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万葉集読解・・・8(79~84番歌)

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     万葉集読解・・・8(79~84番歌)             
 頭注に「或本によれば藤原京から奈良京に遷る時の歌」とある。
0079番長歌
  大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ
  (天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 舩浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之水凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「柔(にき)びにし」は「慣れ親しんだ」という意味。「こもりくの」、「玉桙(たまほこ)の」、「あをによし」は皆枕詞。「泊瀬川」は奈良県桜井市の初瀬川。「佐保川」は奈良市内を流れる川で、坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が居を構えていた佐保がある。

  (口語訳)
  大君の仰せをもったいなくも賜り、慣れ親しんだ我が家を後にし、初瀬川に舟を浮かべる。初瀬川にはいくつもの曲がり角があり、たくさんの曲がり角にさしかかるたびに振り返って、我が家の方を見て、進んでいく内に日が暮れ、やがて奈良の都の佐保川に至る。
仮寝にはおった布の上から明け方の月夜が清らかに見える。真っ白な霜が降り、岩床のように川の水が凝り固まっているように見える。そんな寒い夜でも休むことなく、通い続けて新しい宮を造りあげました。いついつまでもお住みになられるよう、いらっしゃいませ、大君様。私もここに通って参ります。

  反 歌
0080  あをによし奈良の家には万代に我私もれも通はむ忘ると思ふな
(青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿)
 こちらの歌が藤原京から平城京に遷る時の歌。したがって「奈良の家」は「奈良の新居」すなわち天皇の宮を指している。それを「宮」と言わないでなぜ「家」と呼んでいるのだろう。天皇一家の誰かの歌だろうか。それとも建築に携わった誰かだろうか。
 「あをによし、奈良の家にはいついつまでも万代に、私も通って参ります。決して新居を忘れてしまうだろうと思し召すな」という歌である。
 左注に「右は作者未詳」とある。

 頭注に「和銅五年(壬子年)夏四月、長田王(をさだのおほきみ)を伊勢の齋宮に遣わした時、山邊御井で作った歌」とある。和銅五年は712年。伊勢の齋宮(さいぐう)は伊勢神宮のこと。山邊御井は所在不詳。
0081  山辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子どもあひ見つるかも
(山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨)
 「山辺の御井(みゐ)」は当時伊勢神宮の境内にあった名所のひとつだったようだ。「見がてり」は単純に「見がてら」と解しておきたい。「神風の」は枕詞。万葉集中「神風の」は6例あるが、すべて伊勢にかかっている。ちょっと悩ましいのが結句二句の「伊勢娘子どもあひ見つるかも」である。常識的には伊勢娘子(いせおとめ)は巫女さんたちととれる。が、訪れた作者は神宮には巫女さんたちが奉仕していることは百も承知の筈。それをわざわざ「見がてら」とした後に詠い込んでいることを考えると、参拝に訪れてきた娘子たちは美しい人が多かった、という意味にもとれる。
 「山辺の御井を見がてら、伊勢神宮に参拝にきた美しい乙女(あるいは巫女)たちを眺めたことだ」という歌である。

0082  うらさぶる情さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば
(浦佐夫流 情佐麻<祢>之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者)
 「うらさぶる情(こころ)さまねし」は「うらさびしい気分でいっぱいになる」という意味である。「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。歌は倒置表現になっていて、「流れるように降りしきるしぐれを見ていると」が後にもってこられている。この倒置によりうらさびしさがいっそう強調されている。
 「うらさびしい気分でいっぱいになる。天からしぐれが流れるように降ってくるのを見ていると」という歌である。

0083  海の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む
(海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武)
 「海の底沖つ白波(が立つ)」は「立田山(たつたやま)」を導く序歌表現。竜田山は奈良県生駒山地を流れる竜田川流域に連なる山々。素朴な心情が伝わってくる好感の持てる歌。
 「遠く海の底から寄せる沖の白波のように立つ竜田山。ああ、早くこの山を越えて彼女が待つ故郷(くに)の辺りを見たい」という歌である。
 左注に「右二首は、今考えるに御井で作った歌ではない。その際、詠んだ古歌か」とある。

 頭注に「奈良の宮」とあり、長皇子と志貴皇子が佐紀宮で共に宴会を開いた時の歌」とある。長皇子(ながのみこ)は四十代天武天皇の皇子。志貴皇子(しきのみこ)は三十八代天智天皇の皇子。佐紀宮は長皇子の邸宅。
0084  秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上
(秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍)
 長皇子邸で持たれた宴で、長皇子が邸宅から見える高野原を志貴皇子に説明している歌である。「秋さらば」は「秋になると」。「今も見るごと」はこのままでは分かりづらいが、秋の前の夏場の宴会だとすれば、屏風か襖に鹿の絵が描かれていたのだろう。それを指さしながら、「あの山が牝鹿を恋うて牡鹿が鳴くという山です」と説明している図である。高野原は長皇子邸から見える景色。
 「秋になると、この絵に描かれているように、牡鹿が妻恋しさに鳴くだろう。あの山、あの高野原の上の山では」という歌である。
 左注に「右は長皇子の歌」とある。

 以上で、万葉集巻1は終了である。
          (2013年2月9日記、2017年6月16日記)
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