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私はひそかに自分の能力に自信を持っている。能力といっても多種多様に渡るだろうが、ひとつはっきりしているのは体育系はからっきし駄目だという点である。肺に難点を抱える身なので、今に始まったことではなく、少年時代からずっと駄目なのである。
そんな私でも文化系には多少自信を抱いている。といっても、不器用な私なので、絵画や彫刻は自信がない。楽器演奏、歌唱等々音楽関係も苦手だ。こうして取り除いていくと、文化系もほとんど残らなくなる。
結局、最後に残るのは文筆と詩歌ということになる。感覚や感受性の豊かさが求められる世界だ。この世界なら自分の能力に自信が持てる。人様から見れば、うぬぼれに見える。否、うぬぼれに相違ない。が、内なる自分は、文筆と詩歌ならたいていの人にはひけをとらないと思っている。たとえば、今、取り組んでいる万葉集。完成さえすれば、事柄の性格上、超ロングセラーに成りうると考えている。随分気が長く、地道な作業だ。けれども、この取り組みは、どこかで、誰かが見てくれていると信じている。
結果的にはどうなるか分からない。けれども、多くの人が通読し得るものをと思ってやっていることは無駄ではないと考えている。そして、ここが一番肝心な点だが、それをなし得る自らの感受性と理解力には、ひそかに自信を抱いている。こう思っているからこそ、誰の助けもなく、たったひとりで、気の遠くなるような道を歩んでいけているのだろう。
自らの能力と人の評価とは別であることくらいは、この私でも承知している。が、人は、自分には何かの能力がある、と思いたいのではないだろうか。自分には何の能力もない、と思いこんだら最後、この世に自分の存在価値を見い出せなくなる。自信喪失は一番危険な兆候だ。犯罪の少なからぬ原因はここにある。心ひそかに「これなら負けない」というものを持つ。人生を生き抜くのにこのことが肝要だと思うのである。
(2017年4月21日)
私はひそかに自分の能力に自信を持っている。能力といっても多種多様に渡るだろうが、ひとつはっきりしているのは体育系はからっきし駄目だという点である。肺に難点を抱える身なので、今に始まったことではなく、少年時代からずっと駄目なのである。
そんな私でも文化系には多少自信を抱いている。といっても、不器用な私なので、絵画や彫刻は自信がない。楽器演奏、歌唱等々音楽関係も苦手だ。こうして取り除いていくと、文化系もほとんど残らなくなる。
結局、最後に残るのは文筆と詩歌ということになる。感覚や感受性の豊かさが求められる世界だ。この世界なら自分の能力に自信が持てる。人様から見れば、うぬぼれに見える。否、うぬぼれに相違ない。が、内なる自分は、文筆と詩歌ならたいていの人にはひけをとらないと思っている。たとえば、今、取り組んでいる万葉集。完成さえすれば、事柄の性格上、超ロングセラーに成りうると考えている。随分気が長く、地道な作業だ。けれども、この取り組みは、どこかで、誰かが見てくれていると信じている。
結果的にはどうなるか分からない。けれども、多くの人が通読し得るものをと思ってやっていることは無駄ではないと考えている。そして、ここが一番肝心な点だが、それをなし得る自らの感受性と理解力には、ひそかに自信を抱いている。こう思っているからこそ、誰の助けもなく、たったひとりで、気の遠くなるような道を歩んでいけているのだろう。
自らの能力と人の評価とは別であることくらいは、この私でも承知している。が、人は、自分には何かの能力がある、と思いたいのではないだろうか。自分には何の能力もない、と思いこんだら最後、この世に自分の存在価値を見い出せなくなる。自信喪失は一番危険な兆候だ。犯罪の少なからぬ原因はここにある。心ひそかに「これなら負けない」というものを持つ。人生を生き抜くのにこのことが肝要だと思うのである。
(2017年4月21日)