万葉集読解・・・119(1745~1763番歌)
1745 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
(三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我)
那賀郡(なかのこほり)の曝井(さらしゐ)の歌。那賀郡は埼玉県児玉郡内または茨木県水戸市内にあったとされる村里。曝井は衣服の洗い場、あちこちにあって近在の男女が集まる場所だったようだ。「三栗の」は枕詞というが、本歌のほかには1783番歌にしか例がなく、枕詞(?)としておくのが無難だろう。「精出して那賀の里の洗い場に通ってみよう。そこに妻となるべき女性がいるかも知れないから」という歌である。
1745 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
(三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我)
那賀郡(なかのこほり)の曝井(さらしゐ)の歌。那賀郡は埼玉県児玉郡内または茨木県水戸市内にあったとされる村里。曝井は衣服の洗い場、あちこちにあって近在の男女が集まる場所だったようだ。「三栗の」は枕詞というが、本歌のほかには1783番歌にしか例がなく、枕詞(?)としておくのが無難だろう。「精出して那賀の里の洗い場に通ってみよう。そこに妻となるべき女性がいるかも知れないから」という歌である。
1746 遠妻し高にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
(遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益)
手綱濱(たづなのはま)の歌。
「岩波大系本」は高(たか)は茨城県多賀郡のこととし、和名抄に「多珂郡多珂」とあるのを引き合いに出している。そして「手綱の浜の」は枕詞としている。これを誤解と断定までは出来かねるが、私は様々な点から不審を抱いている。「遠妻し」という言い方は大和にいる妻のことと考えると、茨城県ではあまりにも隔絶している。奈良時代の大和と茨木では「遠妻し」と気軽に歌い出せるような場所ではない。別世界という感覚だったに相違ない。これが一点。次に題詞に「手綱濱」とあるだけである。なぜせめて「常陸国」という国名が入っていないのだろう。これが一点。さらに、歌中に「高に」とあるだけでなぜいきなり茨城県多賀郡のこととなるのか不明。常陸国という前提で和名抄を繰ったら「多珂郡多珂」があったということではないのか。そもそも国名も郡名も記されていないのに万葉集の編者がぴんと来るはずがあるまい。逆言すると、「たか」といえば、「ああ、あそこのたかか」と見当がつく「たか」に相違ない。
以上、私がこれにこだわったのは、兵庫県に多可郡があり、当時の人は「たか」といえば大和に近いこの多可郡を思い浮かべたに相違ないと思うからである。問題は「手綱の浜」。浜は海とは限らない。大きな川の砂浜も浜という。多可郡には加古川という大きな川が流れている。舟で移動すれば大阪湾に入るのはわけない。
以上のような理由から私は本歌は、「遠く大和にいる妻が大和ではなくここ那珂郡にいたとすれば、今私がいる手綱の浜ではないが、私を訪ねて来てくれるだろうに」という歌と考える。
(遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益)
手綱濱(たづなのはま)の歌。
「岩波大系本」は高(たか)は茨城県多賀郡のこととし、和名抄に「多珂郡多珂」とあるのを引き合いに出している。そして「手綱の浜の」は枕詞としている。これを誤解と断定までは出来かねるが、私は様々な点から不審を抱いている。「遠妻し」という言い方は大和にいる妻のことと考えると、茨城県ではあまりにも隔絶している。奈良時代の大和と茨木では「遠妻し」と気軽に歌い出せるような場所ではない。別世界という感覚だったに相違ない。これが一点。次に題詞に「手綱濱」とあるだけである。なぜせめて「常陸国」という国名が入っていないのだろう。これが一点。さらに、歌中に「高に」とあるだけでなぜいきなり茨城県多賀郡のこととなるのか不明。常陸国という前提で和名抄を繰ったら「多珂郡多珂」があったということではないのか。そもそも国名も郡名も記されていないのに万葉集の編者がぴんと来るはずがあるまい。逆言すると、「たか」といえば、「ああ、あそこのたかか」と見当がつく「たか」に相違ない。
以上、私がこれにこだわったのは、兵庫県に多可郡があり、当時の人は「たか」といえば大和に近いこの多可郡を思い浮かべたに相違ないと思うからである。問題は「手綱の浜」。浜は海とは限らない。大きな川の砂浜も浜という。多可郡には加古川という大きな川が流れている。舟で移動すれば大阪湾に入るのはわけない。
以上のような理由から私は本歌は、「遠く大和にいる妻が大和ではなくここ那珂郡にいたとすれば、今私がいる手綱の浜ではないが、私を訪ねて来てくれるだろうに」という歌と考える。
1747番 長歌
1748 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
(吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落)
1747番長歌の題詞に「春三月、卿(まへつきみ)や大夫の一行が難波に下る時の歌二首と短歌」とある。歌二首とは長歌のことなので、1749番長歌も含まれている。短歌は本歌と1750挽歌。
