たとえば4195番歌に「我がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ」とある。「私はしきりに待っているのにやって来て鳴かないホトトギス。なのにその鳴き声をひとりだけ聞きながらも私に告げてもくれないんだね、貴君は」という歌である。

 霍公鳥(ホトトギス)を詠む歌と短歌
4209番長歌
   谷近く 家は居れども 木高くて 里はあれども 霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲りと 朝には 門に出で立ち 夕には 谷を見渡し 恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず
      (多尓知可久 伊敝波乎礼騰母 許太加久? 佐刀波安礼騰母 保登等藝須 伊麻太伎奈加受 奈久許恵乎 伎可麻久保理登 安志多尓波 可度尓伊?多知 由布敝尓波 多尓乎美和多之 古布礼騰毛 比等己恵太尓母 伊麻太伎己要受)

  「里はあれども」は「里中ではありますが」という意味。

 (口語訳)
   確かに谷の近くに住んでおり、木々が高く、里中ではありますが、ホトトギスはいまだにやって来て鳴きません。鳴き声を聞きたいと思って、毎朝、門に出て立ち、夕方には谷を見渡しています。こうしてホトトギスを待ち焦がれていますが、いまだに一声なりと鳴き声が聞こえません。

4210  藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ
      (敷治奈美乃 志氣里波須疑奴 安志比紀乃 夜麻保登等藝須 奈騰可伎奈賀奴)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「藤の花の盛りは過ぎてしまった。なのに山ホトトギス、なぜやって来て鳴いてくれないのか」という歌である。
 左注に「右は廿三日、掾久米朝臣廣縄(ひろつな)が応えた歌」とある。掾(じょう)は判官のこと。3番目の官。

 頭注に「追って處女(をとめ)の墓(つか)に応えた歌と短歌」とある..。菟原娘子(うなひをとめ)と求婚者の「智渟壮士(ちぬをとこ)と菟原壮士(うなひをとこ)」を巡り最終的には三者自殺となる悲劇。詳細は1801番長歌や1810番長歌に詠われている。本歌はそれを踏まえた歌だが、なぜ唐突にここに出てくるのか分からない。家持は越中富山にいる。菟原娘子は兵庫県芦屋市の菟原(うなひ)郡にいたという伝説の乙女。なぜ唐突にここに収録されているのだろう。
4211番長歌
   古に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継ぐ 智渟壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻問ひしける 処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて 秋の葉の にほひに照れる 惜しき 身の盛りすら 大夫の 言いたはしみ 父母に 申し別れて 家離り 海辺に出で立ち 朝夕に 満ち来る潮の 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奥城を ここと定めて 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり
      (古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比<壮>子乃 宇都勢美能 名乎競争<登> 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留 (女+感)嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 満来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有)

  「くすばしき」は「くすしき」のことと思われ「世にも不思議な」という意味。「智渟壮士と菟原壮士」は頭注参照。「言(こと)いたはしみ」は「言葉が辛くて」という意味。「奥城(おくつき)を」は「墓所を」。「黄楊小櫛(つげをぐし)」は黄楊の櫛。ツゲはツゲ科の常緑小高木。緻密なので印材、櫛、将棋の駒などの材料にされる。

 (口語訳)
 遠い昔にあったという、世にも不思議な出来事として言い伝えられてきた、智渟壮士(ちぬをとこ)と菟原壮士(うなひをとこ)の乙女をめぐる伝説。二人は、現世に名を争い、命がけで、乙女に求婚争いを繰り広げた。乙女の伝説は聞くも悲しい。、春の花のように光り輝き、秋の紅葉のように美しい、女盛りでありながら、男たちの求婚争いが辛く、父母に事情を告げて家を出、海辺にたたずんだ。朝に夕に満ちてくる潮の幾重にも寄せてくる波になびく玉藻を眺めた。その玉藻の一節もない、貴重な命なのに、はかない露霜のように消え果ててしまった。墓所をここと定めて後の世の人たちも語り継いで、乙女を偲ぶよすがにしようと、当時の人は、乙女の黄楊の小櫛をしっかりと刺したらしい。それが生え育って、浜風に靡いている。

4212  娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも
      (乎等女等之 後乃表跡 黄楊小櫛 生更生而 靡家良思母)
 「娘子(をとめ)らが」は親愛の「ら」。「後の標(しるし)と」は「後の世の人へのしるしに」という意味。「乙女が後の世の人へのしるしに残した黄楊の小櫛。生え替わって育ち、浜風に靡いているのだろう」という歌である。
 左注に「右は五月六日、興に乗って大伴宿祢家持作る」とある。

4213  東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひわたるかも
      (安由乎疾 奈呉乃浦廻尓 与須流浪 伊夜千重之伎尓 戀度可母)
 「東風(あゆ)をいたみ」は「~ので」の「み」。「いた」は「いたく」で、「東風が激しいので」という意味である。「奈呉の浦」は富山県射水市新湊のあたりの海岸。「東風が激しく吹き、奈呉の浦のあたりの岸に波が寄せてくる。幾重にも寄せるその波のように、恋しく思い続けています」という歌である。
 左注に「右は、京の丹比家(たぢひけ)に贈った歌」とある。4173番歌にも丹比家に贈る歌が収録されている。どこの家か不明だが、そこに家持が親しくしていた女性がいたようだ。
           (2017年1月14日記)
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