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「二兎を追うものは一兎をも得ず」という諺がある。「同時に二匹を追っても一匹すら得られない」という意味なのであまりいいことには使われない。が、悲しいかな、人間、一兎だけに集中しろと言われてもなかなか出来ない。
たとえば小生の場合、興味を抱いている古代分野だけに限定しても、あまりに様々なことに興味が湧いて、ひとつに絞りきれない。天皇家はいうに及ばず、蘇我氏も尾張氏も大伴氏も気にかかって、どの氏から手をつけていいやら迷うばかりである。むろん、氏ばかりではない。古墳も埴輪も青銅器も土器もすべて気にかかっている。今は万葉集に取り組んでいるが、手が空いたら取りかかろうという欲望に駆られ続けている。二兎どころか三兎でも四兎でも、否、五兎でも六兎でも追いかけたい誘惑に駆られ続けている。が、不思議なことに同時に多兎を追おうとする誘惑を悪いこととは思われない。結局、大多数の兎を追うことさえ出来ずに生涯を閉じるに相違ない。そうと分かっているのに多兎を追いかけたくてたまらない。こういう欲張り心は私だけの事柄とは思えない。多くの人間に共通な、いわば人間の性(さが)のような気がしてならないのである。
もしも多兎を追うのが人間の性だとしたら、件(くだん)の諺を当てはめることは非人間的な行為ということになる。たしかに諺は真理を突くものが多いが、やはり、真理の一面ではあっても全面ではない。同時に二匹を追うことがあってもいいではないか。否、むしろ現実の世界ではあっちもこっちも同時に手をつけなければならないことが少なくない。否、むしろ、あれもしなければならない、これもしなければならないという状態こそ私たち日常生活の常態なのではないのか。多兎を追うのは悪いことでも恥ずかしいことでもない。いかがであろう。二兎でも三兎でも、否、五兎でも六兎でも追いかけたければ追いかけることにしましょうや。
(2014年8月22日)
「二兎を追うものは一兎をも得ず」という諺がある。「同時に二匹を追っても一匹すら得られない」という意味なのであまりいいことには使われない。が、悲しいかな、人間、一兎だけに集中しろと言われてもなかなか出来ない。
たとえば小生の場合、興味を抱いている古代分野だけに限定しても、あまりに様々なことに興味が湧いて、ひとつに絞りきれない。天皇家はいうに及ばず、蘇我氏も尾張氏も大伴氏も気にかかって、どの氏から手をつけていいやら迷うばかりである。むろん、氏ばかりではない。古墳も埴輪も青銅器も土器もすべて気にかかっている。今は万葉集に取り組んでいるが、手が空いたら取りかかろうという欲望に駆られ続けている。二兎どころか三兎でも四兎でも、否、五兎でも六兎でも追いかけたい誘惑に駆られ続けている。が、不思議なことに同時に多兎を追おうとする誘惑を悪いこととは思われない。結局、大多数の兎を追うことさえ出来ずに生涯を閉じるに相違ない。そうと分かっているのに多兎を追いかけたくてたまらない。こういう欲張り心は私だけの事柄とは思えない。多くの人間に共通な、いわば人間の性(さが)のような気がしてならないのである。
もしも多兎を追うのが人間の性だとしたら、件(くだん)の諺を当てはめることは非人間的な行為ということになる。たしかに諺は真理を突くものが多いが、やはり、真理の一面ではあっても全面ではない。同時に二匹を追うことがあってもいいではないか。否、むしろ現実の世界ではあっちもこっちも同時に手をつけなければならないことが少なくない。否、むしろ、あれもしなければならない、これもしなければならないという状態こそ私たち日常生活の常態なのではないのか。多兎を追うのは悪いことでも恥ずかしいことでもない。いかがであろう。二兎でも三兎でも、否、五兎でも六兎でも追いかけたければ追いかけることにしましょうや。
(2014年8月22日)
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