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万葉集読解・・・15(168~193番歌)

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     万葉集読解・・・15(168~193番歌)
 (167番長歌の)反歌二首
0168 ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも
      (久堅乃 天見如久 仰見之 皇子乃御門之 荒巻惜毛)
「ひさかたの」は枕詞。天(あめ)は空。「皇子の御門」は後述170番歌に出る島の宮にあった日並皇子の宮殿。「荒れまく惜しも」は反語的表現。「荒れていかなければいいが」の意である。
 「遠く遙かな空の彼方を見るように、仰ぎ見た皇子の御門が荒れていかなければいいが」という歌である。

0169 あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも
      (茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛)
 「あかねさす」も「ぬばたまの」も枕詞。日は天皇、月は草壁皇子の比喩。
 「日(天皇)は輝かしく照っているが、夜渡っていく月が雲に隠れるのは惜しいことだ」という歌である。

 或本歌一首
0170 嶋の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず
      (嶋宮 勾乃池之 放鳥 人目尓戀而 池尓不潜)
 島の宮は奈良県高市郡明日香村の村役場の南側に位置する。ここに日並皇子の宮殿があり、まがりの池があった。「人目に恋ひて」は意味が判然としないが、「人の目を気にして」という意味か。
 「島の宮のまがりの池に放った鳥、人の目を気にして潜ろうとしない」という歌である。

 頭注に「皇子尊の宮の舎人等、悲しんで作った歌廿三首」とある。皇子尊は日並皇子。舎人(とねり)は皇子の近くで仕えた人々。
0171 高光る我が日の皇子の万代に国知らさまし嶋の宮はも
      (高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮<波>母)
171~193番の23首はすべて近習の下級官人たちの挽歌。ここからも、万葉歌がひとり皇族や高位高官の占有物ではなかったことがうかがえる。「高光」も「高照」も「たかてらす」で、枕詞。11例。、短歌は2例のみ。「知らさまし」は「お治めになる」。「島の宮」は前歌参照。
 「我が日の皇子が生きていらっしゃれば、長らくお治めになる筈だった島の宮なのに・・・」という歌である。

0172 嶋の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君座さずとも
      (嶋宮 上池有 放鳥 荒備勿行 君不座十方)
 「荒びな行きそ」は「自然化しないでおくれ」という意味で、「な~そ」の禁止形。
 「島の宮のまがりの池に放った鳥、自然化しないでおくれ。ご主君がいらっしゃらなくても」という歌である。

0173 高照らす我が日の御子のいましせば島の御門は荒れずあらましを
      (高光 吾日皇子乃 伊座世者 嶋御門者 不荒有益乎)
 「高照らす」は枕詞。「いましせば」は「ご健在ならば」という意味。
 「わが日嗣ぎの皇子がご健在でいらっしゃれば、島の御殿は荒れなかっただろうに」という歌である。

0174 よそに見し真弓の岡も君座せば常つ御門と侍宿するかも
      (外尓見之 檀乃岡毛 君座者 常都御門跡 侍宿為鴨)
 島の宮は奈良県高市郡明日香村にあり、他方、真弓の岡は、本葬までの期間棺を安置しておく殯宮(もがりのみや)」が置かれた所で、奈良県高市郡高取町にある。「よそに見し」はこのことを言っている。「侍宿(とのゐ)するかも」は「警護につくことになろうか」という意味である。
 「これまで無縁と見ていた真弓の岡も皇子がいらっしゃるとなれば島の宮の時と同様に警護につくことになろうか」という歌である。

0175 夢にだに見ずありしものをおほほしく宮出もするかさ桧の隈廻を
      (夢尓谷 不見在之物乎 欝悒 宮出毛為鹿 佐日之<隈>廻乎)
 「おほほしく」は「重苦しく」という意味。「さ」は地名の美称語。桧の隈(ひのくま)は真弓の岡の東側という。
 「こんなことになるとは夢にも思わなかったのに。重苦しく、真弓の岡の東側の桧の隈に警護に出仕することになってしまった」という歌である。

0176   天地とともに終へむと思ひつつ仕へまつりし心違ひぬ
      (天地与 共将終登 念乍 奉仕之 情違奴)
 「心違ひぬ」は「こんなことになろうとは」である。
 「皇子を永遠にお守りしようとお仕えしてきたのに、こんなことになろうとは」という歌である。

0177   朝日照る佐田の岡辺に群れ居つつ我が泣く涙やむ時もなし
      (朝日弖流 佐太乃岡邊尓 群居乍 吾等哭涙 息時毛無)
 佐田の岡は真弓の岡の突端にあって、御陵が築造された。奈良県高市郡高取町。
 「朝日が照り輝く佐田の岡辺に、群がって近侍しながら我が泣く涙やむ時もない」という歌である。

0178   み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる
      (御立為之 嶋乎見時 庭多泉 流涙 止曽金鶴)
 「み立たしの」は「ご健在であられた」という意味。「にはたづみ」はにわかに降る雨のこと。
 「皇子がご健在であられた、その島(の宮)を見ると降る雨のように流れ出てくる涙がとまらない」という歌である。

0179   橘の嶋の宮には飽かぬかも佐田の岡辺に侍宿しに行く
      (橘之 嶋宮尓者 不飽鴨 佐<田>乃岡邊尓 侍宿為尓徃)
 「橘の」は「橘地区の」ということ。「飽かぬかも」は、「足りなかったのだろうか」という反語表現。
 「橘の島の宮にお仕えするだけで足りなかったのだろうか。佐田の岡辺に警護に通うことになろうとは」という歌である。

