万葉集読解・・・27(351~367番歌)
頭注に「沙弥満誓(さみまんせい)の歌」とある。336番歌の作者。
0351 世のなかを何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
(世間乎 何物尓将譬 <旦>開 榜去師船之 跡無如)
「朝開き漕ぎ去(い)にし」とは朝港が開かれて船が出て行くこと。人生を船の航跡が跡形もなくなってしまうことにたとえた無常の歌とされている。
「世の中を何にたとえたらよかろう。朝港が開かれて漕ぎ出した船の跡が跡形もなくなってしまうようなものです」という歌である。
さて、大伴旅人を取り囲んだ宴の歌は328番歌から始まり、この351番歌に至って終焉を迎える。この宴に参加した人々は、大伴旅人、小野老朝臣、大伴四綱、沙弥満誓、山上憶良の少なくとも五人。旅人を除く4人は一,二首しか歌を残していない。が、旅人だけは18首も遺している。旅人が一同のトップだったことを考えると、この宴は旅人の独壇場だったといっていい。旅人以外の4人の歌はおおむね旅人をおもんばかっての歌となっている。歌の内容からお分かりのように、旅人は太宰府への赴任を失意のどん底に突き落とされたように思い込み、くだくだと繰り言の連続に終始している。そんな状態の旅人に仕えなければならなかった小野老朝臣以下の官人はたまったものではなかったであろう。
頭注に「沙弥満誓(さみまんせい)の歌」とある。336番歌の作者。
0351 世のなかを何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
(世間乎 何物尓将譬 <旦>開 榜去師船之 跡無如)
「朝開き漕ぎ去(い)にし」とは朝港が開かれて船が出て行くこと。人生を船の航跡が跡形もなくなってしまうことにたとえた無常の歌とされている。
「世の中を何にたとえたらよかろう。朝港が開かれて漕ぎ出した船の跡が跡形もなくなってしまうようなものです」という歌である。
さて、大伴旅人を取り囲んだ宴の歌は328番歌から始まり、この351番歌に至って終焉を迎える。この宴に参加した人々は、大伴旅人、小野老朝臣、大伴四綱、沙弥満誓、山上憶良の少なくとも五人。旅人を除く4人は一,二首しか歌を残していない。が、旅人だけは18首も遺している。旅人が一同のトップだったことを考えると、この宴は旅人の独壇場だったといっていい。旅人以外の4人の歌はおおむね旅人をおもんばかっての歌となっている。歌の内容からお分かりのように、旅人は太宰府への赴任を失意のどん底に突き落とされたように思い込み、くだくだと繰り言の連続に終始している。そんな状態の旅人に仕えなければならなかった小野老朝臣以下の官人はたまったものではなかったであろう。
頭注に「若湯座王(わかゆゑのおほきみ)の歌」とある。若湯座王は伝未詳。
0352 葦辺には鶴が音鳴きてみなと風寒く吹くらむ津乎の崎はも
(葦邊波 鶴之哭鳴而 湖風 寒吹良武 津乎能埼羽毛)
葦はイネ科の多年草。津乎の崎(つをのさき)は未詳。
「葦辺では鶴が鳴いている。港の風は寒々と吹いているだろうな。ああ、ここ津乎(つを)の崎はよ」という歌である。
0352 葦辺には鶴が音鳴きてみなと風寒く吹くらむ津乎の崎はも
(葦邊波 鶴之哭鳴而 湖風 寒吹良武 津乎能埼羽毛)
葦はイネ科の多年草。津乎の崎(つをのさき)は未詳。
「葦辺では鶴が鳴いている。港の風は寒々と吹いているだろうな。ああ、ここ津乎(つを)の崎はよ」という歌である。
頭注に「釋通觀(しゃくつうくわん)の歌」とある。327番歌の作者。釋通觀は伝未詳。
0353 み吉野の高城の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
(見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見)
「高城の山」は所在不詳。
「み吉野の高城の山に白雲は行く手を阻まれ、たなびいているのが見える」という歌である。
0353 み吉野の高城の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
(見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見)
「高城の山」は所在不詳。
「み吉野の高城の山に白雲は行く手を阻まれ、たなびいているのが見える」という歌である。
頭注に「日置少老(へきのをおゆ)の歌」とある。日置少老は伝未詳。
0354 縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山にたなびく
(縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引)
縄(なは)の浦は兵庫県相生市那波町の海岸とされる。「夕されば」は「夕方になると」である。 「縄の浦に塩を焼く煙、夕方になると行く手を阻まれ、山にたなびいている」という歌である。
0354 縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山にたなびく
(縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引)
縄(なは)の浦は兵庫県相生市那波町の海岸とされる。「夕されば」は「夕方になると」である。 「縄の浦に塩を焼く煙、夕方になると行く手を阻まれ、山にたなびいている」という歌である。
