万葉集読解・・・34-2(470~483番歌)
頭注に「悲しみはいまだ止まず、更に作った歌五首」とある。やはり大伴家持の歌。
0470 かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり
(如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来)
「かくのみにありけるものを」は「死別になる定めにあったのに」である。二人の間が永遠に続くという思いはどの時代のどの男女にも当てはまる思いである。
「死別になる定めにあったのに彼女も私も千年も続くと頼りにしてた」という歌である。
頭注に「悲しみはいまだ止まず、更に作った歌五首」とある。やはり大伴家持の歌。
0470 かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり
(如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来)
「かくのみにありけるものを」は「死別になる定めにあったのに」である。二人の間が永遠に続くという思いはどの時代のどの男女にも当てはまる思いである。
「死別になる定めにあったのに彼女も私も千年も続くと頼りにしてた」という歌である。
0471 家離りいます我妹を留めかね山隠しつれ心どもなし
(離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思)
「心どもなし」は457番歌にも使われているが、「茫然自失」の状態。
「家を旅立つ妻を留めることが出来ないで、死なせてしまった、ああ」という歌である。
(離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思)
「心どもなし」は457番歌にも使われているが、「茫然自失」の状態。
「家を旅立つ妻を留めることが出来ないで、死なせてしまった、ああ」という歌である。
0472 世の中は常かくのみとかつ知れど痛き心は忍びかねつも
(世間之 常如此耳跡 可都<知跡> 痛情者 不忍都毛)
「常(つね)かくのみと」は「むごいものだと」。「かつ知れど」は「頭では分かっているけれど」である。この歌も亡くした妻を思う悲痛な心情を詠っている。
「世の中はむごいものだと、頭では分かっているけれどこの辛い気持は耐え難い」という歌である。
0473 佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし
(佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無)
佐保は奈良市北部の山で、大伴氏の故郷。現代短歌としてそのまま歌誌に載っていても不思議はない万人に届く歌である。
「佐保山にたなびく霞を見るたびに、妻を思いだし、泣かない日はない」という歌である。
(世間之 常如此耳跡 可都<知跡> 痛情者 不忍都毛)
「常(つね)かくのみと」は「むごいものだと」。「かつ知れど」は「頭では分かっているけれど」である。この歌も亡くした妻を思う悲痛な心情を詠っている。
「世の中はむごいものだと、頭では分かっているけれどこの辛い気持は耐え難い」という歌である。
0473 佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし
(佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無)
佐保は奈良市北部の山で、大伴氏の故郷。現代短歌としてそのまま歌誌に載っていても不思議はない万人に届く歌である。
「佐保山にたなびく霞を見るたびに、妻を思いだし、泣かない日はない」という歌である。
0474 昔こそ外にも見しか我妹子が奥つ城と思へば愛しき佐保山
(昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山)
「昔こそ外(よそ)にも見しか」は「昔は無関係の山と思っていたが」の意。「奥つ城(き)」は「眠っている場所」。すなわち墓所。「愛(は)しき」は「いとしい」。佐保山は前歌参照。
「昔は単なる山としか見ていなかったが、わが妻が眠って居るところと思うと、愛しくてならない佐保山だ」という歌である。
頭注に「十六年甲申春二月、安積皇子(あさかのみこ)が薨じた時、内舎人大伴宿祢家持が作った歌六首」とある。十六年は天平十六年(744年)。安積皇子は四十五代聖武天皇の皇子。内舎人(うどねり)は天皇近辺に仕える雑務官。
0475番 長歌
かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久迩の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども 為むすべもなし
(<挂>巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 O打雖泣 将為須便毛奈思)
(昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山)
「昔こそ外(よそ)にも見しか」は「昔は無関係の山と思っていたが」の意。「奥つ城(き)」は「眠っている場所」。すなわち墓所。「愛(は)しき」は「いとしい」。佐保山は前歌参照。
「昔は単なる山としか見ていなかったが、わが妻が眠って居るところと思うと、愛しくてならない佐保山だ」という歌である。
頭注に「十六年甲申春二月、安積皇子(あさかのみこ)が薨じた時、内舎人大伴宿祢家持が作った歌六首」とある。十六年は天平十六年(744年)。安積皇子は四十五代聖武天皇の皇子。内舎人(うどねり)は天皇近辺に仕える雑務官。
0475番 長歌
かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久迩の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども 為むすべもなし