0180   み立たしの島をも家と棲む鳥も荒びな行きそ年かはるまで
      (御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右)
 「み立たしの」は178番歌参照。「荒びな行きそ」は「自然化しないでおくれ」という意味で、「な~そ」の禁止形。
 「ご健在であった皇子の島の宮に住み着く鳥よ。自然化しないでおくれ。せめて年がかわるまで」という歌である。

0181   み立たしの島の荒磯を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも
      (御立為之 嶋之荒磯乎 今見者 不生有之草 生尓来鴨)
 「み立たしの」は178番歌参照。
 「ご健在であった皇子の島の宮の荒磯を今見てみると、生えていなかった草が生えている」という歌である。

0182   鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び帰り来ね
      (鳥M立 飼之鴈乃兒 栖立<去>者 檀岡尓 飛反来年)
 「鳥座(とぐら)立て」は「鳥小屋を作って」ということ。真弓の岡は草壁の皇子(日並皇子)が葬られた岡。奈良県高市郡高取町。
 「鳥小屋を作って飼っていた雁の子よ、巣立っていったなら、(今、皇子がいる)真弓の岡に飛んで帰っていらっしゃい」という歌である。

0183   わが御門千代永久に栄えむと思ひてありしわれし悲しも
      (吾御門 千代常登婆尓 将榮等 念而有之 吾志悲毛)
 わが御門(みかど)は「われらが御殿」。
 「われらが御殿、ずっと栄え続けると思っていたのに、ああ」という歌である。

0184   東のたぎの御門に伺侍へど昨日も今日も召す言もなし
      (東乃 多藝能御門尓 雖伺侍 昨日毛今日毛 召言毛無)
 本歌は皇子の遺骸が真弓の岡に移される前の島の宮。死後間もない頃の歌と推察される。「東(ひむがし)のたぎの御門」はどこの門か不詳。「伺侍(さもら)う」は「近侍する」という意味。
 「東のたぎの御門に近侍しているが、昨日も今日も召される言葉もない」という歌である。

0185   水伝ふ磯の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも
      (水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨)
 「水伝ふ磯の浦廻(うらみ)の」は「海岸沿いの磯辺の」という意味である。
 「水際の磯辺にいっぱい咲く岩つつじの道を再度目にすることがあろうか」という歌である。

0186   一日には千たび参りし東の大き御門を入りかてぬかも
      (一日者 千遍参入之 東乃 大寸御門乎 入不勝鴨)
 「入りかてぬかも」は「入ることもできない」ということ。
 「(島の御殿に勤務していた頃は、)一日にあれほど幾たびも出入りしていた東の大門。今では(閉じられていて)入ることもできなくなってしまったなあ」という歌である。

0187   つれも無き佐田の岡辺に帰り居ば島の御階に誰れか住まはむ
      (所由無 佐太乃岡邊尓 反居者 嶋御橋尓 誰加住<N>無)
 「つれも無き」は「ゆかりのない」という意味。「佐田の岡」は真弓の岡の突端。奈良県高市郡高取町。「島の御階(みはし)に」は「島の宮の宮中に」。
 「縁もゆかりもなかった、佐田の岡辺に帰りつく身となったが、生前、皇子がおられた島の宮の、あの宮中に誰か住むのだろうか」という歌である。

0188   朝ぐもり日の入りぬればみ立たしの島に下り居て嘆きつるかも
      (旦覆 日之入去者 御立之 嶋尓下座而 嘆鶴鴨)
  「み立たしの」は178番歌参照。状況がはっきりしないが、島の御門は閉じられている筈なので、門外から皇子を偲んだ歌か。
 「朝曇りで太陽が隠れているので、生前の皇子がおられた島にやってきて嘆いています」という歌である。

0189   朝日照る嶋の御門におほほしく人音もせねばまうら悲しも
      (旦日照 嶋乃御門尓 欝悒 人音毛不為者 真浦悲毛)
 「おほほしく」は「重苦しく」という意味。
 「朝日が照る島の御殿は重苦しく、人の気配もなくてうら悲しい」という歌である。

0190   真木柱太き心はありしかどこのわが心鎮めかねつも
      (真木柱 太心者 有之香杼 此吾心 鎮目金津毛)
 真木柱(まきばしら)の真は美称。
 「自分はこの柱のようにどっしり構えていたつもりだが、皇子亡き今は、動揺が隠せない」という歌である。

0191   けころもを春冬まけて出でましし宇陀の大野は思ほえむかも
      (毛許呂裳遠 春冬片設而 幸之 宇陀乃大野者 所念武鴨)
 「けころもの」は「毛衣のコート」。枕詞説もある。「春冬まけて」は「春冬はおって」という意味だろう。宇陀の大野は現奈良県宇陀市の野。
 「毛皮のコートを春冬はおってお出ましになった宇陀の大野が思われてならない」という歌である。

0192   朝日照る佐田の岡辺に泣く鳥の夜哭きかへらふこの年ころを
      (朝日照 佐太乃岡邊尓 鳴鳥之 夜鳴變布 此年己呂乎)
 佐田の岡に皇子の御陵が築造された。「かへらふこの年ころ」は「年が替わるこの一年」。
 「佐田の岡辺に鳴く夜の鳥のように泣き悲しんだ、この一年間」という歌である。

0193   畑子らが夜昼といはず行く路をわれはことごと宮道にぞする
      (八多篭良我 夜晝登不云 行路乎 吾者皆悉 宮道叙為)
 「畑子ら」は「農夫たち」のこと。
 「農夫たちが夜昼往来する路をまるで宮道のようにしている」という歌である。
 左注に「日本紀には、三年(己丑年)夏四月癸未を朔日とあうる乙未の日に薨去」とある。持統三年四月十三日。
        (2013年3月7日記、2017年7月17日)
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