頭注に「生石村主真人(おひしのすぐりのまひと)の歌」とある。『続日本紀』にその名が見える。
0355 大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経にけむ
(大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經)
大汝(おほなむち)や少彦名(すくなひこな)の名は『古事記』や『日本書紀』の神話でお馴染みの神。 大汝は大国主命(おほくにぬしのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)等々色々な呼び方がされている。出雲大社の祭神である。また、少彦名は沖合から波に乗ってやってきた小さな神で、大汝と共に国造りを行った神として描かれている。以上の知識があればこの歌の理解には十分である。「志都(しつ)の石屋」は島根県太田市の海岸の岩窟という。
「大汝(おほなむち)と少彦名(すくなひこな)の二神がいらっしゃったという、この志都(しつ)の石屋(いはや)は幾代の年月を経てきたことだろう」という歌である。
0355 大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経にけむ
(大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經)
大汝(おほなむち)や少彦名(すくなひこな)の名は『古事記』や『日本書紀』の神話でお馴染みの神。 大汝は大国主命(おほくにぬしのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)等々色々な呼び方がされている。出雲大社の祭神である。また、少彦名は沖合から波に乗ってやってきた小さな神で、大汝と共に国造りを行った神として描かれている。以上の知識があればこの歌の理解には十分である。「志都(しつ)の石屋」は島根県太田市の海岸の岩窟という。
「大汝(おほなむち)と少彦名(すくなひこな)の二神がいらっしゃったという、この志都(しつ)の石屋(いはや)は幾代の年月を経てきたことだろう」という歌である。
頭注に「上古麻呂(かみのこまろ)の歌」とある。上古麻呂は伝未詳。
0356 今日もかも明日香の川の夕去らずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ [或本歌發句云 明日香川今もかもとな]
(今日可聞 明日香河乃 夕不離 川津鳴瀬之 清有良武 [或本歌發句云 明日香川今毛可毛等奈])
「今日もかも」は「今日もまた」である。少々悩ましいのは「夕去らず」(原文、夕不離)。「夕さらず」は本歌のほかに3例あるが、全部原文表記が微妙に異なる。夕不去(1372番歌)、初夜不去(2098番歌)、暮不去(2222番歌)、そして本歌の夕不離。諸家はすべて「毎夕」の意にとっている。発句の意味が毎日とあって、また「夕さらず」が毎夕の意では重複して「今日もかも」が生きてこなくなってしまう。私は「夕さらず」は「夕去らず」。すなわち「夕暮れ去りがたく」の意で、初夏から秋にかけての夕暮れの長い時節の風景だと思う。事実、2163番歌の「朝夕毎」のように毎度の場合はちゃんと「毎」の字が入っている。なので訓も「夕さらず」ではなく原文どおり「夕去らず」としておきたい。
「今日もまた明日香の川は夕暮れ去りがたく、蛙たちが鳴き交わす川瀬のせせらぎが清らかだろう」という歌である。
異伝歌は発句二句が「明日香川今もかもとな」となっている。「もとな」は「わけもなく」ないし「しきりに」という意味である。「今夕はなかなか暮れようとせず~」という歌になる。
0356 今日もかも明日香の川の夕去らずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ [或本歌發句云 明日香川今もかもとな]
(今日可聞 明日香河乃 夕不離 川津鳴瀬之 清有良武 [或本歌發句云 明日香川今毛可毛等奈])
「今日もかも」は「今日もまた」である。少々悩ましいのは「夕去らず」(原文、夕不離)。「夕さらず」は本歌のほかに3例あるが、全部原文表記が微妙に異なる。夕不去(1372番歌)、初夜不去(2098番歌)、暮不去(2222番歌)、そして本歌の夕不離。諸家はすべて「毎夕」の意にとっている。発句の意味が毎日とあって、また「夕さらず」が毎夕の意では重複して「今日もかも」が生きてこなくなってしまう。私は「夕さらず」は「夕去らず」。すなわち「夕暮れ去りがたく」の意で、初夏から秋にかけての夕暮れの長い時節の風景だと思う。事実、2163番歌の「朝夕毎」のように毎度の場合はちゃんと「毎」の字が入っている。なので訓も「夕さらず」ではなく原文どおり「夕去らず」としておきたい。
「今日もまた明日香の川は夕暮れ去りがたく、蛙たちが鳴き交わす川瀬のせせらぎが清らかだろう」という歌である。
異伝歌は発句二句が「明日香川今もかもとな」となっている。「もとな」は「わけもなく」ないし「しきりに」という意味である。「今夕はなかなか暮れようとせず~」という歌になる。
頭注に「山部宿祢赤人(やまべのすくねのあかひと)の歌六首」とある。赤人は317番歌等に記したように、伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。