(<挂>巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 O打雖泣 将為須便毛奈思)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「かけまくも~ゆゆしきかも」は199番長歌とほぼ同じ表現。「見したまはまし」は「お治めになる筈だった」げある。久迩(くに)の都は天平十二年~十六年まで聖武天皇が都した(恭任京)。京都府木津川市にあった。「花咲きををり」は「花がたわわに咲き」という意味。 「いや日異(ひけ)に」は「日増しにいよいよ」である。「和束山」は京都府相楽郡和束町の山。安積皇子の陵墓がある。
(口語訳)
心にかけるのも恐れ多く、言葉に出すのももったいない、我が大君(安積皇子)は万代にお治めになる筈だったこの大日本(やまと)の国の久迩(くに)の都。草木もうちなびく春ともなれば、山には花がたわわに咲き、川瀬には鮎が走り回る。日増しにいよいよ栄えていく折りも折り、そら言というのか、私たち舎人(とねり)は白装束に身を包み、和束山に御輿を立てて天界を支配されることになった皇子に対し、大地を転がり回り、涙を流して泣けど、何の術もありません。
心にかけるのも恐れ多く、言葉に出すのももったいない、我が大君(安積皇子)は万代にお治めになる筈だったこの大日本(やまと)の国の久迩(くに)の都。草木もうちなびく春ともなれば、山には花がたわわに咲き、川瀬には鮎が走り回る。日増しにいよいよ栄えていく折りも折り、そら言というのか、私たち舎人(とねり)は白装束に身を包み、和束山に御輿を立てて天界を支配されることになった皇子に対し、大地を転がり回り、涙を流して泣けど、何の術もありません。
反 歌
0476 わが大君天知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束そま山
(吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山)
前長歌を見れば平明歌そのもの。
「お亡くなりになるとは思いもしなかったので余所の山と見ていただけの和束山だったのに」という歌である。
0476 わが大君天知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束そま山
(吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山)
前長歌を見れば平明歌そのもの。
「お亡くなりになるとは思いもしなかったので余所の山と見ていただけの和束山だったのに」という歌である。
0477 あしひきの山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が大君かも
(足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞)
「あしひきの」は枕詞。
「皇子から発する光で輝くように咲いていた山の花が一斉に散ってしまいました。わが皇子がお隠れになったので」という歌である。
左注に「右三首は二月三日に作った歌」とある。
(足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞)
「あしひきの」は枕詞。
「皇子から発する光で輝くように咲いていた山の花が一斉に散ってしまいました。わが皇子がお隠れになったので」という歌である。
左注に「右三首は二月三日に作った歌」とある。
0478番 長歌
かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命の もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも
(<挂>巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐<起> 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 <服>取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經<見>者 悲<呂>可聞)
かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命の もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも
(<挂>巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐<起> 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 <服>取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經<見>者 悲<呂>可聞)
「活道(いくぢ)山」は恭任京の近くの山とされるが不明。靫(ゆき)は矢を入れる容器。
(口語訳)
0479 はしきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり
(波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里)
「はしきかも」は「いとおしい」。「あり通ひ」は「ご存命中通われていた」である。
(大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄)
「靫(ゆき)」は長歌参照。
「大伴の名に負う靫を帯びて末永く頼みにしていた我らは(皇子を亡くして)どこへ心を寄せたらいいのだろう」という歌である。
左注に「右三首は三月廿四日に作った歌」とある。家持の歌はここで終了。
心にかけるのも恐れ多い我が大君(安積皇子)は多くの強者を召し集め、引き連れて朝の御狩りに出で給い、鹿や猪を追い立てる。夕べの狩りにはウズラやキジを追い立てられた。また、大御馬の手綱を引いてあたりを眺め、御心を晴らされた。その活道山の木立の茂みも咲く花も時移り、色あせて散っていく。世の中はこんなにはかないものか。男勇者の心を奮い立たせ、剣太刀(つるぎたち)を腰に帯び、弓を携え、靫を背負って、天地ともども、末永く、よろづ代にお仕え申そうと頼みにしていた皇子。その御殿に騒がしい蝿のようににぎにぎしく仕えてきた舎人たち。今では白装束に身を包み、喪に服す日々。かっては笑いさんざめき、活発に動き回る彼らだったのに、日増しに変わっていくのを見ると悲しくてたまらない。
