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万葉集読解・・・31(413~423番歌)

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     万葉集読解・・・31(413~423番歌)
 頭注に「大網公人主(おほあみのきみひとぬし)の歌で宴の場で吟じられた」とある。
0413   須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
      (須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢)
 須磨は現在の神戸市須磨区。藤衣(ふぢころも)は藤の繊維で出来た海女の作業着。女をこれに喩えた。「間遠にしあれば」は藤の作業着はごわごわした目の粗い服だったので、その目の荒いことを表現。たまにしか着ないので「着なれず」と結んでいる。つまり、その女とはたまにしか共寝しないので「味は分からんのよ」と座の一同に告げた歌である。この歌を耳にして一同が笑いさんざめく光景が目に浮かぶようである。
 「須磨の海女が塩を焼くとき着る藤の作業着、ごわごわした目の粗い着物なので、たまにしかまとう機会がなく、女の味はまだよく分からんのよ」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持の歌」とある。
0414   あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かばかたみと標のみぞ結ふ
      (足日木能 石根許其思美 菅根乎 引者難三等 標耳曽結焉)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「こごしみ」は「しっかりからみつく」意。菅は大嬢のこと。
 「山の岩の根元にしっかりからみついて、引いてもかたくて抜けないので標縄を張るだけにしました」という歌である。
 宴席上での歌はこれで終了となる。次歌から挽歌に入る。

  挽 歌
 頭注に「上宮聖徳皇子(うへのみやのしやうとこのみこ)、竹原井(たかはらのゐ)においでになった時、龍田山の死者をご覧になって悲しんでお作りになった歌」とあり、細注に「小墾田宮(をはりたのみや)の御世、豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめ)、諱(いみな)を額田、諡(おくりな)を推古と申す天皇の時代」とある。
0415   家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ
      (家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人A怜)
 415~483番歌まで挽歌。
 頭注に見える「龍田山」は奈良県生駒郡の山の一つ。注目は作者名。上宮聖徳皇子とある。ここに聖徳の表記があり、万葉時代にはすでに聖徳と敬われていたことが確認できる。が、聖徳の表記は驚くに当たらない。奈良時代初期(720年)編纂の『日本書紀』にすでに「豊耳聡聖徳」や「東宮聖徳」の表記が見えているからである。
  「手まかむ」は「手枕にして」、「旅に臥(こ)やせる」は「旅の空に横たわる」という意味。
 「このお方は家におられたなら妻の手を枕にして安穏だっただろうに、旅の空の下、こんな変わり果てた姿になられたとは哀れ」という歌である

 頭注に「大津皇子(おおつのみこ)が死を目前にして磐余(いはれ)の池を前に涙を流しつつ詠った歌」とある。
0416   ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
      (百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟)
 大津皇子は謀反のかどで草壁皇子(くさかべのみこ)側によって死を賜わった悲劇の皇子。伊勢神宮の斎宮だった姉の大来皇女(おおくのひめみこ)に有名な105番歌「我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし」がある。幾度読み返しても涙を誘われる。
 「ももづたふ」は枕詞。磐余(いはれ)」は奈良県桜井市東池尻町のあたり。その東方に泊瀬山(はつせやま)がある。「雲隠りなむ」は「雲の上に隠れる(あの世に行く)」という意味。
 「磐余の池に鳴く鴨を見納めにして私はあの世に旅立とう」という歌である。
 左注に「藤原宮の朱鳥元年の冬十月」とある。

 頭注に「河内王(かふちのおほきみ)を豊前国(とよのみちのくのくに)の鏡山に葬りし時に手持女王(たもちのおほきみ)が作った歌3首」とある。河内王は複数いるようだが、豊前国(福岡県東部及び大分県北西部にあった国)の鏡山に葬られたとあるから、太宰府の長官に任ぜられていた王と考えられている。手持女王はその妻であるらしい。
0417   大君の親魂逢へや豊国の鏡の山を宮と定むる
      (王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流)
 「大君の親魂(むつたま)逢へや」は「慣れ親しんだあなた様の魂にお会いできるのでしょうか」という反語表現。「宮と定むる」は「墓所と決めました」である。
 「大君(あなた様)の慣れ親しんだ魂にお会いできるのでしょうか。遠く離れた豊前国の鏡山が墓所と決められて」という歌である。

0418   豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず
      (豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座)
 次歌と本歌は神話を下敷きにしている。『古事記』や『日本書紀』に有名な岩戸神話が語られている。その概要を紹介するとこうである。天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸(いはと)に隠れて世の中が常世(とこよ)の闇に包まれてしまう。弱り果てた神々は岩戸の前でどんちゃん騒ぎを演ずる。外は常世の闇の筈なのに不審に思った天照大神が岩戸を少し開けてのぞき見ようとした。とたんに岩戸の脇に控えていた手力男神(たぢからおのかみ)が岩戸をこじ開け天照大神を引き出した。同時に別の神(天児屋命と太玉命)が鏡を差し出した。以上が神話の概要。さて、この歌、鏡、岩戸、隠りと神話関連用語が相次いで出てくる。神話を下敷きにしているに相違ない。
 「豊国の鏡の山の岩戸の中に立てこもっていらっしゃるようだ。ここ大和で待っても待ってもいらっしゃらない」という歌である。

