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万葉集読解・・・17-1(205~213番歌)


     万葉集読解・・・17-1(205~213番歌)
 反歌一首
0205   大君は神にしませば天雲の五百重が下に隠りたまひぬ
      (王者 神西座者 天雲之 五百重之下尓 隠賜奴)
 大君は弓削皇子。
 「大君は神でいらっしゃるから幾重にも雲が重なる向こうにお隠れになった」という歌である。

 又短歌一首
0206   ささなみの志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほせりける
      (神樂浪之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類)
 「ささなみ」は滋賀県琵琶湖西南岸一帯。「常にと」は「さざ波が絶え間なく寄せてくるように」という比喩。
 「ささなみの浜辺に寄せてくるさざ波のように皇子さまは健在であれかしと常に思っていらっしゃったのに」という歌である。

 頭注に「柿本朝臣人麻呂、妻の死後、血の涙を流して作った歌二首と短歌」とある。
0207番 長歌。以下、216番歌までの長短歌、柿本人麿の歌が続く。
   天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて [一云 音のみ聞きて] 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる [一云 名のみを聞きてありえねば]
   (天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 入目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣淵之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使之言者 梓弓 聲尓聞而 [一云 聲耳聞而] 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 [一云 名耳聞而有不得者])

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「軽の道は」は藤原京に近接する道で、市が開かれた。「やまず行かば」は「休まず(しばしば)行くと」という意味である。「さね葛(かづら)」、「大船の」、「玉かぎる」、「玉梓(たまづさ)の」、「梓弓(あづさゆみ)」等はみな枕詞。

 (口語訳)
   雁飛ぶやではないが、軽の道は我が妻の里なので、幾度もじっくりと見に行きたいと思うが、しばしば行くと人目につく。幾度も行けば、人が知るところとなる。葛の蔓のように、後で逢えるからとそれを楽しみにして今はこらえている。岩に囲まれた淵のように、ひっそりと、内に秘めて恋焦がれている。大空を太陽が渡っていって日が暮れるように、照る月が雲に隠れるように、沖の藻のように靡いてきた愛しい妻が、黄葉のように散ってしまった。使いがもたらした言葉を聞いて(一に云う「知らせを聞いて」)言葉も出ず、どうしてよいやら分からない。知らせのみを聞いてすます気にはとてもなれない。千に一つも心を慰めるものはないかと、かって彼女がしょっちゅう出てきた軽の市に私は耳を澄まして彼女の声を聞こうとした。が、畝傍の山で鳴く鳥のような、かすかな声も聞こえない。道行く人を見ても一人として彼女に似た人はいない。どうしようもない気持になって、彼女の名を呼んで着物の袖を降り続ける。(一に云う「彼女の名を知らされただけではどうにも気がおさまらないので」)。

 短歌二首
0208   秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも [一云 道知らずして]
      (秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 [一云 路不知而])
 「黄葉を茂み」は、美しい黄葉の茂みに妻が隠れてしまったという表現で、まるで天国を想起させ、人麻呂の哀しみがいっそう強く迫ってくる。
 「秋山に美しい黄葉の木々が茂っていて妻はその中に迷い込んでしまった。妻に逢いに行こうにも、山道が分からない」という歌である。
 異伝歌は結句が「道が分からない」となっている。

0209   黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ
      (黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念)
 本歌は「玉梓(たまづさ)の使」がキーワード。玉は美称。梓(あずさ)は落葉樹のひとつ。その小枝に文を結びつけて使いの者に相手の女性ないし男性に届けさせる。梓の小枝は代表的な木で、梓の使いといえば当時の人々にはぴんときたものと思われる。「なへに」は「と共に」。
 「散ってゆく黄葉、さらに梓の小枝をもって使いの者が往来するのを見ていると、彼女と逢っていた日々が思い起こされる」という歌である。

0210番 長歌
   うつせみと 思ひし時に [一云 うつそみと 思ひし] 取り持ちて 我がふたり見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば
   (打蝉等 念之時尓 [一云 宇都曽臣等 念之] 取持而 吾二人見之 T出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 憑有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 <烏徳>自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不樂晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥<乃> 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見<手> 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳 不見思者)

  「取り持ちて」はいきなり出てくるが、「槻(つき)の木をかざして」ということである。「槻の木」はケヤキの古名で、ニレ科の落葉高木。「こちごちの枝」は「あちこちの枝」という意味である。「天領巾(あまひれ)隠り」は「天女が肩に垂らしたヒレに隠れたようになった様」をいう。「子らにはあれど」は親愛のら。「彼女であったのに」という意味である。「羽がひの山」は「鳥が翼を広げたうな山」ということ。「よけくもぞなき」は「良いこともなく」という意味。

