万葉集読解・・・20(249~261番歌)
頭注に「柿本朝臣人麻呂の羈旅(たび)の歌八首」とある。249~256番歌がその八首。
0249 御津の崎波を畏み隠江の「船がしら告ぐ奴島に」(「」内は筆者の訓)
(三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓)
この歌の第四,五句は、原文に「舟公宣奴嶋尓」とある。「岩波大系本」も「佐々木本」も古来難訓として訓み方を示していない。「伊藤本」は「船なる君は野島にと宣る」と訓じている。原文の「奴嶋」を「野島」としているが、おそらく次歌に「野島」が登場するからに相違ない。次歌の原文は野嶋と表記され、奴嶋とは記されていない。同じ柿本人麻呂歌で表示が異なるのは不審である。それより最大の不審は「公(きみ)」である。柿本人麻呂は朝臣(あそん)と記述されているように、皇族の真人(まひと)に次ぐ、いわば高官である。その人麻呂が公と呼び、宣(の)ると表現するのだからおそらく王(おおきみ)の筈である。が、そんな王と同行中だった気配は256番歌に至るまで全く感じられない。公をきみと訓ずるのはとうてい肯首し難い。「中西本」も相似した訓なので同様の疑問が残る。難訓は難訓のままとしておくしかなさそうである。が、それでは読解にならない。思い切って私の訓を披露しよう。舟公は船頭ないし船長のことと考える。「船がしら告ぐ奴島(やっこがしま)に」が私の訓である。御津の崎(みつのみさき)は難波の御津(大阪)と解されている。「隠江(こもりえ)の」は入り江に隠(こも)って居る状態。
「御津の崎で波が荒いので入り江に隠(こも)っていたが、(波が静まったので)船長(ふながしら)が出港と告げた」という歌である。
頭注に「柿本朝臣人麻呂の羈旅(たび)の歌八首」とある。249~256番歌がその八首。
0249 御津の崎波を畏み隠江の「船がしら告ぐ奴島に」(「」内は筆者の訓)
(三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓)
この歌の第四,五句は、原文に「舟公宣奴嶋尓」とある。「岩波大系本」も「佐々木本」も古来難訓として訓み方を示していない。「伊藤本」は「船なる君は野島にと宣る」と訓じている。原文の「奴嶋」を「野島」としているが、おそらく次歌に「野島」が登場するからに相違ない。次歌の原文は野嶋と表記され、奴嶋とは記されていない。同じ柿本人麻呂歌で表示が異なるのは不審である。それより最大の不審は「公(きみ)」である。柿本人麻呂は朝臣(あそん)と記述されているように、皇族の真人(まひと)に次ぐ、いわば高官である。その人麻呂が公と呼び、宣(の)ると表現するのだからおそらく王(おおきみ)の筈である。が、そんな王と同行中だった気配は256番歌に至るまで全く感じられない。公をきみと訓ずるのはとうてい肯首し難い。「中西本」も相似した訓なので同様の疑問が残る。難訓は難訓のままとしておくしかなさそうである。が、それでは読解にならない。思い切って私の訓を披露しよう。舟公は船頭ないし船長のことと考える。「船がしら告ぐ奴島(やっこがしま)に」が私の訓である。御津の崎(みつのみさき)は難波の御津(大阪)と解されている。「隠江(こもりえ)の」は入り江に隠(こも)って居る状態。
「御津の崎で波が荒いので入り江に隠(こも)っていたが、(波が静まったので)船長(ふながしら)が出港と告げた」という歌である。
0250 玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ [一本云 処女を過ぎて夏草の野島が崎に庵す我は]
(珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴る)[一本云 處女乎過而 夏草乃 野嶋我埼尓 伊保里為吾等者]
「玉藻刈る」の玉は美称。敏馬(みぬめ)は神戸市灘区岩屋町付近。野島は淡路島の北端。
「玉藻を刈っている敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草が茂る野島が崎に舟は近づいてきた」という歌である。
異伝歌は「処女を過ぎて夏草の野島が崎に庵す我は」とある。「処女(をとめ)」がどこかはっきりしないが、敏馬(みぬめ)付近だろう。「~、野島が崎に仮泊するわれ」という歌である。
(珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴る)[一本云 處女乎過而 夏草乃 野嶋我埼尓 伊保里為吾等者]
「玉藻刈る」の玉は美称。敏馬(みぬめ)は神戸市灘区岩屋町付近。野島は淡路島の北端。
「玉藻を刈っている敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草が茂る野島が崎に舟は近づいてきた」という歌である。
異伝歌は「処女を過ぎて夏草の野島が崎に庵す我は」とある。「処女(をとめ)」がどこかはっきりしないが、敏馬(みぬめ)付近だろう。「~、野島が崎に仮泊するわれ」という歌である。
0251 淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
