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百日紅の季節になった。サルスベリともいうが、盛夏の空を紅や白で彩る豪華な花である。本欄でも数回は取り上げた記憶がある。特に2009年7月16日に弄した一文はよく覚えている。なぜかというと、百日紅並木を歩くと、なぜか楊貴妃を想起し、次のような歌を作っている。
楊貴妃の見上ぐ目哀し百日紅長安思い我れも見上げし (桐山芳夫)
大唐の庭の楊貴妃愁い帯び百日紅下をしずしず歩む (桐山芳夫)
楊貴妃については、奇しくも万葉集の時代に生きた女性、唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた絶世の美女という、いわば俗世間の知識以上の持ち合わせがない。
ところが、私の脳裏に浮かんでくる楊貴妃はなぜか百日江の花に結びついており、かつ、愁いを帯びている。私の住む住居の近在に豊臣秀吉ゆかりの中村公園があり、その前の通りに百日江の並木が植えられている。
百日紅は絢爛豪華とまではいかないが、きらびやかで豪華な花である。その百日紅と楊貴妃とがどこでどう結びつくのか、なぜなのか、むろん私自身にも分からない。連想の一種なのだろうが、格好良く言えば、私の詩心をくすぐるからだと言えばいいのだろうか。要するに何の理由も理屈もない。それでいて、百日紅から楊貴妃が離れない。
新たなる百日紅歌生まれくるなぜか愁いの楊貴妃と共 (桐山芳夫)
しずしずと公園前を歩むとき今年またもや楊貴妃の歩音 (桐山芳夫)
特定の花が特定の人物に結びついて思い出される。こういうことは決して珍しいことではなかろう。が、外国の、歴史上の人物に結びつけて思い出すのは普通ではないだろう。紅色の美しい花の前に足を止め、仰ぎ見て、絶世の美女だったんだろうな、と想像することは決して悪くはなかろう。いっそ百日江の異称を楊貴妃としてはいかがだろう。
(2017年7月21日)
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百日紅の季節になった。サルスベリともいうが、盛夏の空を紅や白で彩る豪華な花である。本欄でも数回は取り上げた記憶がある。特に2009年7月16日に弄した一文はよく覚えている。なぜかというと、百日紅並木を歩くと、なぜか楊貴妃を想起し、次のような歌を作っている。
楊貴妃の見上ぐ目哀し百日紅長安思い我れも見上げし (桐山芳夫)
大唐の庭の楊貴妃愁い帯び百日紅下をしずしず歩む (桐山芳夫)
楊貴妃については、奇しくも万葉集の時代に生きた女性、唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた絶世の美女という、いわば俗世間の知識以上の持ち合わせがない。
ところが、私の脳裏に浮かんでくる楊貴妃はなぜか百日江の花に結びついており、かつ、愁いを帯びている。私の住む住居の近在に豊臣秀吉ゆかりの中村公園があり、その前の通りに百日江の並木が植えられている。
百日紅は絢爛豪華とまではいかないが、きらびやかで豪華な花である。その百日紅と楊貴妃とがどこでどう結びつくのか、なぜなのか、むろん私自身にも分からない。連想の一種なのだろうが、格好良く言えば、私の詩心をくすぐるからだと言えばいいのだろうか。要するに何の理由も理屈もない。それでいて、百日紅から楊貴妃が離れない。
新たなる百日紅歌生まれくるなぜか愁いの楊貴妃と共 (桐山芳夫)
しずしずと公園前を歩むとき今年またもや楊貴妃の歩音 (桐山芳夫)
特定の花が特定の人物に結びついて思い出される。こういうことは決して珍しいことではなかろう。が、外国の、歴史上の人物に結びつけて思い出すのは普通ではないだろう。紅色の美しい花の前に足を止め、仰ぎ見て、絶世の美女だったんだろうな、と想像することは決して悪くはなかろう。いっそ百日江の異称を楊貴妃としてはいかがだろう。
(2017年7月21日)