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万葉集読解・・・25(319~328番歌)


     万葉集読解・・・25(319~328番歌)
 頭注に「富士山を詠んだ歌と短歌」とある。
0319番 長歌
   なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
   (奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出<立>有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香<聞> 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「なまよみの」、「うち寄する」は本歌以外に例がなく枕詞(?)。「こちごちの」は210番長歌に例がある。「あちこちの」という意味だが、ここでは甲斐の国(山梨県)と駿河の国(静岡県中部)を指す。「くすしくも」は「不可思議」ないし「霊妙な」という意味。

 (口語訳)
   甲斐の国(山梨県)と駿河の国(静岡県中部)にまたがって真ん中にそびえ立つ富士の高嶺。天雲も行く手を阻まれ、飛ぶ鳥も頂上までは飛べず。燃える火は雪で消し止める。降り続いた雪は火や陽光で溶かす。言いようもなく、名付けようもなく、なんとも霊妙な神でいらっしゃる。せの海(西湖と精進湖)と名付けられているが、富士山が囲った湖だ。 富士川といって人が渡る川も、富士山の水がたぎり落ちたものだ。日の本の大和の国を鎮めたまう神であり宝ともなっている山。駿河の国の富士の高嶺は見ても見ても見飽きない

 反 歌
0320   富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり
      (不盡嶺尓 零置雪者 六月 十五日消者 其夜布里家利)
 散文歌のような歌。六月の十五日は今でいう7月頃なので夏の真っ盛り。
 「富士山に降り積もった雪は六月十五日になってやっと消えるが、その夜にもう雪が降ってくる」という歌である。

0321   富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを
      (布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽斤 田菜引物緒)
 「高み畏み」は「高く恐れ多いので」。
 「富士山は高く恐れ多いのか、天雲さえも通過をためらってたなびいている」という歌である。
 左注に「右の歌は高橋連蟲麻呂歌集に出ているが、類似歌なのでここに収載」とある。以上、三首は富士山の歌ということで収載され、作者は不記載。

 頭注に「山部宿祢赤人、伊豫温泉に行った時、作った歌と短歌」とある。伊豫温泉は愛媛県松山市の道後温泉。赤人は伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。
0322番 長歌
   すめろきの 神の命の 敷きませる 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宣しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして 歌思ひ 辞思はしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸しところ
   (皇神祖之 神乃御言<乃> 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極此<疑> 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處)

  「こごしかも」は「けわしい」こと。「射狭庭(いざには)の」は温泉の裏にある岡。伊予の国は現在の愛媛県。「臣(おみ)の木」は樅の木説等色々あるようだが、私は「臣下のように林立する木」という比喩で、「林立」という意味だと思う。

 (口語訳)
   神たる天皇がお治めになっている国のどこにも温泉は多くあるけれど、島や山の美しい国、険しい伊予(愛媛県)の高嶺にあるような温泉は滅多にない。その裏手の射狭庭の岡に立たれて歌を練られ、言葉を案じられた。この温泉の上の木の群れを見ると、臣下のように林立して生い茂っている。鳥の鳴く声も相変わらず聞こえ、この先もずっと神々しくなってゆくことだろう。幸ましになったここ伊予の湯場は。

反 歌
0323   ももしきの大宮人の熟田津に船乗りしけむ年の知らなく
      (百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久)
 「ももしきの」は枕詞。長短歌合わせて万葉集には20例ある。例外なく大宮(おほみや)が後に続く。熟田津(にきたづ)は愛媛県松山市の港。この歌は額田王(ぬかたのおおきみ)の歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(8番歌)を念頭に置いて詠われている。
 「かって、大宮人たちが船乗りしたという、その熟田津にいるが、船乗りしたのはいつの年のことなのだろう」という歌である。

 頭注に「神岳に登った時、山部宿祢赤人が作った歌と短歌」とある。神岳(かみをか)は神の山。山部赤人は322番長歌の頭注を参照。
0324番 長歌
   みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば
   (三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継<嗣>尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 <旦>雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者)

  「みもろの神なび山」は神岳(かみをか)のことで、奈良県桜井市の三輪山を指すと思われる。栂(つが)の木はマツ科ツが属の常緑高木。30メートル以上の高さに達するという。玉葛(たまかづら)はつぎつぎ延びる蔓草。玉は美称。「川とほしろし」は「川は雄大」という意味。

 (口語訳)
  「みもろの神なび山に多数の枝を差し出し、繁るツガの木々。次々に延びてゆくカズラのように絶えることなく、ずっと通い続けてお勤めしたい明日香の宮。この古い都は山は高く、川は雄大。春の日々は山を眺めていたい。秋の夜は川が清らかで朝雲に鶴が乱れ飛ぶ。夕霧どきは蛙が騒ぐ。見るたびに泣けてくる、遠い昔を思うと。
 