 (口語訳)
   この世にずっといると思っていた頃(一に云う「この世に生きていると思っていた頃」)、槻の木の枝を手に捧げ持って、二人で見た、突き出た堤に立っていたケヤキの木。そのあちこちの枝につく春の葉が生い茂っているような愛しい妻であり、頼みにしていた彼女であったのに。世の無常には抗しがたく、太陽が輝き燃える荒野に
真っ白なヒレを覆って鳥でもないのに、朝に旅だち、沈む夕日のように隠れてしまった。
 妻が残した形見のみどり子(幼児)が物を乞うて泣くたびに、与える物もない。男の子でもないのに男の子のように乱暴に脇に抱え込む。妻と二人で寝た妻屋にいて、昼間はうらさびしく過ごし、夜はため息ばかりついて明かす。こうしていくら嘆いても、なすすべもなく、恋い焦がれるばかり。が、逢う術がない。大鳥が翼を広げたような山に恋しい彼女は隠れていると人は言う。岩を押し分けたようにして難渋しながらやってきたが、何の良いこともない。この世にいると思える彼女が、何の姿も見せないことを思うと・・・。
 
 短歌二首
0211   去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る
      (去年見而之 秋乃月夜者 雖照 相見之妹者 弥年放)
 「去年(こぞ)見てし」は「去年眺めた」という意味。「いや年離(さか)る」は「ああ、その思い出も年月と共に遠ざかっていく」という意味である。「相見し妹は」がポイントで、いつまでも妻を思う人麻呂の心情がストレートに表出された、しみじみとした歌。人麻呂にもこんな歌があったのかと思わせられる秀歌である。私の大好きな歌のひとつである。
 「去年眺めた秋の月夜は今夜も同じように照っている。一緒に見た彼女との思い出もああ遠ざかっていく」という歌である。

0212   衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし
      (衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無)
 「衾道(ふすまぢ)を引手(ひきて)の山に」だが、続く第三句に「妹を置きて」とあるのでこれを念頭に置いて上二句を読み解く必要がある。「岩波大系本」は「衾道を」には枕詞説と地名説とがあると記し、長々と説明を施し、地名説に傾きつつも結局はネグレクトし、大意には「引手の山に妹の屍を置いて・・・」と記している。「中西本」や「伊藤本」は地名とみなし、「衾道よ、」と呼びかけに解している。が、地名はいかにも不自然。原文に着目していただきたい。「衾道乎引手乃山尓」となっている。「衾道乃」ならぴったり地名だが、「衾道乎」となっている。「乎」は「を」で「の」とは読めない。さりとて、「乎」は「よ」とは読めない。第一、地名に呼びかけて何の意味があるのか不可解である。少なくとも地名説には無理がある。
 枕詞でも地名でもなければ「衾道を」は何なのか。私は、文字の意味そのまま、引くを導く序句と単純に考えていいと思うが、いかがだろう。前歌に続く秀歌。
 「襖を引いて閉めるように妻を葬った山に別れを告げて、山道を行くに生きた心地がしない」という歌である。

  或本歌曰
0213番 長歌
   うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 汝が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば
   (宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖在 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挾持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 <日>者 浦不怜晩之 夜者 息<衝>明之 雖嘆 為便不知 雖戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者)

  210番長歌とほぼ同じなので、用語の解説を省略。
 (口語訳)
   この世にずっといると思っていた彼女と手を携えて見た、突き出た堤に立っていたケヤキの木。そのあちこちの枝につく春の葉が生い茂っているような愛しい妻であり、頼みにしていた彼女であったのに。世の無常には抗しがたく、太陽が輝き燃える荒野に真っ白なヒレを覆って鳥でもないのに、朝に旅だち、沈む夕日のように隠れてしまった。
 妻が残した形見のみどり子(幼児)が物を乞うて泣くたびに、与える物もない。男の子でもないのに男の子のように乱暴に脇に抱え込む。妻と二人で寝た妻屋にいて、昼間はうらさびしく過ごし、夜はため息ばかりついて明かす。こうしていくら嘆いても、なすすべもなく、恋い焦がれるばかり。が、逢う術がない。大鳥が翼を広げたような山に恋しい彼女は隠れていると人は言う。岩を押し分けたようにして難渋しながらやってきたが、何の良いこともない。この世にいると思っていた彼女が、灰となられたので・・・。
        (2013年3月17日記、2017年7月28日)
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