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万葉集読解・・・294(4465~4474番歌)

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     万葉集読解・・・294(4465~4474番歌)
 頭注に「族(うから)をさとす歌と短歌」とある。族(うから)は一族のことで、ここでは大伴一族を指す。
4465番長歌
   久方の 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし 皇祖の 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を すめらへに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる 大夫の伴
      (比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎々 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都々 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之<波>良能 宇祢備乃宮尓 美也<婆>之良 布刀之利多弖? 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代々々 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖? 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖? 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「~皇祖の」までは、天皇の先祖である天照大御神の孫神、邇邇芸命(ににぎのみこと)が日向の高千穂に天降ったことを指している。「はじ弓」はハジの木で出来た弓。ハジは山漆。「真鹿子矢(まかごや)」は鹿を射る狩り用の矢だが、ここでは人との戦闘に使われる征矢(そや)のことを指している。
 「大久米」は、やはり大伴家持が、4094番長歌で「大伴の遠つ神祖のその名をば大久米主と負ひ持ちて~」と記している。要するに「大伴氏は大変由緒ある氏」ということが言いたいのである。「岩根さくみて」は「岩根を踏み分けて」、「国求(ま)ぎしつつ」は「国を求めて」である。「隠さはぬ」は「隠し事のない」ないしは「曇りのない」という意味である。「おぼろかに」は「おろそかに」ないし「ぞんざいに」。

 (口語訳)
 天界の門を押し開いて、高千穂の峰に天降られた皇祖の神の時代。ハジ木の弓を手に握りしめ、戦闘用の矢を手に挟んだ大久米のつわものを先頭にたてられた。矢を入れた靫(ゆき)を背に負い、山川の岩々を踏み分けて踏み通り、居着く国を探し求めて、ちはやぶる土地の神々を平定なさった。また、服従しない人々を和らげられ、掃き清められ、仕えまつるようにされた。その上で、蜻蛉島なる大和の国の橿原(かしはら)の地の畝傍(うねび)に立派な宮柱を立てて宮をお作りになり、その宮にお入りになった。そうして天下を治められた。その後、天皇の御代は続き、その代々にわたって曇りのない明朗な心で天皇に極め尽くしてきた。そうした先祖代々の官だぞと言葉にして授けて下さった大伴の家。行く先々、子孫に伝える家柄であることを、目にする人、ないし語り継いで耳にする人々の鏡にしてほしい。おろそかにしては惜しくもったいない、清らかな名跡なのだよ。だからぞんざいに考えて、かりそめにも先祖の名を絶やしてはならない。大伴という氏と名を背負っている一族の者たちよ。

4466  磯城島の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男心つとめよ
      (之奇志麻乃 夜末等能久尓々 安伎良氣伎 名尓於布等毛能乎 己許呂都刀米与)
 「磯城島(しきしま)の」は枕詞。「伴の男(を)」は「一族の者たちよ」という意味。
 「大和の国に知れ渡る名を負っている一族の者たちよ。心して務めを果たせ」という歌である。

4467  剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ
      (都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之曽乃名曽)
 「剣太刀」は武門の出であることの象徴。「古(いにしえ)ゆ」は「昔から」。「さやけく負ひて」は「汚れなく清らかな氏として背負ってきた」という意味。
 「剣太刀をいよいよ心して磨ぐべし。いにしえの昔から、汚れなく清らかな氏として背負ってきた、その由緒ある名なのだから」という歌である。
 左注に「右の長歌と短歌は、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)の讒言(虚言、密告)によって出雲守大伴古慈斐宿祢(こしびのすくね)が解任された。このことによって家持が作った歌」とある。

 頭注に「病の床について無常を悲しみ、仏の修業を欲して作った歌二首」とある。
4468  うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
      (宇都世美波 加受奈吉身奈利 夜麻加波乃 佐夜氣吉見都々 美知乎多豆祢奈)
 「うつせみ」は「現在生きているこの身」という意味である。「数なき身なり」は「数えるに足りない身」すなわち「はかない」ということ。
 「現在あるこの身はとるに足りない身。清らかな山や川を眺めながら仏道の道を尋ねてみたい」という歌である。