1747番長歌には「龍田山の桜が風で散ってわずかに下枝の部分のみが残っている」旨のことが詠われている。本歌はそれを承けた歌。「我が行きは七日は過ぎじ」は難波行きの一行に加わった作者の見通しを述べている。龍田彦は奈良県生駒郡斑鳩町に鎮座する龍田神社の祭神。「難波に行って戻って来るのに七日はかかりません。龍田彦様、戻って来るまでゆめゆめ、桜を風に散らせなさいませんように」という歌である。
1748 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
(吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落)
1747番長歌の題詞に「春三月、卿(まへつきみ)や大夫の一行が難波に下る時の歌二首と短歌」とある。歌二首とは長歌のことなので、1749番長歌も含まれている。短歌は本歌と1750挽歌。
1747番長歌には「龍田山の桜が風で散ってわずかに下枝の部分のみが残っている」旨のことが詠われている。本歌はそれを承けた歌。「我が行きは七日は過ぎじ」は難波行きの一行に加わった作者の見通しを述べている。龍田彦は奈良県生駒郡斑鳩町に鎮座する龍田神社の祭神。「難波に行って戻って来るのに七日はかかりません。龍田彦様、戻って来るまでゆめゆめ、桜を風に散らせなさいませんように」という歌である。
1749番 長歌
1750 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
(暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒)
「暇(いとま)あらば」は、1749番長歌に馬にむち打って難波に急ぐ様子が詠われているので、そのことを言っている。「なづさひ渡り」は「苦労して渡ってでも」という意味。「時間さえあれば苦労して渡ってでも、向かいの峰の桜を折り取ってまいりましょうに」という歌である。
1750 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
(暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒)
「暇(いとま)あらば」は、1749番長歌に馬にむち打って難波に急ぐ様子が詠われているので、そのことを言っている。「なづさひ渡り」は「苦労して渡ってでも」という意味。「時間さえあれば苦労して渡ってでも、向かいの峰の桜を折り取ってまいりましょうに」という歌である。
1751番 長歌
1752 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
(射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得)
1751番長歌の題詞に「難波に一泊して帰って来るときの歌と短歌」とある。
「い行き逢ひの坂」とは「人が行き合う坂」、つまり「坂のてっぺん」のこと。「咲きををる」は「咲き誇る」という意味。「坂のてっぺん近辺に咲き誇る桜の花。この美しい光景を見せてやれる彼女がいたらなあ」という歌である。
1752 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
(射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得)
1751番長歌の題詞に「難波に一泊して帰って来るときの歌と短歌」とある。
「い行き逢ひの坂」とは「人が行き合う坂」、つまり「坂のてっぺん」のこと。「咲きををる」は「咲き誇る」という意味。「坂のてっぺん近辺に咲き誇る桜の花。この美しい光景を見せてやれる彼女がいたらなあ」という歌である。
1753番 長歌
1754 今日の日にいかにか及かむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
(今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛)
1753番長歌の題詞に「検税使大伴卿が筑波山に登ったときの歌と短歌」とある。検税使は国の倉に蓄えられている現物税と帳簿を照合する官で、都から諸国に派遣された。当時の税は金銭ではなく、稲等の現物税だったので、帳簿の記載と照合する必要があった。大伴卿(おほとものまへつきみ)が誰のことを指しているのかはっきりしない。筑波山は茨城県の筑波山。
1753番長歌には、この日が絶好の快晴だったことが詠われている。「いかにか及(し)かむ」は、むろん現在も「~及くはなし」と使われる「及く」である。
「今日のような絶好の日があろうか。ここ筑波嶺にやってきた昔の人たちも目にしたことのない日だ」という歌である。
1754 今日の日にいかにか及かむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
(今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛)
1753番長歌の題詞に「検税使大伴卿が筑波山に登ったときの歌と短歌」とある。検税使は国の倉に蓄えられている現物税と帳簿を照合する官で、都から諸国に派遣された。当時の税は金銭ではなく、稲等の現物税だったので、帳簿の記載と照合する必要があった。大伴卿(おほとものまへつきみ)が誰のことを指しているのかはっきりしない。筑波山は茨城県の筑波山。
1753番長歌には、この日が絶好の快晴だったことが詠われている。「いかにか及(し)かむ」は、むろん現在も「~及くはなし」と使われる「及く」である。
