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万葉集読解・・・36( 496~510番歌)

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     万葉集読解・・・36( 496~510番歌)
 頭注に「柿本朝臣人麻呂の歌四首」とある。
0496   み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
      (三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨)
 496~499番歌は柿本人麻呂の歌。
 熊野は熊野古道で有名な紀伊半島南岸部。浜木綿(はまゆふ)は温暖な海浜によく見られる多年草。白い花をつけ、根元に幾重にも葉を茂らせる。「百重(ももえ)なす」はその葉の様子を指している。心の状態を比喩的に述べたもの。ただし、単なる比喩ではなく、熊野は飛鳥ないし大和から遠く離れた場所であり、熊野にいて詠った切実さがこめられている。
 「熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっている。そのように逢いたくて逢いたくてたまらないが、旅路にある身。直接逢えないのが無念」という歌である。

0497   いにしへにありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ
      (古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟)
 「いにしへにありけむ人も」は「昔から恋する人も」という意味。
 「昔から恋する人も私のように、彼女が恋しくてなかなか眠りにつくことができなかったのだろうか」という歌である。

0498   今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし
      (今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四)
 「今のみのわざにはあらず」は「現代の男だけのありようではなく」と一般化した言い方をしているが、むろん、作者人麻呂自身の嗚咽である。
 「現代の男だけのありようではなく、昔の人だって私以上に声に出して嗚咽したに相違ない」という歌である。

0499   百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かざらむ
      (百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武)
 「百重にも来及(きし)かぬかも」は「幾度でもやってこないかと」という意味である。
 「毎日毎日今か今かと彼女からの使いじゃないかと待ちわびている。なので、使いの姿を見かけるたびに、ひょっとしてと胸が高まる」という歌である。

 頭注に「碁檀越(ごのだにをち)が伊勢國に行った時、留まった妻が作った歌」とある。碁檀越は伝未詳。
0500   神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に
      (神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓)
 「神風の」は枕詞。浜荻(はまおぎ)は伊勢の浜辺に生えている葦(あし)のこと。当時、旅といえば野宿だった。この歌にもその一端をうかがうことができる。
 「伊勢に旅だったあの人は葦を折って旅寝をしているのだろうか。あの波風の荒い浜辺で」という歌である。

 頭注に「柿本朝臣人麻呂の歌三首」とある。
0501   娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは
      (未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者)
 「娘子ら」は親愛のら。袖布留山(そでふるやま)は奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)。瑞垣(みづがき)は神宮の境界(垣)で、常緑樹で作られている。ここまで「久しき」を導く序歌。
 「乙女が袖を振った袖布留山(そでふるやま)の神宮の瑞垣(みづがき)は久しく以前から鎮座し給うているが、私もずっとあなたのことを思っているのだよ」という歌である。 

0502   夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや
      (夏野去 小壮鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉)
 夏の若い牡鹿は角が生えだして間がなく、「~牡鹿の角の」は、短い(束の間)を導く序歌。
 「夏野を行く若い牡鹿の角はまだ短いが、そのように束の間も彼女の心を忘れることがあろうか」という歌である。

0503   玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも
      (珠衣乃 狭藍左謂沈 家妹尓 物不語来而 思金津裳)
 「玉衣(たまきぬ)の」は着物のことだが、第二句の「さゐさゐしづみ」は万葉歌に他に例がなく、正確なことは分かりかねる。「さゐさゐ」は衣擦れの音だろうか?。それとも出立時のあわただしいざわめきだろうか?。「しづみ」とあるから、旅路についてしばらく(数日)してあわただしい思いが冷めてきた頃の歌とみてよかろう。
「衣ずれのようなあわただしさにまぎれて十分に声もかけずに出立してしまったが、それが心残りで心苦しい」という歌である。

 頭注に「柿本朝臣人麻呂の妻の歌」とある。
0504   君が家に我が住坂の家道をも我れは忘れじ命死なずは
      (君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者)
 頭注にある妻は今日いう妻とは同概念ではないにしろ、共に同一の家に居住していた女性と理解してよかろう。
 出だしの「君が家に」ついて「岩波大系本」は、「ただし君の家にわが(女)住むというのは当時の習俗に反する。君は吾の誤り、吾は君の誤りではあるまいか。」と記し、補注を設けて詳細に解説している。「君が家に」は「吾が家に」の誤りではないかというのである。が、そう解すると第二句の「我が住坂の」の意味が重複。自分の家に自分が住むのは当たり前。直接「我が住坂の家道(いへぢ)」でよく、第一句が完全に不要となってしまう。
 そればかりではない。妻が同居するのは当時でも一般的だったに相違ない。単なる女(をとめ)ではない。「源氏物語」の世界を想定してのことか知らないが、「ただし君の家にわが(女)住むというのは当時の習俗に反する。」などとどうして断定できるのだろう。高級貴族が女の許へ通うことはありえてもそれが当時の習俗だったなどと言っていいのだろうか。否、柿本人麻呂ないしその前の時代はそうだったとは言わせない。すでにみたように大伴旅人は452番歌で「妹としてふたり作りし我が山斎は木高く茂くなりにけるかも」、453番歌で「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る」と詠っているのである。旅人と妻はちゃんと同居生活を営んでいた。しかも大伴旅人は柿本人麻呂よりも遙かに上位の高級官僚。「君が家に我が住坂の」は、住坂(すみさか)という地名に住むの意をもたせた言い方で序歌。住坂は奈良県伊勢道にある坂。
 「あなたの家にあなたと住んだ家路は忘れはしません。命ある限り」という歌である。

