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万葉集読解・・・118(1726~1744番歌)

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     万葉集読解・・・118(1726~1744番歌)
1726  難波潟潮干に出でて玉藻刈る海人娘子ども汝が名告らさね
      (難波方 塩干尓出而 玉藻苅 海未通女等 汝名告左祢)
 丹比真人(たぢひのまひと)の歌。
 難波潟は大阪湾のこと。「汝(な)が名告(の)らさね」は「あなたの名を教えてよ」という意味。「潮が引いた難波潟の浜に出てきて、玉藻を刈り取っている海人娘子(あまをとめ)さんよ。あなたの名は何というの」という歌である。

1727  あさりする人とを見ませ草枕旅行く人に我が名は告らじ
      (朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人尓 妾名者不教)
 前歌に応えた歌。
 「あさりする人とを見ませ」は前歌の「玉藻を刈り取っている海人娘子」を承けている。「草枕」は枕詞。「ただたんに玉藻を刈っている者とだけご覧下さい。ゆきづりの旅のお方には名は申しません」という歌である。

1728  慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば
      (名草目而 今夜者寐南 従明日波 戀鴨行武 従此間別者)
 石川卿(いしかはのまへつきみ)の歌。
 「慰めて」は何を慰めてかはっきりしない。結句の「こゆ別れなば」(ここから別れたなら)に着目し、かつ、男女の間の歌と解すれば「慰めあって」ということになるが・・・。別解も考えられるが、ここでは旅の途上で一夜を共にした女性(遊女)に関連する歌と解釈しておこう。「今宵は互いに慰め合って寝ようではないか。私は旅の途上にある身、ここで別れて明日からあなたを恋いつつ行かねばならないのだから」という歌である。

1729  暁の夢に見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ
      (暁之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 敷弖志所念)
 宇合卿(うまかひのまへつきみ)の歌三首。宇合は藤原不比等の子。
 梶島はどこの島か不詳。「しきてし」は「しきりに」。結句の「しきてし思ほゆ」は前歌の「慰めて」と同様、何を思うのかはっきりしない。彼女のこととも取れるし、梶島の磯越す波のこととも取れる。類似の歌に1236番歌の「夢のみに継ぎて見えつつ小竹島の磯越す波のしくしく思ほゆ」がある。「しきてし」と「しくしく」はほぼ同意。が、本歌の上二句「暁の夢に見えつつ」は彼女ないし妻に対する表現と感じられるので情景歌とした1236番歌とは異なる歌と解したい。「明け方に見る夢のように、梶島の磯を越えては打ち寄せる波のように、あの子のことがしきりに思われる」という歌である。

1730  山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
      (山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武)
 「山科の石田の小野」は「岩波大系本」に「京都市伏見区石田町のあたり」とある。「ははそ」はブナの仲間。「山科の石田の小野のははそ原を見ながら今頃あなたはその山道を越えようとなさっておいででしょうか」という歌である。この歌、前歌の題詞に「宇合の歌」とありながら女性側の歌である。前歌に対し、女性が応えたのであろうか。

1731  山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも
      (山科乃 石田社尓 布麻越者 蓋吾妹尓 直相鴨)
 「幣(ぬさ)置かば」は「供え物を手向ければ」という意味である。「けだし」は「ひょっとして」。「山科の石田に鎮座する神社に供え物を手向ければ、ひょっとして彼女に直接逢えるかも」という歌である。

1732  大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
      (祖母山 霞棚引 左夜深而 吾舟将泊 等万里不知母)
 碁師(ごし)の歌二首。
 大葉山は所在不詳。「大葉山に霞がかかり、夜も更けてきたのに、私の乗るこの舟はどこに停泊するのか見当もつかない」という歌である。

1733  思ひつつ来れど来かねて三尾が崎真長の浦をまたかへり見つ
      (思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津)
 「思ひつつ来れど来かねて」は「後ろ髪を引かれる思いで後にしてきたが立ち去りがたく」という意味である。三尾(みお)が崎は琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ)の河口あたりという。「後ろ髪を引かれる思いで後にしてきたが、三尾が崎真長の浦を立ち去りがたく、幾度も振り返った」という歌である。

1734  高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ
      (高嶋之 足利湖乎 滂過而 塩津菅浦 今香将滂)
 作者は小辨(せうべん)。小辨は伝未詳。
 高島は高島市。安曇の港は前歌に記したように琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ)の河口あたりの港。塩津菅浦(しほつすがうら)は琵琶湖北岸近江塩津駅の南方に鎮座する塩津神社近辺。塩津の少し西側が菅浦。「高島の安曇の港を出て北方に漕いでいったあの舟は今頃、塩津菅浦あたりを漕いでいるだろうか」という歌である。

