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万葉集読解・・・16-1(194~198番歌)


     万葉集読解・・・16-1(194~198番歌)
 頭注に「柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女と忍坂部皇子に奉った歌と短歌」とある。泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)は四十代天武天皇の皇女。忍坂部皇子(おさかべのみこ)は皇女の同母兄。四十代天武天皇の皇子。
0194番 長歌
   飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 嬬の命の たたなづく 柔肌すらを 剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ [一云 荒れなむ] そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて [一云 君も逢ふやと] 玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉裳はひづち 夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故
   (飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 下瀬尓 流觸經 玉藻成 彼依此依 靡相之 嬬乃命乃 多田名附 柔<膚>尚乎 劔刀 於身副不寐者 烏玉乃 夜床母荒良無 [一云 阿礼奈牟] 所虚故 名具鮫兼天 氣田敷藻 相屋常念而 [一云 公毛相哉登] 玉垂乃 越能大野之 旦露尓 玉裳者埿打 夕霧尓 衣者沾而 草枕 旅宿鴨為留 不相君故)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「流れ触(ふ)らばふ」は「靡いて触れあう」、「たたなづく」は「重なり合う」という意味。「嬬(つま)の命」は「夫ないし妻)をこう呼ぶ。「剣太刀(つるぎたち)」、「ぬばたまの」、「玉垂の 」は枕詞。「けだしくも」は「ひょっとして」という意味。「越智の大野」は奈良県高市郡高取町の野。

 (口語訳)
  明日香川の上流の瀬に生える玉藻は、下流の瀬に流れ寄って玉藻をなす。こんな風に寄り添って靡き寄る。夫の皇子は重なり合って柔肌を重ねて寝たが、その添い寝してくれる妻もいなく、夜床も荒れすさんでいるだろう(あるいは、荒れすさんでゆくだろう、と)。なので慰められることもなかろう。ひょっとして皇子に逢えるやも知れぬと(あるいは皇子がひょっこり逢いにくるかと)思って 越智の大野にお立ちになって、朝露に玉裳をぬらし、夕霧に着物をぬらし、旅寝されることだろうか。逢えない皇子を慕って。

 反歌一首
0195   敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも [一云 越智野に過ぎぬ]
      (敷妙乃 袖易之君 玉垂之 越野過去 亦毛将相八方 [一云 乎知野尓過奴])
 「敷栲(しきたへ)の」と「玉垂(たまだれ)の」は枕詞。「袖交へし君」は「夫婦として愛し合ってきた君」である。「越智野」は前長歌参照。「過ぎ行く」は「葬り去られる」という意味。
 「互いに袖を交わし合った(共寝した)あなたは越智野に葬り去られた。再びお会いしたかったのに」という歌である。
 異伝歌は「越智野に葬り去る」となっている。
 左注に「或本に、川島皇子が越智野で葬られた際、泊瀬部皇女に献じた歌とあり、日本紀には、朱鳥五年(辛卯年)秋九月己巳を朔(ついたち)として丁丑(9月9日)、浄大参皇子川島薨去、と」とある。川島皇子は三十八代天智天皇の皇子。浄大参は天武時代の位階。泊瀬部皇女は前長歌参照。朱鳥五年は持統五年(691年)。
 
 頭注に「明日香皇女、木缻の殯宮の時、柿本朝臣人麻呂が作った歌と短歌」とある。明日香皇女(あすかのひめみこ)は三十八代天智天皇の皇女。194番長歌に出てきた忍坂部皇子(おさかべのみこ)の后。「木缻(きのへ)の殯宮」は199番長歌の頭注にある「城上殯宮」に同じ。「殯宮」は本葬までの期間、棺を安置しておく宮(建物)。
0196番 長歌
   飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し [一云 石なみ] 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に [一云 石なみに] 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも [一云 そこをしも] あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま [一云 しつつ] 朝鳥の [一云 朝霧の] 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に 為むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見かここを
   (飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 [一云 石浪] 下瀬 打橋渡 石橋 [一云 石浪] 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾<王><能> 立者 玉藻之<母>許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不? 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木?之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 [一云 所己乎之毛] 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 [一云 為乍] 朝鳥 [一云 朝霧] 徃来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣<悶>流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉)

  玉藻は水草、玉は美称。石橋と打橋。石橋は岩や石を並べた橋。舟橋も同様、舟を並べて渡れるようにしたもの。これに対して打橋は両岸から木材を打ち付けた橋。「敷栲の」、「鏡なす」、「御食(みけ)向ふ」、「あぢさはふ」、「ぬえ鳥の」、「朝鳥の」等は枕詞。

 (口語訳)
   明日香川、川上の瀬に石橋(あるいは「並べた石」)を渡し、川下の瀬には打ち橋を渡す。その石橋(あるいは「並べた石」)に生い茂ってなびく玉藻、切れてもすぐ生える。打ち橋に繁ってたわむ川藻も、枯れてもまた生えてくる。それなのに、わが大君(明日香皇女)はお立ちになっている時は玉藻のように皇子様になびき、おやすみになられる時は川藻のように幾度も皇子様によりかかる、そんな申し分のない皇子様のを朝宮はお忘れだろうか。夕宮にはそっぽを向いてしまわれるのだろうか。
 皇女様がこの世におられた時、春は花を手折って髪にかざし、秋がくると黄葉をかざし、そっと袖の手を取り合い、いくら見ても見飽きることがないほど見つめ合い、いっそう愛しくお思いになった皇子様。その皇子様と折々に連れ立って出かけられ、遊ばれた、城上(きのへ)の宮を、永久の御殿とお定めになって、見つめ合うことも言葉を交わされることもなくなってしまわれた。そのためなのか(あるいは「そのことで」)皇子様はひどく悲しまれ、皇女様に片恋し(あるいは「片恋しつつ」)朝鳥(あるいは「朝霧」)のように城上(きのへ)の宮にお通いになる。
 夏草のようにしおれ、夕星のように行ったり来たりなさり、大船のように落ち着かない、そんな皇子様を見るにつけ、私どもも慰めようがなく、それ故、為す術も知らない。せめてこんな悲しみがあり、お名前だけでも絶やさないようにしよう。天地ともども永遠にお慕い申し上げよう。明日香皇女という御名にかかわる明日香川を、いついつまでも愛しい我らが大君(皇女様)の形見と思ってここ明日香川を
 
 短歌二首
0197   明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし [一云水の淀にかあらまし]
      (明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思 [一云 水乃与杼尓加有益])
 明日香皇女の夫は忍坂部皇子。皇女を亡くした悲しみの激しさを明日香川の急流に託して詠んだ歌。「しがらみ」は水流を塞きとめる柵。「のどにかあらまし」は「のどかになるだろうに」という意味である。 
 「激しい明日香川の流れをしがらみで塞きとめることが出来れば、(その急流のような皇子様)の悲しみものどかになるだろうに」という歌である。
 異伝歌は「水が淀むだろうに」となっている。

0198   明日香川明日だに[一云 さへ]見むと思へやも[一云 思へかも]我が大君の御名忘れせぬ [一云 御名忘らえぬ]
      (明日香川 明日谷[一云 左倍]将見等 念八方[一云 念香毛] 吾王 御名忘世奴[一云 御名不所忘])
 大君は、柿本人麿が仕えていた明日香皇女を指す。
 「明日香川皇女様の御名ではないが明日にでも(あるいは「さへ」)お会い出来ると思っていたのに(あるいは「お会いできるかと思っていたのに)・・・。そんな大君の御名を忘れはしない(あるいは「御名を忘れ得ようか」)」という歌である。
        (2017年7月20日)
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