Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・12(119~131番歌)

$
0
0

     万葉集読解・・・12(119~131番歌)              頭注に「弓削皇子、紀皇女を思う御歌四首」とある。弓削皇子(ゆげのみこ)及び紀皇女(きのひめみこ)は四十代天武天皇の皇子。異母兄妹。
0119  吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも
     (芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢<濃>香問)
 弓削皇子と紀皇女は異母兄妹だが、異母兄妹の恋愛は許された。恋の成り行きを吉野川の流れに例えた歌。「瀬の早み」は「~ので」のみ。「しましくも」は「いっときとして」で、「ありこせぬかも」は「あってくれたらなあ」と恋の円滑な進展を願望している。
 「吉野川の瀬が速いように、いっときも淀まないでいてくれたらなあ」という歌である。

0120  我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを
     (吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)
 「我妹子」は私の妹という意味ではなく、恋人ないし彼女を指す。「恋ひつつあらずは」は「恋い焦がれ悶々としているくらいなら」という意味である。
 「彼女に恋い焦がれ悶々としているくらいなら、たとえいっときでも咲いて散る秋萩になりたい」という歌である。

0121  夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな
     (暮去者 塩満来奈武 住吉乃 淺鹿乃浦尓 玉藻苅手名)
 「夕さらば」は「夕方になると」。「住吉の浅香の浦に」は大阪市住吉区の浜。「玉藻刈りてな」は「紀皇女を刈り取りたい」という寓意か。
 「夕方になると、潮が満ちて来るだろう住吉の浅香の浦。今の内に玉藻を刈り取りたい」という歌である。

0122  大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子故に
     (大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓)
 「大船の~たゆたひに」は比喩。「人の子故に」は「人妻故に」である。
 「港に停泊した船が波に揺られる様に似て、私は物思いに揺れる日々を送る内に痩せてしまった。あなたが人妻故に」という歌である。
 以上が弓削皇子の歌すべて。人妻故にどうにもならない苦しい胸の内が吐露されているけれど、現実に彼女と関係まで発展したか否か一切不明。他に依るべき史料もない。

 頭注に「三方沙弥(みかたのさみ)、園臣生羽(そののおみいくは)の娘を娶って幾ばくも経たないうちに病に臥し、作った歌三首」とある。三方沙弥も園臣生羽も伝未詳。
0123  たけばぬれたかねば長き妹が髪このころ見ぬに掻き入れつらむか(三方沙弥)
    (多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香 )
 118番歌の際、結句の「漬(ひ)ちてぬれけれ」の「ぬれけれ」は「岩波大系本」ほか諸書は「ほどける」と解しているが、そうではなく、素直に「濡れけれ」とするのが適切とした。が、本歌の場合、「たけばぬれ」の「たけば」は「束ねれば」という意味なので、「岩波大系本」等の説くように、この「ぬれ」は「ほどける」と私も解した。が、その後疑問が湧き、念のために「ぬれ」の原文「奴礼」を全万葉歌にわたって調べてみた。34例ある。34例中「さまよひねれば」(199番長歌)や「なりぬれど」(3604番歌)のように助詞に使用されているものがあり、118番歌や本歌のように動詞として使われているものは16例ある。そのすべては「露霜の濡れて」(3382番歌)や「裳の裾濡れぬ」(3661番歌)のように「濡れる」の意で使われている。または「かき抱き寝れど」や「ひとりさ寝れば」のように「寝る」で、例外はない。
 すると、「たけばぬれ」も「たけば濡れ」の意味ではないか、と結論するに至った。
 「束ねれば濡れたように美しく光り、束ねなくて長いままでも美しい彼女の髪。、最近病で見ないが、くしけずっているだろうか」という歌である。

0124  人皆は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも(娘子)
     (人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母)
 前歌に応えて妻が返した歌。「たけと」は前歌で述べたように「束ねたら」という意味。
 「人はみんなそれでは髪が長いから束ねたらと言いますが、あなたが見慣れた髪ですもの。長いままにしておきますわ、たとえ乱れていても」という歌である。

0125  橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして(三方沙弥)
     (橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而)
 「道の八衢(やちまた)」は市街地の四つ角等のこと。樹木が植えてあって、木陰で休んだり、立ち話が出来るようになっていた。
 「たちばなの木の陰を踏んで四つ角に立つと、四方に分かれた道のように、離ればなれになっている妻のことがしきりに思われる。病床故に逢えないので」という歌である。

 頭注に「石川女郎(いしかはのいらつめ)、大伴宿祢田主(たぬし)に贈った歌」とあり、細注に「佐保大納言大伴卿の第二子で母は巨勢朝臣という」とある。大伴田主は大伴旅人(大伴家持の父)の弟。田主の父は細注にあるように大伴安麻呂(佐保大納言)。
0126  風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士
     (遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士)
 風流士(みやびを)とは「雅な男」すなわち「粋人」。ここでは「男女の機微に通じたお方」というほどの意。「おその風流士」の「おその」ははっきりしないが、「鈍感な」くらいの意か。「やど貸さず」はむろん「共寝もしないで」という意味である。
 「粋なお方と聞き及んでいましたけれど、共寝もしないで女をお返しになるなんてとんだ粋人ですこと」という歌である。源氏物語を開いてみるまでもなく、「女は待つ身」という当時にあって、中にはこうした積極的な女性もいたことがしのばれる歌。
 左注に「大伴田主、字(あざな)を仲郎という。容姿佳艶、風流秀絶、見る人、聞く者、歎息せざるはなし。時に石川女郎という女性がいて、自ら同棲せんとの思いを抱き、独り寝の苦しみを嘆いた。心中、手紙を書いて出そうと思ったが、なかなか機会に恵まれなかった。彼女は一計を案じ、賤しい老女の姿をし、鍋を提げて田主の寝所を訪れた。老女の変装のまま戸を叩いて言った。東隣に住む貧しい女ですが、火をお借りできませんか、と。仲郎は暗闇でよもや変装しているとは知らず、共寝をしたいという下心に気づかず、乞われるままに火を取り、すぐさま、女を帰らせた。翌朝、女郎は自らおしかけていったことを恥じ、目的を遂げなかったことを恨めしく思った。そこで、この歌を冗談めかして作った」とある。