0357 縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも
(縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下)
縄(なは)の浦は354番歌参照。「縄の浦ゆ」の「ゆ」は「~から」。そがひは原文の「背向」からうかがわれるように、遙か遠く沖合の島のこと。つまり、手前に縄の浦があって、釣り船の背後の島のことを指していると思われる。
「縄の浦の背後に見える沖に浮かぶ島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は釣りをしているようだ」という歌である。
絵はがきのように美しい光景の歌である。すでに見た赤人の代表歌「田子の浦ゆうち出でて見れば~」(318番歌)のように、雄大な情景を実にのびやかに詠っている。
0357 縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも
(縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下)
縄(なは)の浦は354番歌参照。「縄の浦ゆ」の「ゆ」は「~から」。そがひは原文の「背向」からうかがわれるように、遙か遠く沖合の島のこと。つまり、手前に縄の浦があって、釣り船の背後の島のことを指していると思われる。
「縄の浦の背後に見える沖に浮かぶ島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は釣りをしているようだ」という歌である。
絵はがきのように美しい光景の歌である。すでに見た赤人の代表歌「田子の浦ゆうち出でて見れば~」(318番歌)のように、雄大な情景を実にのびやかに詠っている。
0358 武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟
(武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟)
武庫の浦は兵庫県武庫川河口の近海。この歌にも前歌同様「そがひ」が使用されている。
「武庫の浦を粟島を背後に小舟がのんびり漕ぎ廻っている。羨ましい限り」という歌である。
(武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟)
武庫の浦は兵庫県武庫川河口の近海。この歌にも前歌同様「そがひ」が使用されている。
「武庫の浦を粟島を背後に小舟がのんびり漕ぎ廻っている。羨ましい限り」という歌である。
0359 阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのころ大和し思ほゆ
(阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念)
阿倍の島は所在不詳。
「阿倍の島の磯に鵜が住み着いている。その磯に絶え間なく波が打ち寄せる。その波のように絶え間なくこの頃(しきりに)大和が思われる」という歌である。
(阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念)
阿倍の島は所在不詳。
「阿倍の島の磯に鵜が住み着いている。その磯に絶え間なく波が打ち寄せる。その波のように絶え間なくこの頃(しきりに)大和が思われる」という歌である。
0360 潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ
(塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱褁乞者 何矣示)
「玉藻刈りつめ」は、「玉藻を刈り取っておいてくれ」という意味である。「浜づと」は「浜の土産」のこと。結句の「何を示さむ」は両様に取れる。一つは「この土地の浜の土産は藻しかないので」という解し方。が、玉藻という美称からして、これを反語表現と解して「藻をおいて他にいい土産があろうか」という取り方である。私は後者に取っておきたい。
「潮が引いたら藻を刈り取っておいてくれ。家の妻に土産はと乞われたら、藻をおいて他にいい土産があろうか言って渡したい」という歌である。
(塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱褁乞者 何矣示)
「玉藻刈りつめ」は、「玉藻を刈り取っておいてくれ」という意味である。「浜づと」は「浜の土産」のこと。結句の「何を示さむ」は両様に取れる。一つは「この土地の浜の土産は藻しかないので」という解し方。が、玉藻という美称からして、これを反語表現と解して「藻をおいて他にいい土産があろうか」という取り方である。私は後者に取っておきたい。
「潮が引いたら藻を刈り取っておいてくれ。家の妻に土産はと乞われたら、藻をおいて他にいい土産があろうか言って渡したい」という歌である。
0361 秋風の寒き朝明を佐農の岡越ゆらむ君に衣貸さましを
(秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣)
佐農の岡(さぬのをか)はどこの岡か未詳。朝明(あさけ)はむろん夜明け。衣(きぬ)は着物。赤人が女性に成り代わっての歌だが、そんな女性がいたらいいという歌か?