 頭注に「安倍女郎(あへのいらつめ)の歌二首」とある。安倍女郎は伝未詳。
0505   今さらに何をか思はむうち靡き心は君に寄りにしものを
      (今更 何乎可将念 打靡 情者君尓 縁尓之物乎)
 誰宛の歌か不明。平明歌。
 「今さら何を思い悩むことがありましょう。この私はあなた様にすっかりなびいていますのに」という歌である。

0506   我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我れなけなくに
      (吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓<母> 吾莫七國)
 「物な思ひそ」は「な~そ」の禁止形。「我れなけなくに」は「私がいないわけではないのに」という意味である。
 「あなた、悩みなさるな何か障害があれば、火でも水でも私がついているではありませんか」という歌である。

 頭注に「駿河婇女(するがのうねめ)の歌」とある。駿河(静岡県中部)から任官した女官。
0507   敷栲の枕ゆくくる涙にぞ浮寝をしける恋の繁きに
      (敷細乃 枕従久々流 涙二曽 浮宿乎思家類 戀乃繁尓)
 「敷栲の」は枕詞。「くくる」は「流れる」。
 「一人でこうして寝ていると、枕から流れ落ちる涙で、水面のようになり、(鳥のように)浮き寝をしている。恋心の激しさに」という歌である。

 頭注に「三方沙弥(みかたのさみ)の歌」とある。
0508   衣手の別かる今夜ゆ妹も我れもいたく恋ひむな逢ふよしをなみ
      (衣手乃 別今夜従 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美)
 三方沙弥には123~125番歌に病床の妻との心痛に満ちた、仲むつまじい歌がある。 本歌の第一句「衣手の別かる」は何であろう。「袖を交わすことがなくなった」、つまり「死別」を表現しているに相違ない。「今夜ゆ」は「今夜から」である。結句の「逢ふよしをなみ」は「(死別し)逢うてだてがないので」という意味である。みは「~ので」のみ。心痛極まりない歌である。
 「袖を交わすことがなくなった今夜から妻も私も互いに強く恋い焦がれることになるだろうよ。直接会うすべがないので」という歌である。

 頭注に「丹比真人笠麻呂(たぢひのまひとかさまろ)筑紫國に下る時作った歌と短歌」とある。笠麻呂は伝未詳。筑紫國は九州。
0509番 長歌
   臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さ丹つらふ 紐解き放けず 我妹子に 恋ひつつ居れば 明け暮れの 朝霧隠り 鳴く鶴の 音のみし泣かゆ 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 家のあたり 我が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠る 天さがる 鄙の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ 粟島を そがひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行き廻り 稲日都麻 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に うち靡き 繁に生ひたる なのりそが などかも妹に 告らず来にけむ
   (臣女乃 匣尓乗有 鏡成 見津乃濱邊尓 狭丹頬相 紐解不離 吾妹兒尓 戀乍居者 明晩乃 旦霧隠 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山尓 多奈引流 白雲隠 天佐我留 夷乃國邊尓 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背尓見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃廻 稲日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍尓 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹尓 不告来二計謀)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「臣(おみ)の女(め)の」は「女官の」、「櫛笥(くしげ)に」は「櫛箱に」という意味。「臣の女の~鏡なす」は御津(見る)を導く序歌。「御津の浜辺」は「大阪湾の浜」。「さ丹つらふ」、「青旗の」、「天さがる」は枕詞。葛城山は奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境にそびえる山。粟島は所在未詳。稲日都麻は兵庫県加古川市近辺。稲日都麻(いなひつま)は兵庫県加古川市近辺。家島は兵庫県姫路市の家島群島。

 (口語訳)
   女官の櫛箱に載っている鏡を見つ(御津)の浜辺で紅い下紐を解くことも出来ず、あの子を恋い焦がれていると、明け方の朝霧に隠れて鳴く鶴のように泣けてくる。この悲しみの千分の一でも慰められないかと、家の(大和の)あたりの方向を遠望してみる。が、 葛城山にたなびく白雲に隠れて見えもしない。(大和から)遠く隔った田舎の国の淡路島を過ぎ、粟島を背後に見て、先を行く。朝なぎ時には漕ぎ手が声を揃え、夕なぎ時には梶の音をきしらせて波を押し分けて岩の間を進んでいく。そして稲日都麻の浦のあたりを過ぎて、水鳥のように滞りながら進んで行く。家島の荒磯の上にナノリソの藻がなびいている。どうして私はあの子に訳も告げずにやってきてしまったのか

 反 歌
0510   白栲の袖解き交へて帰り来む月日を数みて行きて来ましを
      (白<細>乃 袖解更而 還来武 月日乎數而 徃而来猿尾)
 「白栲の袖解き交へて」は「彼女と一夜を共にして」という意味である。「月日を数(よ)みて」は「いつごろ会えるだろうか」という意味。
 「紐を解きあって一夜を共にしたとき、いつごろ帰って来られるのかその月日を数えて告げ、行ってきます、と言えばよかった」という歌である。
          (2013年6月8日記、 2017年10月10日記)
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