0419   岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
      (石戸破 手力毛欲得 手弱寸 女有者 為便乃不知苦)
 前歌に続いてこの歌も手力という神話関連用語が見える。「手力もがも」は「(岩戸を破るほどの)力があったなら」という願望。
 「岩戸を破る力がほしい。私は手弱き女の身、どうしていいか分からない」という歌である。

 頭注に「石田王がみまかりし時、丹生王(にふおほきみ)が作った歌と短歌」とある。石田王は伝未詳。丹生王は妻らしい。553番歌の作者、丹生女王のことともされている。
0420番 長歌
   なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 泊瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも
   (名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者 隠久乃 始瀬乃山尓 神左備尓 伊都伎坐等 玉梓乃 人曽言鶴 於余頭礼可 吾聞都流 <狂>言加 我間都流母 天地尓 悔事乃 世開乃 悔言者 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御諸乎立而 枕邊尓 齊戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 潔身而麻之<乎> 高山乃 石穂乃上尓 伊座都<類>香物)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「なゆ竹」は「なよ竹」で「弱々しい竹」、「さ丹つらふ」は「頬の赤い」という意味。「泊瀬の山」は奈良県桜井市の山。「玉梓の」は「玉梓(たまづさ)の使い」のこと。「およづれ」と「たはこと」は相似した意味の用語で、人惑わしないし戯言の類。「そくへの極み」は「遠い果て」。「夕占(ゆふけ)」と「石占(いしうら)」は占いの類で吉凶を占う。「みもろ」は神の鎮座するところ」。七節菅は未詳とされるが、天の野原に生えている菅というのだから、菅の一種だろう。丈長の菅草か?

 (口語訳)
   なよ竹のように弱々しい御子。頬の赤いあなた様は、泊瀬山に隠られ神々しく祭られることになりました、と使いの者が告げました。人惑わしの絵空事を耳にしたのか、それともたわごとを聞いたのか。この天地の悔しいこと、世の中の一番悔しいことを。天雲の向こうの遠い遠い果て、天地の尽きる果てまでも、杖を突き、いや、杖も突かずに行こう。夕方の道の占いを立て、石を蹴って吉凶を占おう。我が家に神棚を設け、枕辺に祭るための瓶を据え付け、竹の玉をいっぱい貫き、垂らすべきでした。わが腕に木綿のたすきを掛け、天にあるささらの小野から丈長の菅草を手に取って、天の川原に出で立って、身を清めておくべきでした。そうしなかったために、あなた様は今では高山の巌の上にいらっしゃる身となってしまわれました。

 反 歌
0421   およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる
      (逆言之 狂言等可聞 高山之 石穂乃上尓 君之臥有)
 「およづれ」も「たはこと」も「そらごと」のこと。結句の「君が臥(こ)やせる」は「反語表現。
 「ああ我が君が高山の巌の上に伏せっているなんて、冗談、そう、そらごとに決まっているわよね」という歌である。

0422   石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに
      (石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君尓有名國)
 石上(いそのかみ)は奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)の鎮座する一帯。その杉林は有名だったようだ。この第三句までは「過ぎ」を導くための序歌。石上神宮の鎮座する布留(ふる)の山も杉林も神聖な存在。序歌ではあっても、私は比喩的に解したい。
 「あの杉林のように大変素晴らしいあの方。そのお方をどうして忘れ去ることができましょう」という歌である。

 頭注に「同じく石田王がみまかりし時、山前王(やまさきのおほきみ)が哀しんで作った歌一首」とある。山前王は忍壁皇子(四十代天武天皇の皇子)の御子。
0423番 長歌
   つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き [一云 貫き交へ] かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く [一云 葛の根の いや遠長に] 万代に 絶えじと思ひて [一云 大船の 思ひたのみて] 通ひけむ 君をば明日ゆ [一云 君を明日ゆは] 外にかも見む
   (角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬<口>波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 [一云 貫交] 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 [一云 田葛根乃 弥遠長尓] 萬世尓 不絶等念而 [一云 大舟之 念憑而] 将通 君乎婆明日従 [一云 君乎従明日<者>] 外尓可聞見牟)

  「つのさはふ」は枕詞。磐余(いはれ)」は奈良県桜井市内。「朝さらず」は「毎朝」。

 (口語訳)
   磐余の道を毎朝行かれて、あの方が通う道すがら思われたことは、ホトトギスの鳴き声。その五月にはあやめ草。そして花橘を玉のようにひもに貫き(一云、こもごも貫き)、髪飾りにしようと。また九月のしぐれの季節には黄葉を折り取って髪にさそうと。そして這う葛のようにますます末長く(一云、葛の根のようにますます末長く)、いついつまでも親しい友と思って(一云、大船のように頼りにして)通ってきたのに。その君を明日からは(一云、明日から君を)あの世の人とみなければならぬのか
 左注に「この一首、或は柿本朝臣人麻呂作という」とある。
          (2013年5月21日記、2017年9月16日記)
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