反 歌
0325   明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
      (明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國)
 明日香川は奈良県高市郡明日香村を北上して大和川に注ぐ、いわば大和川の支流。
 「明日香川に淀んでいる川淀(かわよど)の霧はやがて消え去る。旧都(飛鳥京)への思いがその霧のように晴れていくものならばなあ」という歌である。

頭注に「門部王(かどへのおおきみ)が難波から漁夫の燭光を見て作った歌」とあり、細注に「後に大原真人の姓を賜る」とある。門部王は系統不詳。
0326   見わたせば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく
      (見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曽出流 妹尓戀久)
 この歌の核心は第四句の「穂にぞ出でぬる」にある。これを諸家は「燭光(ともしび)のようにはっきりと人目につく」と解している。確かに「穂」は稲穂のようにはっきり突きだしてきたときに使われる用語。なので「燭光を恋にたとえた」と解するに不満はない。が、それを「人目につく」という風に取るのは不可。情景を思い描いていただきたい。作者は難波の海辺から遠く明石方面を見ている。燭光が光っているのであるから、むろん真っ暗闇である。漁船がパラパラ程度では遙か遠方の漁り火など目立とう筈がない。多くの漁船が沖に出て漁を行っている情景である。真っ暗闇に浮かぶ燭光の群れ。この神秘的とも見える情景を遙かに見渡しながら「わが恋は人目についてしまった」などと詠うものだろうか。頭注に「燭光を見て作った歌」とあるようにこの歌は実景なのである。その神秘的な情景と相まって作者は彼女への恋心をはっきりと意識したのではなかろうかと私は思う。ロマンチック過ぎる解釈だろうか。
 「見渡すと、遙か遠くの明石の浦に浮かぶ燭光群。その燭光のように私は彼女を恋しているのだなあ」という歌である。

 頭注に「或る娘子たちが干しアワビを包んで通觀僧(つうくわんほふし)に贈った。その際戯れに僧に祈願を請うた。これに応えて僧が作った歌」とある。通觀僧は伝未詳。
0327   海神の沖に持ち行きて放つともうれむぞこれがよみがへりなむ
      (海若之 奥尓持行而 雖放 宇礼牟曽此之 将死還生)
 「海神(わたつみ)の」は厳密には「海神が治める」の意で、「海」のこと。「沖に持ち行きて放つとも」だが、頭注から干しアワビと分かる。「うれむそ」は未詳とされており後回し。結句の「これがよみがへりなむ」により、祈祷が干しアワビの甦生だったと分かる。
 ここで「うれむそ」に戻ると、「岩波大系本」と「中西本」は未詳としている。「伊藤本」は「どうしてこんなものが」と解している。未詳は未詳でいいが、問題は本当に未詳のままでいいのかだ。結句の「よみがへりなむ」は「蘇るだろうか」の意なので、なるほど「うれむぞ」はなくとも歌意は通ずる。が、読解の努力は簡単に放棄してはならない。 「うれむぞ」はもう一例ある。2487番歌に「奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ」と詠われている。「うれむぞ」の「うれ」は「末」で、「むぞ」は強調。なので「うれむぞ」は「結局のところ」という意味になる。つまり、2487番歌は「~、色々思い悩んでも結局のところは、我が思ふ妹に逢はずやみなむ」とぴったり歌意が通ることが確認できる。
 本歌(327番歌)に戻ろう。本歌の「うれむぞ」も同様に「結局は」で歌意が通るだろうか。「干しアワビを海に放って祈願しても、結局は蘇ることはあるまい」となりぴしっと歌意が通るのである。
 「海の沖に干しアワビをもっていって放っても、結局はこれが甦ることなどありましょうか」という歌である。

 頭注に「大宰少貳小野老朝臣(をののおゆのあそみ)の歌」とある。大宰少貳は太宰府防人司二等官。
0328   あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
      (青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有)
 この歌から351番歌に至る24歌は、作者の顔ぶれや歌の内容からうかがうと、筑紫(九州)の太宰府に赴任している大伴旅人を囲んで宴会を催しているときの歌のようだ。
 「あをによし」はお馴染みの枕詞。奈良の都は、こんもりした木々に囲まれ、建ち並ぶ堂宇(建物群)には青、丹、朱等様々な色彩が施され、さぞかし華やかな都だったに相違ない。
 「今、奈良の都は咲きほこる桜が匂い立つように盛んなことよ」という歌である。
          (2013年4月21日記、2017年8月29日記)
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