(粟路之 野嶋之前乃 濱風尓 妹之結 紐吹返)
「妹が結びし紐」は出立に際し、妻が結んでくれた紐のことである。平明歌。
「淡路の野島が崎の浜風に妻が結んでくれた紐が吹かれている」という歌である。
(粟路之 野嶋之前乃 濱風尓 妹之結 紐吹返)
「妹が結びし紐」は出立に際し、妻が結んでくれた紐のことである。平明歌。
「淡路の野島が崎の浜風に妻が結んでくれた紐が吹かれている」という歌である。
0252 荒栲の藤江の浦に鱸釣る海人とか見らむ旅行く我れを [一本云 白栲の藤江の浦に漁りする]
(荒栲 藤江之浦尓 鈴木釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎) [一本云 白栲乃 藤江能浦尓 伊射利為流]
荒栲の(あらたへの)は枕詞。藤江の浦は兵庫県明石市の浦。
「藤江の浦で鱸(すずき)を釣っていると、旅人の私も海人(漁民)に見られることだろう」という歌である。
異伝歌は、「漁(いさ)りする」となっている。人麿は実際に漁を行ったのだろうか。
(荒栲 藤江之浦尓 鈴木釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎) [一本云 白栲乃 藤江能浦尓 伊射利為流]
荒栲の(あらたへの)は枕詞。藤江の浦は兵庫県明石市の浦。
「藤江の浦で鱸(すずき)を釣っていると、旅人の私も海人(漁民)に見られることだろう」という歌である。
異伝歌は、「漁(いさ)りする」となっている。人麿は実際に漁を行ったのだろうか。
0253 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ [一云 湖見ゆ]
(稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見) [一云 湖見]
稲日野(いなびの)は印南野(いなみの)のことで、兵庫県加古川市近辺。「過ぎかてに思へれば」は「過ぎ去りがたく思われ」という意味である。「加古の島」は不詳。
「稲日野も過ぎ去りがたく思われ、あの懐かしい加古の島が見える」という歌である。
異伝歌は結句の「加古の島見ゆ」が「加古の湖(うみ)見ゆ」となっている。河口のことなのだろうか。
(稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見) [一云 湖見]
稲日野(いなびの)は印南野(いなみの)のことで、兵庫県加古川市近辺。「過ぎかてに思へれば」は「過ぎ去りがたく思われ」という意味である。「加古の島」は不詳。
「稲日野も過ぎ去りがたく思われ、あの懐かしい加古の島が見える」という歌である。
異伝歌は結句の「加古の島見ゆ」が「加古の湖(うみ)見ゆ」となっている。河口のことなのだろうか。
0254 燈火の明石大門に入らむ日や「日入らむや」漕ぎ別れなむ家のあたり見ず (「」内は筆者の訓)
(留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見)
「燈火(ともしび)の」は枕詞(?)。問題は原文の「入日哉」である。これをどの書も明石にさしかかる日と解している。が、そう解釈すると歌が台無しになる。いくら古代でも加古川市近辺から明石海峡まで幾日もかかるわけがない。午前中に出れば夕方までには到着する筈である。第一、幾日もかかって明石海峡にさしかかるという意味だとすると、まるでレポート文のようになってしまう。それでは「燈火の」が意味不明になり、枕詞としなければならなくなる。全万葉歌中「燈火の」を枕詞的に用いた例は他に一例もない。2642番歌の「燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ」のように「燈火の」はちゃんと文字通り「こうこうと照らす明かり」の意味で使われているのである。
問題の「入日哉」に戻ろう。ここは文字通り「入る日」つまり夕日で何の問題もない筈。したがって「入日哉」は「日入らむや」と訓じた方が適切。
「燈火の灯りだした明石海峡は夕日を浴びてまぶしい。漕ぎ別れてきた背後のわが家の方面(大和)が見えない」という歌である。夕日の美しさ輝かしさ、旅情、別離の情が混然一体となった、名歌といってよい。
(留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見)
「燈火(ともしび)の」は枕詞(?)。問題は原文の「入日哉」である。これをどの書も明石にさしかかる日と解している。が、そう解釈すると歌が台無しになる。いくら古代でも加古川市近辺から明石海峡まで幾日もかかるわけがない。午前中に出れば夕方までには到着する筈である。第一、幾日もかかって明石海峡にさしかかるという意味だとすると、まるでレポート文のようになってしまう。それでは「燈火の」が意味不明になり、枕詞としなければならなくなる。全万葉歌中「燈火の」を枕詞的に用いた例は他に一例もない。2642番歌の「燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ」のように「燈火の」はちゃんと文字通り「こうこうと照らす明かり」の意味で使われているのである。