1735  我が畳三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも
      (吾疊 三重乃河原之 礒裏尓 如是鴨跡 鳴河蝦可物)
 作者は伊保麻呂(いほまろ)。
 「我が畳」は本歌一例のみ。枕詞(?)。「三重の川原」は三重県四日市市を流れる内部川(うつべがわ)の川原だという。「かくしもがもと鳴く」とあるが、どんな鳴き声のことをいうのであろう。「かくしもがも」に何か意味がこめられているのだろうか。「三重の川原の磯の蔭で「かくしもがも」と蛙が鳴いている」という歌である。

1736  山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも
      (山高見 白木綿花尓 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香開)
 式部大倭(しきぶのおおやまと)が吉野で作った歌。
 「山高み」の「み」は例によって「~ので」。白木綿花(しらゆふばな)は真っ白な白木綿の布。水が流れ落ちる様を形容している。「夏身(なつみ)の川門」は吉野川宮滝のさらに上流地点という。「山が高いのでそこからたぎち落ちる大滝(宮滝)は真っ白な白木綿のようだ。その上流夏身の川門は美しく、見ても見ても見飽きない」という歌である。

1737  大滝を過ぎて夏身に近づきて清き川瀬を見るがさやけさ
      (大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙)
 兵部省の官人が夏身の川原で詠った歌。前歌と一連の歌とすればそのまま分かる平明歌。「宮滝を通り過ぎて、夏身の川原に近づき、その清らかな川瀬を見ると実にすがすがしい」という歌である。

1738番 長歌
1739  金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
      (金門尓之 人乃来立者 夜中母 身者田菜不知 出曽相来)
 1738番長歌の題詞に「上総周淮(かみつふさのすゑ)の珠名娘子(たまなをとめ)を詠む歌と短歌」とある。上総周淮は上総国周淮郡で現在の千葉県君津郡あたりのこと。長歌の内容をかいつまんで口語訳すると「周淮郡にオッパイが大きくて腰の細い美しくてセクシーな女がいた。女は旅行く男たちを魅惑してやまなかった」という長歌である。
 「金門(かなと)にし」は玄関の前に作られていた「金属製の門」のことであろう。「身はたな知らず」は「身の危険も顧みず」という意味である。「金門に男がやってきて立つと、夜中であっても、身の危険も顧みず逢ったという」という歌である。

1740番 長歌
1741  常世辺に住むべきものを剣大刀汝が心から鈍やこの君
      (常世邊 可住物乎 劔刀 己行柄 於曽也是君)
 1740番長歌の題詞に「水江浦(みづのえのうら)の嶋子を詠んだ歌と短歌」とある。長歌の内容は浦島伝説を下敷きにしたもので、概略「水江浦の嶋子が舟で、大阪湾の遙か沖合に漕いでいって海神の娘に出会い、意気投合した。海底の常世(とこよ)の国の御殿で何不自由なく暮らし続けたが、急に故郷の父母に会いたくなって一日だけの里帰りを娘に申し出た。娘は櫛笥(櫛入れ箱)を渡し決して開けてはならぬと申し渡した。が、嶋子が故郷に到着してみると故郷の風物は跡形もなくなっていた。不審に思った嶋子が櫛笥を開けてみると中からもくもくと白雲が立ち上り、一気に嶋子は年老い、死んでしまった」という歌である。
 さて、本歌は、長歌の内容すなわち「うたものがたり」を踏まえての歌なので、題詞の水江浦がどこかなどと詮索しても始まらない。
 「剣大刀(つるぎたち)」は大部分は「み」、「な」にかかる枕詞だが、「剣大刀」本来の意味に使われている例もある。歌は第二句の「住むべきものを」でいったん切れる。「鈍(おそ)やこの君」は「何と愚かなこのお人は」という意味である。「不老不死の国に住み続けることができたのに・・・。自らの意志だったにせよ死ぬことになるとは何と愚かなこのお人は」という歌である。

1742番 長歌
1743  大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
      (大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾)
 1742番長歌の題詞に「河内の大橋を独り去っていく娘子(をとめ)を見て詠んだ歌と短歌」とある。
 本歌は長歌の内容を知らなくとも差し支えない歌。「大橋の頭(つめ)に」は「大橋のたもとに」という意味。「大橋のたもとに私の家があったらなあ。悲しげに独り渡って行くあの子に宿を貸してあげられるのに」という歌である。

1744  埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし
      (前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯)
 題詞に「武蔵の小埼(をさき)の沼の鴨を見て作った歌」とある。
 本歌は五七七五七七からなる旋頭歌。
 「埼玉の小埼の沼」は埼玉県行田市に所在する。「鴨ぞ羽霧(はねき)る」は「鴨が羽ばたいて水を霧のように飛ばすこと」である。「小埼の沼の鴨が羽ばたいて水が勢いよく飛び散り霧のように舞い上がった。自分の尾に降りていた霜を払いのけるための羽ばたきのようだ」という歌である。
           (2014年11月6日記)
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