「今日のような絶好の日があろうか。ここ筑波嶺にやってきた昔の人たちも目にしたことのない日だ」という歌である。
1755番 長歌
1756 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
(掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 阿怜其鳥)
ホトトギスを詠んだ長短歌。
「かき霧らし雨の降る夜を」は「雨にけぶる夜を」という意味。「雨にけぶる夜、霍公鳥(ホトトギス)が鳴きながら遠ざかっていく。あわれホトトギス」という歌である。が、本歌には単独ではいまいち分からない点がある。「あはれ」には「興趣がある」という意味と「かわいそう」という意味の二様の意味がある。本歌は「かわいそう」という意をこめているように思われる。なぜ作者は「あはれその鳥」と詠ったのであろう。単独歌では分からないが、1755番長歌を読むと合点がいく。長歌には「ホトトギスがウグイスの巣に卵を産み、ウグイスに育てられる。ホトトギスの子は父も母も知らずに育ち、たった一羽で巣立ちをする」様が詠われている。「あはれその鳥」にはこういう事情が込められている。
1756 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
(掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 阿怜其鳥)
ホトトギスを詠んだ長短歌。
「かき霧らし雨の降る夜を」は「雨にけぶる夜を」という意味。「雨にけぶる夜、霍公鳥(ホトトギス)が鳴きながら遠ざかっていく。あわれホトトギス」という歌である。が、本歌には単独ではいまいち分からない点がある。「あはれ」には「興趣がある」という意味と「かわいそう」という意味の二様の意味がある。本歌は「かわいそう」という意をこめているように思われる。なぜ作者は「あはれその鳥」と詠ったのであろう。単独歌では分からないが、1755番長歌を読むと合点がいく。長歌には「ホトトギスがウグイスの巣に卵を産み、ウグイスに育てられる。ホトトギスの子は父も母も知らずに育ち、たった一羽で巣立ちをする」様が詠われている。「あはれその鳥」にはこういう事情が込められている。
1757番 長歌
1758 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
(筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈)
1757番長歌の題詞に「筑波山に登ったときの歌と短歌」とある。1754番歌にも同様の題詞が記されていて、その際には検税使大伴卿の名が記され、歌は真夏の歌だった。本歌は秋の歌なので、検税使とは関係がない。
「裾廻(すそみ)の田居(たゐ)に」は「山のふもとの田で」という意味である。「妹がり」の「がり」は「暗がり」と同様「~のもと」。「筑波嶺の山のふもとの田で刈り入れを行っている彼女へのみやげにしよう。この黄葉。手折っていこう」という歌である。
1758 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
(筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈)
1757番長歌の題詞に「筑波山に登ったときの歌と短歌」とある。1754番歌にも同様の題詞が記されていて、その際には検税使大伴卿の名が記され、歌は真夏の歌だった。本歌は秋の歌なので、検税使とは関係がない。
「裾廻(すそみ)の田居(たゐ)に」は「山のふもとの田で」という意味である。「妹がり」の「がり」は「暗がり」と同様「~のもと」。「筑波嶺の山のふもとの田で刈り入れを行っている彼女へのみやげにしよう。この黄葉。手折っていこう」という歌である。
1759番 長歌
1760 男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや
(男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉)
1759番長歌の題詞に「筑波嶺に登って嬥歌會(かがひ)が行われた日に作られた歌と短歌」とある。嬥歌會は東国での表現で、大和などの西国では歌垣(うたがき)という。1285番歌の際にも記したが、歌垣は、若い男女が農作業などを休んで山や野に集まり、踊ったり歌を詠みあったりして楽しんだ野遊び。1759番長歌には「嬥歌會の日は無礼講で何をやっても許される」旨のことが詠われている。
男神(ひこがみ)は男体山、女体山とある筑波山の男体山のこと。「筑波嶺の男峰に雲が湧き上がり、しぐれが降ってきた。ずぶ濡れになろうとも、この楽しい集まりを後にして帰れるものか」という歌である。
本歌には左注が付いていて「右の件(くだり)の歌は高橋連蟲麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の歌集に出ている」とある。件(くだり)の歌とはどの歌のことを指すのか不明だが、通常は1738番歌以下の23首とされている。が、東国の歌ばかりではなく、途中に難波京の歌が入っていたりする。さらに二首先の1762番歌にも同様に「右の件(くだり)の歌」とあって、まぎれもなく直前の長短歌を指している。なので、私は、本歌左注の「右の件(くだり)の歌」は直前の長短歌のことに相違ないと考えている。
