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4月3日付けの本欄で「手間取る」と題し、万葉集の読解に手間取っていることを記した。その例として4413番歌を示した。ところが、わずかその33番先の至近距離に問題歌が登場した。すでに万葉集読解本文に目を通した方ならお分かりだろう。話を簡単にするため、今回は原文抜きで、いきなり本歌を掲げよう。次の通りだ。
我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け (4446番歌)
この歌には注意書きが付いていて、「左大臣を寿(いわ)った歌」とある。左大臣といえば最高の官職。その左大臣以下一同が部下の一人の家に集まって宴会を催した。この歌はその部下が作った歌。この歌を各専門書はおおむね次のように解している。
「私の家の庭に咲いているナデシコよ。贈り物はするから散らないで若返って咲いてくれ」
これはまことにおかしな解だ。「賄(まい)はせむ」は通常神様に供え物をするときの表現。一番妙なのは結句の「若返って咲いてくれ」だ。花は開花している時が最高潮。若返ってくれでは意味不明。これでは左大臣を寿った歌になりようがない。「寓意歌だから難解」と言われればそれまでだが、すっきりしない。この原因は「をちに咲け」を「若返って咲け」と解した点にある。この歌に左大臣が返歌しているが、理解不能。私はさんざん考え、思い悩んだ。その結果原因は「をち」にあることに思い当たった。「をち」は「若返る」という意味ではなく、「遠く」ないし「彼方」という意味だ。こう解すると、歌は自然にすらすらほぐれ、意味をなした。詳細は万葉集読解本分によられたいが、要するに「左大臣殿は遙か彼方まで咲き続けて下さい」という歌なのである。
これに対して左大臣の返歌は「私だけの願いではなく、お集まりのみなさんに栄えあれとおっしゃっているのでしょう」となり、さすが左大臣の心づかいとなる。
すんなりいくと思っていた巻20に入って私は意外に苦しんでいる。が、それも私の役割と思って励んでいる。先行書の解は可能な限り尊重しているが、私を含めた一般の読者にすんなり分かるようにという目で、見直している次第である。
(2017年4月17日)
4月3日付けの本欄で「手間取る」と題し、万葉集の読解に手間取っていることを記した。その例として4413番歌を示した。ところが、わずかその33番先の至近距離に問題歌が登場した。すでに万葉集読解本文に目を通した方ならお分かりだろう。話を簡単にするため、今回は原文抜きで、いきなり本歌を掲げよう。次の通りだ。
我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け (4446番歌)
この歌には注意書きが付いていて、「左大臣を寿(いわ)った歌」とある。左大臣といえば最高の官職。その左大臣以下一同が部下の一人の家に集まって宴会を催した。この歌はその部下が作った歌。この歌を各専門書はおおむね次のように解している。
「私の家の庭に咲いているナデシコよ。贈り物はするから散らないで若返って咲いてくれ」
これはまことにおかしな解だ。「賄(まい)はせむ」は通常神様に供え物をするときの表現。一番妙なのは結句の「若返って咲いてくれ」だ。花は開花している時が最高潮。若返ってくれでは意味不明。これでは左大臣を寿った歌になりようがない。「寓意歌だから難解」と言われればそれまでだが、すっきりしない。この原因は「をちに咲け」を「若返って咲け」と解した点にある。この歌に左大臣が返歌しているが、理解不能。私はさんざん考え、思い悩んだ。その結果原因は「をち」にあることに思い当たった。「をち」は「若返る」という意味ではなく、「遠く」ないし「彼方」という意味だ。こう解すると、歌は自然にすらすらほぐれ、意味をなした。詳細は万葉集読解本分によられたいが、要するに「左大臣殿は遙か彼方まで咲き続けて下さい」という歌なのである。
これに対して左大臣の返歌は「私だけの願いではなく、お集まりのみなさんに栄えあれとおっしゃっているのでしょう」となり、さすが左大臣の心づかいとなる。
すんなりいくと思っていた巻20に入って私は意外に苦しんでいる。が、それも私の役割と思って励んでいる。先行書の解は可能な限り尊重しているが、私を含めた一般の読者にすんなり分かるようにという目で、見直している次第である。
(2017年4月17日)
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