「秋風が吹く寒い夜明けに佐農の岡を越えてゆかれるあなたに着物を貸してあげたい」という歌である。
(秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣)
佐農の岡(さぬのをか)はどこの岡か未詳。朝明(あさけ)はむろん夜明け。衣(きぬ)は着物。赤人が女性に成り代わっての歌だが、そんな女性がいたらいいという歌か?
「秋風が吹く寒い夜明けに佐農の岡を越えてゆかれるあなたに着物を貸してあげたい」という歌である。
0362 みさご居る磯廻に生ふる名乗藻の名は告らしてよ親は知るとも
(美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志<弖>余 親者知友)
ミサゴは猛禽類。鷹の仲間。磯廻(いそみ)は磯の湾曲した場所。名乗藻(なのりそ)はそう呼ばれた海藻の一種。「なのりそ」は「名告りそ」とも書けるので下二句を導き出すための序歌。
「ミサゴがいる磯の辺りに生える名乗藻(なのりそ)ではないが、親に知られてもいいから名を教えてよ」という歌である。
(美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志<弖>余 親者知友)
ミサゴは猛禽類。鷹の仲間。磯廻(いそみ)は磯の湾曲した場所。名乗藻(なのりそ)はそう呼ばれた海藻の一種。「なのりそ」は「名告りそ」とも書けるので下二句を導き出すための序歌。
「ミサゴがいる磯の辺りに生える名乗藻(なのりそ)ではないが、親に知られてもいいから名を教えてよ」という歌である。
或本の歌
0363 みさご居る荒磯に生ふる名乗藻のよし名は告らせ親は知るとも
(美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 <吉>名者告世 父母者知友)
前歌の異伝歌。ほぼ同歌といっていい。ここまでが赤人の歌。
0363 みさご居る荒磯に生ふる名乗藻のよし名は告らせ親は知るとも
(美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 <吉>名者告世 父母者知友)
前歌の異伝歌。ほぼ同歌といっていい。ここまでが赤人の歌。
頭注に「笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)が塩津山で作った歌二首」とある。金村は伝未詳。
0364 ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
(大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金)
「ますらを」は男の美称で、「立派な男が」の意。この歌の末尾の「~がね」に関して、「岩波大系本」は詳細な補注を施している。数多くの実例歌を挙げたうえでの見事な解説である。参考までに実例歌を掲げておくと、1906番歌、1958番歌、2304番歌などである。詳細は同書によっていただくとして、その成果を本歌に当てはめると、「語り継ぐがね」は「語り継ぐことになるだろうから」となる。当時、山中で国境越えをする際大きな神木に矢を射る習俗があったという。
「ますらをが弓末(ゆずゑ)を振り起し、射かけた矢の(見事さ)は後の世の人が語り継ぐことになるだろうから」という歌である。
0364 ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
(大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金)
「ますらを」は男の美称で、「立派な男が」の意。この歌の末尾の「~がね」に関して、「岩波大系本」は詳細な補注を施している。数多くの実例歌を挙げたうえでの見事な解説である。参考までに実例歌を掲げておくと、1906番歌、1958番歌、2304番歌などである。詳細は同書によっていただくとして、その成果を本歌に当てはめると、「語り継ぐがね」は「語り継ぐことになるだろうから」となる。当時、山中で国境越えをする際大きな神木に矢を射る習俗があったという。
「ますらをが弓末(ゆずゑ)を振り起し、射かけた矢の(見事さ)は後の世の人が語り継ぐことになるだろうから」という歌である。
0365 塩津山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも
(塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家戀良霜)
塩津山(しほつやま)は近江(滋賀県)と敦賀(福井県)の国境付近の山。その山を越えて行くとき私が乗った馬がつまづいた、という歌。結句の「家恋ふらしも」を「岩波大系本」を始め「伊藤本」も「中西本」も一様に「家人が私を慕っているらしい」と解している。が、歌は「馬ぞつまづく」でいったん切れている。主体は「馬」にある。「馬ぞ」と強調の「ぞ」まで付いている。なので、「家恋ふらしも」は「馬までが故郷の家を」という意味に相違ない。それだけ作者の望郷の念が強い歌だと思うがいかがだろう。
「塩津山を越えていくとき私が乗っている馬がつまづいた。馬までが故郷の家を慕っているらしい」という歌である。
(塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家戀良霜)
塩津山(しほつやま)は近江(滋賀県)と敦賀(福井県)の国境付近の山。その山を越えて行くとき私が乗った馬がつまづいた、という歌。結句の「家恋ふらしも」を「岩波大系本」を始め「伊藤本」も「中西本」も一様に「家人が私を慕っているらしい」と解している。が、歌は「馬ぞつまづく」でいったん切れている。主体は「馬」にある。「馬ぞ」と強調の「ぞ」まで付いている。なので、「家恋ふらしも」は「馬までが故郷の家を」という意味に相違ない。それだけ作者の望郷の念が強い歌だと思うがいかがだろう。
「塩津山を越えていくとき私が乗っている馬がつまづいた。馬までが故郷の家を慕っているらしい」という歌である。
頭注に「角鹿津で乗船した時、笠朝臣金村が作った歌と短歌」とある。角鹿(つのが)は福井県の敦賀の港。金村は伝未詳。
366番 長歌
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 真楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海女娘子 塩焼く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を
(越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎)
366番 長歌
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 真楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海女娘子 塩焼く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を
(越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「鯨魚(いさな)取り」と「玉たすき」は枕詞。手結(たゆひ)が浦は福井県敦賀市田結の海岸。
(口語訳)
越(北陸)の海の角鹿(敦賀)の港から、大船の両側に梶をさし下ろし、海路を喘ぎながら漕いでいくと立派な手結が浦にさしかかる。その浦に海女娘子たちが塩を焼く煙が見える。私は旅にある身。一人で見るのは甲斐がない。海神が手に巻いておられる玉のように心にかけながら大和を思う
越(北陸)の海の角鹿(敦賀)の港から、大船の両側に梶をさし下ろし、海路を喘ぎながら漕いでいくと立派な手結が浦にさしかかる。その浦に海女娘子たちが塩を焼く煙が見える。私は旅にある身。一人で見るのは甲斐がない。海神が手に巻いておられる玉のように心にかけながら大和を思う
反 歌
0367 越の海の手結が浦を旅にして見れば羨しみ大和偲ひつ
(越海乃 手結之浦<矣> 客為而 見者乏見 日本思櫃)
手結(たゆひ)が浦は前歌参照。
「越の海の手結が浦を旅にあって見ていると、(一人では)もったいないほどの絶景だ。ああ故郷大和の彼女と見られたらなあ」という歌である。
(2013年4月29日記、2017年9月4日記)
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0367 越の海の手結が浦を旅にして見れば羨しみ大和偲ひつ
(越海乃 手結之浦<矣> 客為而 見者乏見 日本思櫃)
手結(たゆひ)が浦は前歌参照。
「越の海の手結が浦を旅にあって見ていると、(一人では)もったいないほどの絶景だ。ああ故郷大和の彼女と見られたらなあ」という歌である。
(2013年4月29日記、2017年9月4日記)