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万葉集読解・・・1(序:1~6番歌)

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     万葉集読解・・・1(序:1~6番歌)             
最初にお断りしておかなければならないのは、本書の目的は研究書だの学術書だのではない。その狙いは、私をも含めて一般の人々が親しめる万葉集にしたい、その一心にある。大方ご承知のように、万葉集は国民的財産である。それを私たち自身のものにしたい。それ以上でもそれ以下でもない。そう願ってここに筆をとることにした。
 初めて万葉集に興味を抱いた方のために、最少限の知識を提示しておこう。
 万葉集は奈良時代に編纂された我が国最古の歌集。760年頃から810年頃にかけての成立と目されている。全部で二十巻。収められている歌は全部で4516歌。
 以上である。えっ、たったそれだけ?。そう、これだけの知識があれば、当面十分である。それ以上のことは直接万葉集に当たらないと分からない。たとえばもっとも基本的な編纂者さえ不詳である。平城天皇(806年~809年在位)による勅撰歌集とも大伴家持撰とも言われている。大伴家持撰とすれば生前に完成していた筈で、万葉集最後の歌は天平宝字3年(759年)であるから、760年から遠くない内に成立している。こんなわけで万葉集は謎だらけで、その謎を巡っておびただしい数の論戦がかわされている。もっと知りたい向きは各自、直接当たっていただきたい。
 万葉集についてもっとも大切なことはその人気の高さである。、我が国には古来から「源氏物語」「徒然草」「枕草子」「平家物語」等々数え切れない程多くの文献が存在し、私たち国民の文化財産として親しまれ続けている。が、そんな古典の中にあって、その人気の高さ、幅の広さ、厚さにおいて万葉集をしのぐものはない。というより万葉集は一等群を抜いた国民的財産であり、日本文化の代名詞といっても言い過ぎではないだろう。
 各家庭の書棚には万葉集だけは鎮座している。そう断言してよいのではなかろうか。問題はその先にある。それほどの古典でありながら、実際に目を通したことのある人ということになると、少なかろう。なるほど一度や二度はパラパラとページを繰ったことはあろう。が、それだけである。後は書架の一画を占めたまま書架の肥やしになり続ける。かく申す私自身、万葉集は放置したまま、まるで書架に飾られた背高こけしであった。
 そんな国民的財産でありながら、現実に万葉集を開くとちっとも面白くない。たとえば代表的な万葉本である岩波書店の「万葉集」(日本古典文学大系)(以下「岩波大系本」と略称。)はページの上段に細字でぴっしりと解説が施されている。
 いわく「ク語法」、「上一段活用動詞」、「助動詞連体形」、「ワタは朝鮮語と同源」等々の注記が頻出する。さらに、やたら「~ペーシ参照」、「~番歌参照」の指示注が頻出する。こうした解説では辟易するばかりで、歌の観賞どころではないのである。せめて「未詳」や「不詳」なら「ああ、そうか」で前へ進めるけれど・・・。
 で、以下、基本的に、一切細字の注釈や解説をなくし、そのまま一首ごとないしは全体が通読できるように工夫したつもりである。私たち一般の者が親しめる万葉集を願って。
 参考にしたのは、先述の「岩波大系本」を中心に、佐佐木信綱編の「万葉集」(岩波文庫)(以下「佐々木本」と略称。)、伊藤博の「万葉集」(角川ソフィア文庫)(以下「伊藤本」と略称。)、中西進の「万葉集」(講談社文庫)(以下「中西本」と略称。)を参考にし、出来るだけ先学の業績に依拠しつつ、読み進めていきたい。

 雜 歌(0001~0084番歌までを雑歌としている)
 頭注に「泊瀬の朝倉の宮の御宇の天皇代」とあり、細注に「大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)」とある。「泊瀬(はつせ)の朝倉の宮」は奈良県桜井市の初瀬(はせ)から朝倉にかけてのどこかにあったと考えられている。大泊瀬稚武天皇は第二十一代雄略天皇。
  天皇御製歌
0001番長歌
   篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
 (篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「篭(こ)もよ」は後句に「菜摘ます子」とあるように、「摘んだ菜を入れる篭」のこと。「堀串(ふくし)」は竹や木で作った土を掘る道具。へらの類か。「そらみつ」は万葉集中6例あって、大和を承ける枕詞。が、4音の枕詞は珍しい。

 (口語訳)
 篭持つ、美しい篭を持つ娘さんよ。堀串(ふくし)もね、美しい堀串を持ち、この岡で菜摘みをしている娘さんよ。どこの家の子か聞きたい。教えてくれないか。この大和の国は私こそおしなべて統べ、支配の中心に座っている者だ。だから聞かせてくれないか。娘さんの家も名前も。

 頭注に「高市の岡本の宮の御宇の天皇代」とあり、細注に「息長足日廣額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)」とある。「高市(たけち)の岡本の宮」は奈良県高市郡明日香村にあったと考えられている。息長足日廣額天皇は第三十四代舒明天皇。
 天皇、香具山に登られて國を望まれた時の御製歌。
0002番長歌
   大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は  (山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜柌國曽 蜻嶋 八間跡能國者)

  「とりよろふ」ははっきりしないが、取り付く島の「とり」と、寄っているの「よろふ」で「手近にある」という意味かと思われる。「精霊のよりどころ」と解するのはどうか?。「天の香具山」は奈良県橿原(かしはら)市にある山。「うまし国ぞ」は「立派な国」ないし「美しい国」という意味。蜻蛉島(あきつしま)は美称。

 (口語訳)
 「大和には 色々な山々があるが、手近にある天の香具山に登り立って国見をすると、国原には煙が立ちのぼり、海原には鴎が飛び立っている。美しく立派な国だよ、蜻蛉島なる大和の国は」。

 頭注に「天皇、宇智の野に狩りに出かけられた時i、中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)が獻った歌」とある。宇智は奈良県五條市北宇智あたりの地。中皇命(なかつすめらのみこと)は舒明天皇の皇女。
0003番長歌
やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり
  (八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里)

 「やすみしし」は枕詞。26例あって大部分(23例)が長歌に使用されている。儀式用語か。「梓(あづさ)弓」は梓の木で造った弓。「中弭(なかはず)」は弓の弦の内側というが、はっきりしない。

 (口語訳)
 「八方隅々まで支配なさる大君。朝方には手に取って撫でられ、夕方には寄り添ってお立ちになるご愛用の梓弓。中弭(なかはず)の音が鳴り響いて朝の狩りに今お立ちになったようだ。夕方は夕方で夕方の狩りに今出かけられたようだ。ご愛用の梓弓の中弭の音が鳴り響いている」

 反歌
0004 たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
(玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野)
 万葉集を開いて最初に登場する短歌。「たまきはる」は枕詞。本歌は宇智にかかっているが、多くは命(いのち)にかかる。「宇智の大野」は前歌頭注参照。
広々とした狩り場と思えばよい。「朝踏ますらむ」は「さあこれから狩りをするぞ」という意気込み。草深野は文字通り草深い野のこと。「宇智の大野」のこと。
 「宇智の大野に馬を並べ、さあ、これから朝狩りにでかけようではないか。草深い野の草を踏んで」という歌である。

 頭注に「讃岐國の安益郡に幸(いでま)した時、軍王(いくさのおほきみ)が山を見て作った歌」とある。讃岐國(さぬきのくに)は香川県。安益郡(あやのこほり)はかって香川県中央部にあった郡。
0005番長歌
霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心
 (霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情)

  「わづきも知らず」は語義未詳だが、前後の関係から「いつの間にか」という意味だろう。「むらきもの」は枕詞。4例しかなく、短歌はたった一例。「ぬえこ鳥」はトラツグミの異称。「たづきを知らに」は「手段も分からず」という意味。「網の浦」は香川県坂出市の海岸。

 (口語訳)
 霞立つ永い春の日もいつの間にか暮れてきた。心悲しくなって、トラツグミのように、泣いていると、遠い昔から神でいらしゃる大君がおいでになっている山の、その山を越してタスキをかけたように、風が吹いてきた。ひとりいる私の着物の袖が朝夕吹き付ける風にひるがえる。一人前の男子と思っている私も、旅にある身。寂しさはどうしようもなく、網の浦で乙女たちが焼いている塩のように、故郷が思い焦がれてたまらない

 反歌
0006 山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ
(山越乃 風乎時自見 寐<夜>不落 家在妹乎 懸而小竹櫃)
 「時じみ」は、たとえば317番歌に「時じくぞ雪は降りける」とある。「絶え間なく」とか「時となく」といった意味である。「み」は「~ので」のみ。
 「山越の風が絶え間なく吹くのでよく寝られず、故郷の彼女を思って偲んでいる」という歌である。
     (2013年1月21日、2017年5月18日記。)
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