反 歌0479 はしきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり
(波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里)
「はしきかも」は「いとおしい」。「あり通ひ」は「ご存命中通われていた」である。
[いとおしい皇子様がかって通われていた活道(いくぢ)山への道は、すっかり荒れてしまった」という歌である。
0480 大伴の名に負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ(大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄)
「靫(ゆき)」は長歌参照。
「大伴の名に負う靫を帯びて末永く頼みにしていた我らは(皇子を亡くして)どこへ心を寄せたらいいのだろう」という歌である。
左注に「右三首は三月廿四日に作った歌」とある。家持の歌はここで終了。
頭注に「妻の死を悲しんで、高橋朝臣が作った歌と短歌」とある。
0481番 長歌
白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ
(白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆<會> 腋<挾> 兒乃泣<毎> 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念)
0481番 長歌
白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ
(白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆<會> 腋<挾> 兒乃泣<毎> 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念)
「にきびにし」は「慣れ親しんだ」という意味。「山背の相楽山」は「京都府相楽郡の山」のことだが「和束山」のことか。「男じもの」は「男らしくなく」という意味。」
(口語訳)
「真っ白な袖を交わして寄り添って寝た妻。我が黒髪が真っ白になるまで次の世まで共に歩もうね。決して二人の仲が絶えないようにと、妻と誓い合ったのに。が、誓いは果たせず、心も遂げないまま、交わした袖から別れ、慣れ親しんだ家からも去っていってしまった。泣く幼子を置いて、朝霧が遠くかすんでいくように、山城(京都)の相楽山の山の向こうに行ってしまった。何を言ってよいら何をしてよいやら分からない。妻と一緒に寝た妻屋にいるばかり。朝には出て妻を偲び、夕方になると内に入って嘆き悲しむ。脇に抱えた幼子が泣くたびに、男らしくもなく、おぶったり抱いたりして泣けてきてしまう。妻恋しさに嘆いてもなんの甲斐もない。が、物言わぬ山ではあるが、妻が隠れてしまった山をよりどころにするしかない。
「真っ白な袖を交わして寄り添って寝た妻。我が黒髪が真っ白になるまで次の世まで共に歩もうね。決して二人の仲が絶えないようにと、妻と誓い合ったのに。が、誓いは果たせず、心も遂げないまま、交わした袖から別れ、慣れ親しんだ家からも去っていってしまった。泣く幼子を置いて、朝霧が遠くかすんでいくように、山城(京都)の相楽山の山の向こうに行ってしまった。何を言ってよいら何をしてよいやら分からない。妻と一緒に寝た妻屋にいるばかり。朝には出て妻を偲び、夕方になると内に入って嘆き悲しむ。脇に抱えた幼子が泣くたびに、男らしくもなく、おぶったり抱いたりして泣けてきてしまう。妻恋しさに嘆いてもなんの甲斐もない。が、物言わぬ山ではあるが、妻が隠れてしまった山をよりどころにするしかない。
反 歌
0482 うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
(打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟)
平明歌。
「無常は世の定めと思ってこれまで無関係と思っていた山だったが、今では妻が眠る山。これからは心のよりどころと思うであろう」という歌である。
0482 うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
(打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟)
平明歌。
「無常は世の定めと思ってこれまで無関係と思っていた山だったが、今では妻が眠る山。これからは心のよりどころと思うであろう」という歌である。
0483 朝鳥の哭のみし泣かむ我妹子に今またさらに逢ふよしをなみ
(朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無)
「朝鳥の哭(ね)のみし泣かむ」は「毎朝声をあげて泣く鳥のように」という比喩である。「よしをなみ」は「すべがない」である。
「毎朝声をあげて鳴く鳥のように泣いてみても、いとしい妻に再度逢おうにも逢う術がない」という歌である。
左注に「右三首は七月廿日高橋朝臣の作る歌。名前は不明。奉膳(かしわで)の男子ともいう」とある。奉膳は宮内省内膳司長官。
以上で巻3の終了である。
(2013年6月1日記、 2017年10月3日記)
(朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無)
「朝鳥の哭(ね)のみし泣かむ」は「毎朝声をあげて泣く鳥のように」という比喩である。「よしをなみ」は「すべがない」である。
「毎朝声をあげて鳴く鳥のように泣いてみても、いとしい妻に再度逢おうにも逢う術がない」という歌である。
左注に「右三首は七月廿日高橋朝臣の作る歌。名前は不明。奉膳(かしわで)の男子ともいう」とある。奉膳は宮内省内膳司長官。
以上で巻3の終了である。
(2013年6月1日記、 2017年10月3日記)
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