問題の「入日哉」に戻ろう。ここは文字通り「入る日」つまり夕日で何の問題もない筈。したがって「入日哉」は「日入らむや」と訓じた方が適切。
「燈火の灯りだした明石海峡は夕日を浴びてまぶしい。漕ぎ別れてきた背後のわが家の方面(大和)が見えない」という歌である。夕日の美しさ輝かしさ、旅情、別離の情が混然一体となった、名歌といってよい。
0255 天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ [一本云 家のあたり見ゆ]
(天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見) [一本云 家門當見由]
「天離る鄙の長道ゆ」(あまざかるひなのながぢゆ)は「遠く離れた田舎からの長旅」という意味。前歌が往路でこの歌が復路。同じ明石海峡に関連する歌を隣り合わせに置いたのは編者の美学だろうか。
「遠く離れた田舎からの長旅を恋しさにせかされて明石海峡までやってきたらその先に恋しい大和が見える気がする」という歌である。
異伝歌は「大和島見ゆ」が「家のあたり見ゆ]になっている。
(天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見) [一本云 家門當見由]
「天離る鄙の長道ゆ」(あまざかるひなのながぢゆ)は「遠く離れた田舎からの長旅」という意味。前歌が往路でこの歌が復路。同じ明石海峡に関連する歌を隣り合わせに置いたのは編者の美学だろうか。
「遠く離れた田舎からの長旅を恋しさにせかされて明石海峡までやってきたらその先に恋しい大和が見える気がする」という歌である。
異伝歌は「大和島見ゆ」が「家のあたり見ゆ]になっている。
0256 笥飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船 [一本云 武庫の海船庭好くあらし漁する海人の釣船波の上ゆ見ゆ]
(飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船) [一本云 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見]
笥飯(けひ)の海は淡路島西岸の海。庭は庭のように見える海面のこと。「刈薦(かりこも)の」は枕詞。多くの漁船が入り乱れて海面に出てきた様子を詠っている。
「笥飯(けひ)の海は海面がおだやかなようだ。多くの漁師の釣り船が入り乱れて出てきているのが見える」という歌である。
異伝歌は「武庫の海庭好くあらし漁する海人の釣船波の上ゆ見ゆ」(武庫の海は海面がおだやかなようだ。漁をする漁師の釣り船が波の上に見える)となっている。
(飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船) [一本云 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見]
笥飯(けひ)の海は淡路島西岸の海。庭は庭のように見える海面のこと。「刈薦(かりこも)の」は枕詞。多くの漁船が入り乱れて海面に出てきた様子を詠っている。
「笥飯(けひ)の海は海面がおだやかなようだ。多くの漁師の釣り船が入り乱れて出てきているのが見える」という歌である。
異伝歌は「武庫の海庭好くあらし漁する海人の釣船波の上ゆ見ゆ」(武庫の海は海面がおだやかなようだ。漁をする漁師の釣り船が波の上に見える)となっている。
頭注に「鴨君足人(かもきみのたりひと)の香具山の歌と短歌」とある。鴨君足人は伝未詳。
0257番 長歌
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
(天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二)
0257番 長歌
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
(天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「天降(あも)りつく」は「岩波大系本」の補注に伊予国風土記の「天から降ってきた」という逸文を紹介している。香具山は奈良県橿原市の山。「あぢ群」の「あぢ」は「トモエガモ」のこと。「ももしきの」は枕詞。
(口語訳)
天から降ってきたという香具山。霞が立つ春になると、松風を受けて池が波立ち、木々の茂みに桜が咲き誇る。池の沖の方では鴨が妻を呼び立てて鳴き、岸辺では.トモエガモが群騒ぐ。宮仕えの人々が退出すると(去ってしまうと)、遊びの船は梶(かじ))や棹(さお)もなくて寂しい。漕ぐ人もいなくて。
天から降ってきたという香具山。霞が立つ春になると、松風を受けて池が波立ち、木々の茂みに桜が咲き誇る。池の沖の方では鴨が妻を呼び立てて鳴き、岸辺では.トモエガモが群騒ぐ。宮仕えの人々が退出すると(去ってしまうと)、遊びの船は梶(かじ))や棹(さお)もなくて寂しい。漕ぐ人もいなくて。
反歌二首
0258 人漕がずあらくもしるし潜きする鴛とたかべと船の上に棲む