4469  渡る日の影に競ひて尋ねてな清きその道またもあはむため
      (和多流日能 加氣尓伎保比弖 多豆祢弖奈 伎欲吉曽能美知 末多母安波無多米)
 「渡る日の」は「大空を渡る太陽」。問題は「影に競ひて尋ねてな」である。「影に競って訊ねたい」という意味だが、頭注の「病床の無常」と合わせてどう解釈するか、である。先ず影だが、太陽が山端にかかって沈まんとする山影、すなわち夕日のことを指しているに相違ない。「その夕日が沈まんとする前に」というのが「競ひて」の意味に相違ない。「またもあはむため」は「再びこの世の生活に戻るため」ということであろうか。すんなりいきそうで厄介な心情を詠っている。
 「大空を渡って山端に沈まんとしている太陽。その夕日が山影に隠れない内に清らかな仏道に入りたいものだ。再び元気な自分に戻れるように」という歌である。

 頭注に「生き長らえるのを願っての歌」とある。
4470  水泡なす仮れる身ぞとは知れれどもなほし願ひつ千年の命を
      (美都煩奈須 可礼流身曽等波 之礼々杼母 奈保之祢我比都 知等世能伊乃知乎)
 「水泡(みつぼ)なす」は「水の泡のような」、「なほし願ひつ」は「それでもやはり願う」という意味である。
 「水の泡のような仮のはかない命とは承知しているけれど、それでもやはり願わずにいられない。千年続く命を」という歌である。
 左注に「以上の六首(4655~4670番歌)は六月十七日大伴宿祢家持作歌」とある。六月十七日は天平勝宝8年(756年)。

 頭注に「冬十一月五日夜、小し雷鳴があり、雪が降って庭を覆う。たちまち感慨に襲われ作った歌」とある。十一月五日は前歌と同じく天平勝宝8年(756年)。
4471  消残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつとに摘み来な
      (氣能己里能 由伎尓安倍弖流 安之比奇<乃> 夜麻多知波奈乎 都刀尓通弥許奈)
 「あへ照る」は「共に照り映えて」という意味である。が、「あへ」をこういう風に使うのは珍しい。「逢う」という意味に使われるのが多く、「共に」は「なへ」ないし「あい」という例が多い。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「つと」は「手みやげ」
 「消え残った雪と黄色い山橘の実が照り映えあって輝いている。山橘の実を手みやげにすべく摘みに出かけようか」という歌である。
 左注に「右は兵部少輔大伴宿祢家持の歌」とある。

 頭注に「八日、讃岐守安宿王(あすかべのおほきみ)等が出雲掾安宿奈杼麻呂(あすかべのなどまろ)の家に集まって開いた宴の時の歌二首」とある。讃岐守(さぬきのかみ)は讃岐の国(香川県)の長官。出雲掾(いずものじょう)は出雲の国(島根県東部)の三等官。
4472  大君の命畏み於保の浦をそがひに見つつ都へ上る
      (於保吉美乃 美許登加之古美 於保乃宇良乎 曽我比尓美都々 美也古敝能保流)
 「於保(おほ)の浦」は不詳。「そがひに」は「背後に」という意味。
 「大君のご命令を恐れつつしみ、於保の浦を背後に見ながら上京する」という歌である。
 左注に「右は掾安宿奈杼麻呂の歌」とある。

4473  うちひさす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ
      (宇知比左須 美也古乃比等尓 都氣麻久波 美之比乃其等久 安里等都氣己曽)
 「うちひさす」は枕詞。「告げまくは」は「告げて下され」。「見し日のごとく」は「都にいたときと同様」という意味である。
 「上京されたら都の人に告げて下され。都にいたときと同様元気にやっておりますと」という歌である。
 左注に「右は守山背王(やましろのおほきみ)の歌。主人安宿奈杼麻呂(あすかべのなどまろ)が言うには「私、奈杼麻呂は朝集使として派遣され、上京することになりました」と。これによって一同が送別の宴を設け、各々が歌作してその思いを述べた」とある。朝集使は一年間の政治状況を記した朝集帳を持って中央に報告に行く役目。

4474  群鳥の朝立ち去にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく [一云 思ひしものを]
      (武良等里乃 安佐太知伊尓之 伎美我宇倍波 左夜加尓伎吉都 於毛比之其等久 [一云 於毛比之母乃乎])
 「さやかに」は「はっきりと」という意味。この歌は朝集使としてやってきた奈杼麻呂から、山背王の元気な様子を耳にした想定で作歌されている。したがって、各書のように、「君が上は」を(都に)旅だった奈杼麻呂のことと解するのはおかしい。「君が上は」は「あなたのことは」という意味である。
 「群鳥が朝飛び立つようにこちらに向かわれた使いの人からあなたのことははっきりうかがいました。思っていたとおりお元気な様子なによりです」という歌である。異伝歌の結句は「思ってはいましたが」となっている。
 左注に「右は兵部少輔大伴宿祢家持が後日、出雲守山背王に応えた歌」とある。
           (2017年4月23日記)
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