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万葉集読解・・・116(1694~1709番歌)

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     万葉集読解・・・116(1694~1709番歌)
1694  栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはね妹に示さむ
      (細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示)
 鷺坂(さぎさか)で作った歌。1687番歌の際にも記したが、鷺坂は京都府城陽市久世にある坂とされる。「栲領巾の」(たくひれの)は285番歌に使われていたが枕詞。白布のことで、椿の樹皮等で作る。「にほはね」は「染めてほしい」という意味。「栲領巾のように真っ白な鷺の坂。そこに咲くこれまた真っ白な白ツツジ。その美しい白に私を染め上げてくれないか。帰ったら妻に見せたいから」という歌である。

1695  妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
      (妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遣 未冬鴨)
 泉川で作った歌。泉川は京都を流れる木津川の古名。
 「妹が門入り泉川の」は「入(い)り出(い)づ」で、泉川を導く序とされている。が、序ではなく、そのまま素直に「彼女の家の門に入り込んでいる泉川」と解して差し支えないように思われる。「常滑(とこなめ)に」は「水苔でいつもつるつるしている所」。「彼女の邸宅に流れ込んでいる泉川の常滑にはまだ雪が残っている。まだ冬なのだろうな」という歌である。

1696  衣手の名木の川辺を春雨に我れ立ち濡ると家思ふらむか
      (衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可)
 題詞に「名木河(なきがは)で作った歌三首」とある。1688番歌の際に記したように、名木川は京都府城陽市の北西にある久御山町(くみやまちょう)を流れていた川だという。
 「衣手(ころもで)の」は枕詞(?)。「家思ふらむか」は「家人(妻)は思ってくれるだろうか」という意味である。「私は名木川の川辺で春雨に濡れながら佇んでいるのだけれど、わが妻はそんな私のことを心配してくれているだろうか」という歌である。

1697  家人の使ひにあらし春雨の避くれど我れを濡らさく思へば
      (家人 使在之 春雨乃 与久列杼吾等乎 沾念者)
 本歌は難解な所がある。前歌の題詞に「名木川三首」とある以上、三首全体で考えてみないといけないだろう。前歌は春雨に濡れて立っている状況で妻の心配を期待している歌。なので、「春雨を妻が監視するために降らせた」と解する「伊藤本」はナンセンス。本歌は倒置表現に相違ない。「春雨を手で避けようとしてもずぶぬれになってしまった。春雨は、私が干してあげるから(すなわち、早くお帰りなさい)という妻からの使いの印だろうか」という歌である。

1698  あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを真使ひにする
      (炙干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使尓為)
 前々歌と前歌の読解を理解すれば本歌は明快。「濡れた着物を干してくれる人などあろう筈もない。この春雨すらも妻からの使いだと思ってしまう」という歌である。

1699  巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
      (巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈渡良之)
  題詞に「宇治河(うぢがは)で作った歌二首」とある。
 巨椋(おほくら)は「岩波大系本」に「京都府宇治市から久世郡にわたり、広く湛えていた池」とある。「射目人(いめひと)の」は本歌以外に用例なし。枕詞(?)。ただし、射目そのものは1549番歌及び長歌の3278番歌に「~射目立てて 鹿猪(しし)待つがごと~」という形で出てくる。射目は獲物を射止めるために身を隠して待ち伏せする場所のことをいったようなので、その意味からの読解も可能である。「伏見が田居(たい)に」は「京都の伏見方面の田園地帯に」という意味かと思われる。「巨椋池の入り江が雁の鳴き声で騒がしい。どうやら北方、伏見の田園地帯に渡っていくようだ」という歌である。そして射目に着目した読解を試みると、「狩人が獲物を射止めるために身を隠して待ち伏せしていると、巨椋池の入り江が騒がしくなった。どうやら雁が飛び立って、北方、伏見の田園地帯に渡っていくようだ」という歌になる。

1700  秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも
      (金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨)
 「山吹の瀬」とは宇治川のどこの瀬のことか不明。「鳴るなへに」は1088番歌の「山川の瀬の鳴るなへに」その他の歌にあるように「~なへに」の形で「~とともに」の意味。「秋風吹く宇治川に瀬音が轟いているが、遙か天空、天雲を翔けていく雁の群れが見えた」という歌である。

1701  さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空を月渡る見ゆ
      (佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見)
 弓削皇子(ゆげのみこ)に獻った歌三首。弓削皇子は天武天皇の皇子。
 「さ夜中」の「さ」は接頭語なので意味上は考慮の外に置いていい。「夜は更けて真夜中に入っているようだ。雁が鳴きながら渡っていく夜空を月も渡っていくのが見える」という歌である。

