Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

脱不必要人間

$
0
0
日々つれづれ-15トップへ
 最近、「不必要人間」について、ふと思ったことがある。本来「不必要人間」は自分以外の第三者が評価したものの筈である。ところが、不思議なことに自分で自分を「不必要人間だ」と思う人がいる。こうなると、救いようがない。自分で思い込んでいるのだから、自暴自棄になったり、時には自殺に走ったりする。
 総じて、この世に「不必要人間」などいない筈である。福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉は最終的には「学問のすすめ」に集約される。が、今日の目から見ると、価値を学問に置きすぎている。「学問のすすめ」を説く書だからやむを得ないが、芸術、工芸、スポーツ等々学問に劣らないものはいくらもある。トータルで見れば、人はそれぞれ出来ることや得意なものがある。全体という観点からみれば人間界は各々分業して生活している。しかも厄介なことに現在が駄目でも、将来ずっと駄目とは限らない。思いもしないことで芽を出し、人生の享楽期が訪れるかも知れない。それほど複雑で変化に富むのが人間界なのである。「成功、失敗は時の運」とも言い切れない。いつ、変転するか分かりはしない。正確に言えば「捨てる神あれば拾う神あり」というのが近いだろう。これを思えば、自分で自分を「不必要人間だ」と思うこと自体意味のないことだし、不思議だと言わざるを得ない。
 同じ理由から自分で自分を「必要人間だ」ときめつけるなどもどうかしている。出世や成功の絶頂期にあっても、いつなんどき奈落の底に落ち込むかも知れない。比較的政治家に多いタイプだと思うが、その浮き沈みが最も激しい世界だと、彼ら自身がよく分かっている筈なのに、ついそのことを忘れて有頂天になる人がいると思われる。
 私が言いたいことは極めて単純である。自分で自分を「不必要人間だ」と思ってほしくない。一歩でも二歩でも進む気持を棄てないでほしい、ということである。
             (2017年10月17日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles