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「六十の手習い」という言葉がある。文字通りなら、六十歳になってから学問や習い事を始めることである。ところが、人生五十年と言われた頃から見れば、今は平均寿命が八十歳ほどなので、30年も寿命が延びている。つまり、「六十の手習い」は「七十の手習い」、「八十の手習い」、「九十の手習い」などと言い直さねばならなくなっている。ということは、物事を始めるのに年齢は関係ない。始めようと思った瞬間が「その時」なのである。その実例に私は出合った。
昨夜、英会話クラブの例会で驚くべき先輩に出合った。どのくらい、先輩かというと、5,6年先輩だ。私自身が高齢者に入っているので、もう80歳代に入っておられる。
その方と話していたら(むろん、英語でですぞ、Englishでですぞ)、先輩は「これからピアノを始めようと準備している」とおっしゃった。私は我が耳を疑った。準備とおっしゃったからだ。「準備って普通のアプライトピアノですか」と聞いたら「じゃなくって」といって言葉を濁された。よくよく、聞くと、グランドピアノで、もう40年近くも部屋に放置してあったらしい。若い頃、習ったことがあって、多忙で続けられなくなったらしい。ひまが出来たら再開しようと思っていたので、今、そのチャンスがめぐってきた、という思いらしい。「好きなことはやはり、心おきなくしたいですから」、こうおっしゃってにっこりされた。
私の場合は、文筆に従事することを除けば、写真を撮ることと、囲碁くらいなものだが、しかし、グランドピアノとなると、半端な気持では始められない。清掃や調律などにそれなりの準備が要るに相違ない。私などは、とてもこの先輩のように、グランドピアノを弾きこなそうなどという野望は持てそうにない。が、始めたことはやり遂げよう、という意気込みだけは保持しているつもりだ。意気込みの面で一人仲間が増えた気になった。
(2017年6月4日)
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「六十の手習い」という言葉がある。文字通りなら、六十歳になってから学問や習い事を始めることである。ところが、人生五十年と言われた頃から見れば、今は平均寿命が八十歳ほどなので、30年も寿命が延びている。つまり、「六十の手習い」は「七十の手習い」、「八十の手習い」、「九十の手習い」などと言い直さねばならなくなっている。ということは、物事を始めるのに年齢は関係ない。始めようと思った瞬間が「その時」なのである。その実例に私は出合った。
昨夜、英会話クラブの例会で驚くべき先輩に出合った。どのくらい、先輩かというと、5,6年先輩だ。私自身が高齢者に入っているので、もう80歳代に入っておられる。
その方と話していたら(むろん、英語でですぞ、Englishでですぞ)、先輩は「これからピアノを始めようと準備している」とおっしゃった。私は我が耳を疑った。準備とおっしゃったからだ。「準備って普通のアプライトピアノですか」と聞いたら「じゃなくって」といって言葉を濁された。よくよく、聞くと、グランドピアノで、もう40年近くも部屋に放置してあったらしい。若い頃、習ったことがあって、多忙で続けられなくなったらしい。ひまが出来たら再開しようと思っていたので、今、そのチャンスがめぐってきた、という思いらしい。「好きなことはやはり、心おきなくしたいですから」、こうおっしゃってにっこりされた。
私の場合は、文筆に従事することを除けば、写真を撮ることと、囲碁くらいなものだが、しかし、グランドピアノとなると、半端な気持では始められない。清掃や調律などにそれなりの準備が要るに相違ない。私などは、とてもこの先輩のように、グランドピアノを弾きこなそうなどという野望は持てそうにない。が、始めたことはやり遂げよう、という意気込みだけは保持しているつもりだ。意気込みの面で一人仲間が増えた気になった。
(2017年6月4日)