1702  妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに
      (妹當 茂苅音 夕霧 来鳴而過去 及乏)
 「妹があたり」は「彼女の家のあたり」という意味である。「すべなきまでに」は直訳すれば「どうしようもないまでに」であるが、「せつないまでに」とした方が作者の心情にかなうだろう。「「彼女の家のあたりで騒がしく鳴き立てる雁の声が聞こえていたが、夕霧の中を鳴きながらやってきて通り過ぎていった。ああ、切ないことよ」という歌である。

1703  雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
      (雲隠 鴈鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過)
 「片待つ時」はあまり見かけない表現。二つ先の1705番歌にもあるが、ほかには2093番歌に見えるのみである。意味上はっきりわかるのは1705番歌。「片や待つ」という意味である。「雲に見え隠れし、雁が鳴きながら渡っていく季節。その季節は過ぎていくけれど、片や黄葉の季節がやってくるのも待ち遠しい」という歌である。

1704  ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
      (捄手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留)
 舎人皇子(とねりのみこ)に獻った歌二首。舎人皇子も天武天皇の皇子。
 「ふさ手折り」は1683番歌に出てきたばかりだが、「総手折り」、すなわち「手一杯」のこと。本歌は枕詞(?)。それとも、霧が深いという意味?。むろん私は「霧が深い」と解しておきたい。多武山は奈良県桜井市の多武峰。細川は多武峰に発する川。「多武峰に深くたちこめた霧が濃いためか細川の瀬の波音が高く聞こえる」という歌である。

1705  冬こもり春べを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ我れぞ
      (冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等叙)
 「冬こもり」は「冬の真っ最中」。「片待つ」は前々歌に既述。「冬の真っ最中、春がやってきて芽吹くのを心待ちにして木を植えたのだが、片や、その先の実になる季節の到来を早くも心待ちにしている」という歌である。

1706  ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手を高屋の上にたなびくまでに
      (黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏霺麻天尓)
 作者は舎人皇子。
 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。意味不明なのが「衣手(ころもで)を」。「衣手を」の例は6例あるが、本歌以外は「着物の袖を」という解読でちゃんと意味が通る。安易に枕詞としていいか。枕詞(?)としておこう。「夜霧がたちこめている。着物の両袖を高く掲げて見上げると高屋の上に覆い被さるほど霧がたちこめている」という歌と解しておきたい。

1707  山城の久世の鷺坂神代より春ははりつつ秋は散りけり
      (山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来)
 鷺坂(さぎさか)で作った歌。鷺坂は京都府城陽市久世にある坂とされる。1687番歌にも「鷺坂で作った歌」とあった。
 「春ははりつつ」は「春には芽吹いて蕾を付け」という意味である。「山城(京都)の久世の鷺坂の草木は神代の昔から、春になると芽吹いて蕾を付け、秋になると散ってきたのだなあ」という歌である。

1708  春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり
      (春草 馬咋山自 越来奈流 鴈使者 宿過奈利)
 泉川の川辺で作った歌。1695番歌で記したように、泉川は京都を流れる木津川の古名。
 咋山(くひやま)は京都府京田辺市飯岡に鎮座する咋岡神社のある岡のことという。同社は延喜式神名帳に登載されている、いわゆる式内社のひとつで、由緒深い神社。「春草を馬咋山(うまくひやま)ゆ」は咋山を導く序。「春草を馬が食うという、その咋山から」という意味。また、雁の使は1614番歌の際に次のように記した。
 「「初雁の使」は「岩波大系本」に中国の故事に基づいて「雁の足に手紙をつけて本国に連絡したという故事によって、手紙の使の意に用いる」とあるように、使いのこと。」
 「宿り過ぐなり」は作者が旅路にあって、「泉川の近くに宿をとっていて、その上空を使いの雁が通り過ぎていった」という意味である。「咋山を越えてやってきた雁の使は故郷(家)からの伝言は持たず、私のいる宿を通り過ぎていってしまった」という歌である。

1709  御食向ふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる
      (御食向 南淵山之 巌者 落波太列可 削遺有)
 弓削皇子(ゆげのみこ)に獻った歌。弓削皇子は天武天皇の皇子。
 「御食(みけ)向ふ」は枕詞(?)。4例中3例は長歌。短歌は本歌のみ。南淵山(みなぶちやま)は奈良県明日香村の稲淵の山のことだという。「降りしはだれ」は「はらはらと降った淡雪」。「南淵山の巌には、はらはらと降った淡雪が消え残っている」という歌である。
 左注に「右は柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。本歌だけを指す左注なのか、それ以前の歌も含んでいるのか「右は」とあるだけなのではっきりしない。
           (2014年10月26日記)
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