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Channel: 古代史の道
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覚王山日泰寺

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 昨日、突然、名古屋市千種区の覚王山日泰寺を訪れた。というより、絶好の秋日和に誘われてというべきだろう。日泰寺は有名なお寺さんなので名前くらいは知っていたが、これまで足を運んだことがない。先日訪れた尾張藩主ゆかりの建中寺と相似している。日泰寺や建中寺のような有名な寺であっても、これまであまり訪ねてこなかったのは、寺に対して関心が薄かったことに原因があるのだが、「お膝元名古屋市内の寺くらいはまわってみたら」という気が芽生えているので、今後も折に触れて寺に足を運ぶかも知れない。
 ときに、今回訪れた覚王山日泰寺だが、その寺頭掲示に記された文面に興味をそそられた。その前半部分を紹介すると次のとおりである。
 「タイ(シャム国)国王から寄贈された釈迦の舎利(遺骨)をまつるため、明治37年(1904年)に建立されたわが国唯一の超宗派の国際的寺院である。」
 私が興味をそそられたのは「わが国唯一の超宗派の国際的寺院である。」という一点である。ここにいう「超宗派」はむろん「仏教各宗派」のことである。いただいたパンフレットからも間違いない。「えっ?」である。「仏教とは釈迦の教えに帰依することではないのか?。釈迦は唯一無二の存在の筈ではないか」。その釈迦の教えが様々に解釈されて様々な宗派をなすなど、小生には考えられない。超宗派は当たり前のことなのに、「わが国唯一」と記さねばならないとは!。無知の私でも仏教には「浄土真宗」だの「真言宗」だの「天台宗」だのと様々な宗派が存在していることくらいの知識はある。各々の宗派は各々の教えが正しいと標榜していることだろう。が、私の目には仏教の御旗のもとに「われこそは」と競っているようにしか感じられない。悟りも何もあればこそ、各宗派の存在こそ、私たち俗世間の派閥争いそのものではないのか。仏教に帰依せんとする僧侶の方々「わが国唯一の超宗派」などとならないように願いたいものである。
            (2014年11月8日)
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