1760 男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや
(男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉)
1759番長歌の題詞に「筑波嶺に登って嬥歌會(かがひ)が行われた日に作られた歌と短歌」とある。嬥歌會は東国での表現で、大和などの西国では歌垣(うたがき)という。1285番歌の際にも記したが、歌垣は、若い男女が農作業などを休んで山や野に集まり、踊ったり歌を詠みあったりして楽しんだ野遊び。1759番長歌には「嬥歌會の日は無礼講で何をやっても許される」旨のことが詠われている。
男神(ひこがみ)は男体山、女体山とある筑波山の男体山のこと。「筑波嶺の男峰に雲が湧き上がり、しぐれが降ってきた。ずぶ濡れになろうとも、この楽しい集まりを後にして帰れるものか」という歌である。
本歌には左注が付いていて「右の件(くだり)の歌は高橋連蟲麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の歌集に出ている」とある。件(くだり)の歌とはどの歌のことを指すのか不明だが、通常は1738番歌以下の23首とされている。が、東国の歌ばかりではなく、途中に難波京の歌が入っていたりする。さらに二首先の1762番歌にも同様に「右の件(くだり)の歌」とあって、まぎれもなく直前の長短歌を指している。なので、私は、本歌左注の「右の件(くだり)の歌」は直前の長短歌のことに相違ないと考えている。
1761番 長歌
1762 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも
(明日之夕 不相有八方 足日木<乃> 山彦令動 呼立哭毛)
1761番長歌の題詞に「鳴く鹿を詠った長短歌」とある。
「逢はざらめやも」は「逢わずじまいということがあろうか」という意味である。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「明日の宵になっても花妻に逢わずじまいということがあろうか。鹿よ、山彦を響かせてそんなに妻問いしなさんな」という歌である。
本歌にも左注が付いていて「右の件(くだり)の歌は、あるいは柿本朝臣人麻呂の作ともいう」とある。ここにいう「右の件(くだり)の歌」は紛れもなく直前の長短歌のことである。
1762 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも
(明日之夕 不相有八方 足日木<乃> 山彦令動 呼立哭毛)
1761番長歌の題詞に「鳴く鹿を詠った長短歌」とある。
「逢はざらめやも」は「逢わずじまいということがあろうか」という意味である。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「明日の宵になっても花妻に逢わずじまいということがあろうか。鹿よ、山彦を響かせてそんなに妻問いしなさんな」という歌である。
本歌にも左注が付いていて「右の件(くだり)の歌は、あるいは柿本朝臣人麻呂の作ともいう」とある。ここにいう「右の件(くだり)の歌」は紛れもなく直前の長短歌のことである。
1763 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき
(倉橋之 山乎高歟 夜牢尓 出来月之 片待難)
作者は沙弥女王(さみのおほきみ)。
倉橋山は1282~1284番歌の3首に集中的に詠われていて、奈良県桜井市の音羽山辺りを指しているという。「高みか」は「高いせいのためか」という意味。「片待ちかたき」は一方的に自分の方だけが待ちきれない」という意味である。「倉橋山が高いからか夜が更けてからしか顔を出さない月をただ待ち続けるのは辛い」という歌である。
本歌には左注が付いていて「この歌は、間人宿祢大浦(はしひとのすくねおほうら)の作としてすでに登載歌の中に見えている。が、結句だけが本歌と異なっている。どちらが本来の歌なのか決めがたく、ここに本歌も登載しておく」とある。
左注にこう指摘されている歌は、290番歌の「倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき」に相違ない。ご欄のように同歌は本歌の結句「片待ちかたき」の部分が「光乏しき」となっているだけで他は全く同じである。
(2014年11月12日記)
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(倉橋之 山乎高歟 夜牢尓 出来月之 片待難)
作者は沙弥女王(さみのおほきみ)。
倉橋山は1282~1284番歌の3首に集中的に詠われていて、奈良県桜井市の音羽山辺りを指しているという。「高みか」は「高いせいのためか」という意味。「片待ちかたき」は一方的に自分の方だけが待ちきれない」という意味である。「倉橋山が高いからか夜が更けてからしか顔を出さない月をただ待ち続けるのは辛い」という歌である。
本歌には左注が付いていて「この歌は、間人宿祢大浦(はしひとのすくねおほうら)の作としてすでに登載歌の中に見えている。が、結句だけが本歌と異なっている。どちらが本来の歌なのか決めがたく、ここに本歌も登載しておく」とある。
左注にこう指摘されている歌は、290番歌の「倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき」に相違ない。ご欄のように同歌は本歌の結句「片待ちかたき」の部分が「光乏しき」となっているだけで他は全く同じである。
(2014年11月12日記)