(人不榜 有雲知之 潜為 鴦与高部共 船上住)
「あらくもしるし」は「荒らくも著し」で「荒れ果てて著しい」である。「鴛(をし)とたかべと」は「オシドリとコガモ」のことである。かって私はオシドリやコガモの写真を撮りに干潟等に出かけていた時期があるので、懐かしさを伴ってこの歌をかみしめた。「潜(かづ)きする」はむろん水鳥たちの潜る様子である。
「人が漕がなくなって船の荒れが著しい。水に潜るオシドリやコガモが船の上に住みついている」という歌である。
0258 人漕がずあらくもしるし潜きする鴛とたかべと船の上に棲む
(人不榜 有雲知之 潜為 鴦与高部共 船上住)
「あらくもしるし」は「荒らくも著し」で「荒れ果てて著しい」である。「鴛(をし)とたかべと」は「オシドリとコガモ」のことである。かって私はオシドリやコガモの写真を撮りに干潟等に出かけていた時期があるので、懐かしさを伴ってこの歌をかみしめた。「潜(かづ)きする」はむろん水鳥たちの潜る様子である。
「人が漕がなくなって船の荒れが著しい。水に潜るオシドリやコガモが船の上に住みついている」という歌である。
0259 いつの間も神さびけるか香具山の鉾杉の本に苔生すまでに
(何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二)
「神(かむ)さび」は「非常に古びて」という意味。鉾杉はホコの形をした杉の樹。
「いつの間にか古びてしまったなあ。香具山の杉。鉾の形をした根元が苔生(こけむ)すまでに」という歌である。
(何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二)
「神(かむ)さび」は「非常に古びて」という意味。鉾杉はホコの形をした杉の樹。
「いつの間にか古びてしまったなあ。香具山の杉。鉾の形をした根元が苔生(こけむ)すまでに」という歌である。
頭注に「或本の歌に云う」とある。257番歌の異伝歌。用語解説等、257番歌参照。
0260番 長歌
天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど
(天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思)
0260番 長歌
天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど
(天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思)
(口語訳)
天から降ってきたという香具山。草木も靡く春になると、木々の茂みに桜が咲き誇る。松風を受けて池が波立ち、岸辺では.トモエガモが群騒ぐ。池の沖の方では鴨が妻を呼び立てて鳴く。宮仕えの人々が退出すると(去ってしまうと)、漕ぎ出ようにも船には梶(かじ))や棹(さお)もなくて寂しい。漕ごうと思っても。
左注に「右は今考えるに、奈良に遷都した後、旧都を哀れんで作った歌か」とある。
天から降ってきたという香具山。草木も靡く春になると、木々の茂みに桜が咲き誇る。松風を受けて池が波立ち、岸辺では.トモエガモが群騒ぐ。池の沖の方では鴨が妻を呼び立てて鳴く。宮仕えの人々が退出すると(去ってしまうと)、漕ぎ出ようにも船には梶(かじ))や棹(さお)もなくて寂しい。漕ごうと思っても。
左注に「右は今考えるに、奈良に遷都した後、旧都を哀れんで作った歌か」とある。
頭注に「柿本朝臣人麻呂、新田部皇子(にひたべのみこ)に奉る歌と短歌」とある。新田部皇子は四十代天武天皇の皇子。
0261番 長歌
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 栄えます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世まで
(八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 <白>雪仕物 徃来乍 益及常世)
0261番 長歌
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 栄えます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世まで
(八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 <白>雪仕物 徃来乍 益及常世)
「雪じもの」は「降りしきる雪のようなもの」という意味である。
(口語訳)
四方八方を支配なさっている我らが大君(新田部皇子)、照り輝いて日の御子は栄えに栄えます。大殿の上にいらっしゃって。天から降りてくる、降りしきる雪のように、通ってきてお仕えしましょう。いや、いついつまでも
(2013年3月27日記、2017年8月11日記)
![イメージ 1]()
四方八方を支配なさっている我らが大君(新田部皇子)、照り輝いて日の御子は栄えに栄えます。大殿の上にいらっしゃって。天から降りてくる、降りしきる雪のように、通ってきてお仕えしましょう。いや、いついつまでも
(2013年3月27日記、2017年8月11日記)