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先日、テレビで没イチをめぐる番組をやっていた。私には耳慣れない用語で、没イチというのは、配偶者の一方が死去して、片方だけ残った人のことをいうらしい。どうも離婚経験者をいうバツイチの派生語のようだ。ちなみに離婚を二回経験した人はバツニ、三回の人はバツサンと呼ぶらしい。
さて没イチだが、核家族化が進んだ現在、残された一人は独居老人が多い。主として男性高齢者を指すようだ。私はバツイチも没イチも用語自体に不快感を覚える。どこか人の不幸を茶化した響きがあるからである。特に没イチは不快感を越えて怒りに似た感覚が湧く。「あの人没イチだってよ」などとどこの誰が言うというのであろう。少なくとも、新聞やテレビ等マスコミでは絶対に使用しないでいただきたい。独居老人問題は独居老人問題と正面向かって呼んでいただきたい。
いくら仲睦まじい夫婦も、途中で必ず配偶者を亡くす時が来る。お互いに居て当たり前の相手だけに、残された方は大きな衝撃である。仲睦まじければ睦まじいほど衝撃は大きいことだろう。
この点離婚とは大きく異なる。実は私は離婚経験を持っている。いわゆるバツイチの身だ。離婚は衝撃だが、そこに至る経緯があって結果的に別れたため、日にちが経つと次第にプラス思考に変化してくる。他の人は知らないが、私の場合はそうだった。やがてガールフレンドも出来て、寂しさも薄らいでくるかも知れない。
独居老人、いわゆる没イチ者の衝撃は薄らぐことがなく、ある意味深刻に相違ない。独居老人になった人は、お互いに集まったり、情報交換をしたりしながら、少しでも前を向いて生きられるようにしたいものである。したがって、マスコミにお願いしたいのは、没イチなどと気軽な呼びかけで取材しないでいただきたいことである。
(2017年6月15日)
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先日、テレビで没イチをめぐる番組をやっていた。私には耳慣れない用語で、没イチというのは、配偶者の一方が死去して、片方だけ残った人のことをいうらしい。どうも離婚経験者をいうバツイチの派生語のようだ。ちなみに離婚を二回経験した人はバツニ、三回の人はバツサンと呼ぶらしい。
さて没イチだが、核家族化が進んだ現在、残された一人は独居老人が多い。主として男性高齢者を指すようだ。私はバツイチも没イチも用語自体に不快感を覚える。どこか人の不幸を茶化した響きがあるからである。特に没イチは不快感を越えて怒りに似た感覚が湧く。「あの人没イチだってよ」などとどこの誰が言うというのであろう。少なくとも、新聞やテレビ等マスコミでは絶対に使用しないでいただきたい。独居老人問題は独居老人問題と正面向かって呼んでいただきたい。
いくら仲睦まじい夫婦も、途中で必ず配偶者を亡くす時が来る。お互いに居て当たり前の相手だけに、残された方は大きな衝撃である。仲睦まじければ睦まじいほど衝撃は大きいことだろう。
この点離婚とは大きく異なる。実は私は離婚経験を持っている。いわゆるバツイチの身だ。離婚は衝撃だが、そこに至る経緯があって結果的に別れたため、日にちが経つと次第にプラス思考に変化してくる。他の人は知らないが、私の場合はそうだった。やがてガールフレンドも出来て、寂しさも薄らいでくるかも知れない。
独居老人、いわゆる没イチ者の衝撃は薄らぐことがなく、ある意味深刻に相違ない。独居老人になった人は、お互いに集まったり、情報交換をしたりしながら、少しでも前を向いて生きられるようにしたいものである。したがって、マスコミにお願いしたいのは、没イチなどと気軽な呼びかけで取材しないでいただきたいことである。
(2017年6月15日)