 頭注に「大伴宿祢田主、応えて贈った歌」とある。
0127  風流士に我れはありけりやど貸さず帰しし我れぞ風流士にはある
     (遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有)
 前歌を受けて男の方が皮肉たっぷりに返した歌。「ありけり」は「だったのですね」である。
 「私は風流人だったのですね。宿も貸さず、そのまま帰したその行為こそまさに粋人なんですよ、私は」という歌である。

 頭注に「同じく石川女郎が、更に大伴田主仲郎に贈った歌」とある。ここで注意すべきは「同じく石川女郎」という言い方をしていることである。石川女郎といっても、色々いたことを伺わせる。
0128  我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし
     (吾聞之 耳尓好似 葦若<末>乃 足痛吾勢 勤多扶倍思)
 大伴田主仲郎を夜中に押しかけたとき、すぐに出てこなかったことを「足が悪かったからだろう」と皮肉った歌。「我が聞きし耳に」は「噂に聞いていた」で珍しく句またがり表現。「葦(ヨシ)の末(うれ)は「葦の葉先のように弱々しい」という意味である。「つとめ給ぶべし」は「ご養生下さいませ」だ。
 「噂に聞いていたように、あなた様は葦の葉先のように弱々しく足を引きずっていらっしゃるんですね。どうか大切にご養生なさって下さい」という歌である。
 互いに皮肉の応酬である。
 左注に「仲郎が足を疾っていると(皮肉って)贈った歌」とある。

 頭注に「大津皇子宮に侍っていた石川女郎(いしかはのいらつめ)が大伴宿祢宿奈麻呂(すくなまろ)に贈った歌」とあり、細注に「女郎の字(あざな)は山田郎女という。宿奈麻呂宿祢は大納言兼大将軍卿の第三子」とある。大津皇子は四十代天武天皇の皇子。謀反の疑いで落命(自殺)した。「侍っていた」というのは当時、石川女郎が大津邸(宮)に出入りしていたことを示す言い方。宿奈麻呂が大伴安麻呂の第三子とは、旅人や田主についでの子という意味。
0129  古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童のごと [恋をだに忍びかねてむ手童のごと]
     (古之 嫗尓為而也 如此許 戀尓将沈 如手童兒 [戀乎<大>尓忍金手武多和良波乃如])
 「古(ふ)りにし嫗にしてや」は「もう老女なのに」という意味。嫗(老女)は石川郎女のことを指している。つまり皮肉っているのである。「手童(たわらは)」は幼女のこと。
 「もう老女の身なのに恋に沈むとはまるで幼女みたいですねえ」という歌である。
 異伝歌はほぼ同意で「恋情に忍びかねる幼女みたいですねえ」となっている。

 頭注に「長皇子(ながのみこ)、皇弟に与えた御歌」とある。皇弟は長皇子の弟の弓削皇子(ゆげのみこ)。二人とも四十代天武天皇の皇子。
0130  丹生の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛し我が背いで通ひ来ね
     (丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登 戀痛吾弟 乞通来祢)
 丹生(にふ)の川は不詳。「ゆくゆくと」は「悶々と」ないし「はやる気持」と解釈されている。理由は分からないが、女の身になって弟の弓削皇子に呼びかけた形になっている。
 「丹生の川瀬を渡らずにいるので恋しさに悶々としています。さあ弟よ。渡っておいでよ」という歌である。

 頭注に「柿本朝臣人麻呂、石見國から妻と別れて上り来る時の歌二首と短歌」とある。石見国(いはみのくに)は島根県のほぼ西半分。東半分は出雲国。
0131番 長歌
石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと [一云 磯なしと] 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は [一云 磯は] なくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒磯の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を [一云 はしきよし 妹が手本を] 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
   (石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等 [一云 磯無登] 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 [一云 磯者] 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒磯乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎 [一云 波之伎余思 妹之手本乎] 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志<怒>布良武 妹之門将見 靡此山)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「角(つの)の浦」は島根県江津市の海岸。「浦なしと」と「潟なしと」は「良好な」が略されている。「柔田津(にぎたづ)」は所在未詳。「朝羽振る」と「夕羽振る」は「鳥が羽を振るように波立つ」という形容。「露霜の」や「夏草の」は枕詞。

 (口語訳)
 石見の海の角の浦あたりには良好な港が無いと人は言い、適当な干潟(磯ともいう)も無いと人は言う。たとえ港は無くとも、たとえ干潟(磯)は無くとも、クジラは捕れる。柔田津(にぎたづ)の荒磯の上には青々とした藻すなわち沖藻が朝も夕も風が吹き、鳥が羽ばたくように波立ってそうした藻を海岸に打ち寄せる。そんな玉藻のように寄ってきて共寝した妻(あるいはいとしい妻の手元)を離れてきた。やって来たその道の曲がり角ごとに幾たびも振り返ってみた。いや里は遠く離れ、いや高い山も越えてやってきた。思いもしぼんで妻の家が見たくてたまらない、こんな山などなくなれば
        (2013年2月23日記、2017年7月2日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles