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私が神社や寺院をめぐって「ほう!」と感銘を受けるのは、単純明快、第一に由緒が深いことだ。ありていに云えば、創建年代が古いこと。有名社寺だから、本尊や祭神に崇敬を抱いているからではない。あるいは規模が大きい社寺ということでもない。むろん、こうした要素も大切だと思っているが、何はともあれ、創建年代が古いことを一番重視している。古い社寺はそれだけ様々な時代をくぐり抜けてきたこと。周囲の人々の支援があって、長い時をくぐり抜けてきたことを意味する。こんな考えから、式内社に絞って私は尾張国内の神社を回った。式内社というのは延喜年間(901~923年)に出された延喜式に掲載されている神社のことで、いずれも平安前期には存在していたという、折り紙つきの古社である。
が、その式内社が掲載された時には確実に存在していた古社があることを知った。たとえばこの6月に訪ねた、あま市の伊福部神社がそうである。創建は天平二年(730年)と知って延喜年間よりも二百年も前だ。そして今回訪ねた、同じあま市にある萱津神社(かやづじんじゃ)がそうである。いただいたパンフレットによると、正確な創建年代は不明だが、あの古代の英雄、日本武尊(小碓尊=ヤマトタケルノミコト)の時代には創建された、何と伊福部神社よりさらに滅法古い神社だと知って驚いた。
このように、近在のあま市内だけでも式内社には入っていない古社が二つもある。私は神社の事情にはうとい、いわば門外漢である。さりながら、近在に、伊福部神社や萱津神社のような古社に気づかなかったなんて恥ずかしい限りである。名が知られているからという理由だけで、いたずらに遠方の社寺を訪ねようとするのは考え物だと思い知った次第である。少なくとも、近在にもそうした古社がいくつか存在しているんだな、と認識させてくれた存在、それが今回の萱津神社だった。
(2017年7月24日)
私が神社や寺院をめぐって「ほう!」と感銘を受けるのは、単純明快、第一に由緒が深いことだ。ありていに云えば、創建年代が古いこと。有名社寺だから、本尊や祭神に崇敬を抱いているからではない。あるいは規模が大きい社寺ということでもない。むろん、こうした要素も大切だと思っているが、何はともあれ、創建年代が古いことを一番重視している。古い社寺はそれだけ様々な時代をくぐり抜けてきたこと。周囲の人々の支援があって、長い時をくぐり抜けてきたことを意味する。こんな考えから、式内社に絞って私は尾張国内の神社を回った。式内社というのは延喜年間(901~923年)に出された延喜式に掲載されている神社のことで、いずれも平安前期には存在していたという、折り紙つきの古社である。
が、その式内社が掲載された時には確実に存在していた古社があることを知った。たとえばこの6月に訪ねた、あま市の伊福部神社がそうである。創建は天平二年(730年)と知って延喜年間よりも二百年も前だ。そして今回訪ねた、同じあま市にある萱津神社(かやづじんじゃ)がそうである。いただいたパンフレットによると、正確な創建年代は不明だが、あの古代の英雄、日本武尊(小碓尊=ヤマトタケルノミコト)の時代には創建された、何と伊福部神社よりさらに滅法古い神社だと知って驚いた。
このように、近在のあま市内だけでも式内社には入っていない古社が二つもある。私は神社の事情にはうとい、いわば門外漢である。さりながら、近在に、伊福部神社や萱津神社のような古社に気づかなかったなんて恥ずかしい限りである。名が知られているからという理由だけで、いたずらに遠方の社寺を訪ねようとするのは考え物だと思い知った次第である。少なくとも、近在にもそうした古社がいくつか存在しているんだな、と認識させてくれた存在、それが今回の萱津神社だった。
(2017年7月24日)
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