万葉集読解・・・39(536~552番歌)
頭注に「門部王(かどへのおほきみ)の歌」とある。門部王は長屋王の孫。
0536 意宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長道を
(飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼)
「意宇(おう)の海」は松江市の東方にある中海。門部王の歌は371番歌にもあって、同歌の頭注に「出雲守門部王が京(みやこ)をしのんで作った歌」とある。出雲守に着任して間もない頃の歌。今回の歌は着任後相当経ってからの歌。上二句「意宇の海の潮干の潟(かた)の」は「片思(かたもひ)」を導く序歌。
「意宇の海の潮干の潟といいますが、これからの長い人生をあなたを恋うる片思いのまま進んでいかねばならぬのでしょうか」という歌である。
左注に「門部王が出雲守に任ぜられた時、任地の娘子を娶った。が、ほどなくして、その娘子の許へ通わなくなってしまった。が、幾月か経る内に愛情が起こり、この歌を作って娘子に贈ったものである」とある。
頭注に「門部王(かどへのおほきみ)の歌」とある。門部王は長屋王の孫。
0536 意宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長道を
(飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼)
「意宇(おう)の海」は松江市の東方にある中海。門部王の歌は371番歌にもあって、同歌の頭注に「出雲守門部王が京(みやこ)をしのんで作った歌」とある。出雲守に着任して間もない頃の歌。今回の歌は着任後相当経ってからの歌。上二句「意宇の海の潮干の潟(かた)の」は「片思(かたもひ)」を導く序歌。
「意宇の海の潮干の潟といいますが、これからの長い人生をあなたを恋うる片思いのまま進んでいかねばならぬのでしょうか」という歌である。
左注に「門部王が出雲守に任ぜられた時、任地の娘子を娶った。が、ほどなくして、その娘子の許へ通わなくなってしまった。が、幾月か経る内に愛情が起こり、この歌を作って娘子に贈ったものである」とある。
頭注に「高田女王(たかたのおほきみ)が今城王(いまきのおほきみ)に贈った歌六首」とある。高田女王は長屋王の孫娘、今城王は坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の子とされる。
0537 言清くいともな言ひそ一日だに君いし無くはたへかたきかも
(事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸敢物)
この歌、訓じ方に細部で異動があるが、歌意から推して、表記のようにした。「な~そ」は禁止形。「言(こと)清くいともな言ひそ」は「聖人君主のようなそんなお堅いことをおっしゃらないで」である。「君いし」の「い」や「し」は強意。
「聖人君主のようなそんなにお堅いことをおっしゃらないで。あなたなしには一日とて耐えられませんわ」という歌である。
0537 言清くいともな言ひそ一日だに君いし無くはたへかたきかも
(事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸敢物)
この歌、訓じ方に細部で異動があるが、歌意から推して、表記のようにした。「な~そ」は禁止形。「言(こと)清くいともな言ひそ」は「聖人君主のようなそんなお堅いことをおっしゃらないで」である。「君いし」の「い」や「し」は強意。
「聖人君主のようなそんなにお堅いことをおっしゃらないで。あなたなしには一日とて耐えられませんわ」という歌である。
0538 人言を繁み言痛み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子
(他辞乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背<子>)
「繁み言痛(こちた)み」は「人の口がうるさくわずらわしいので」という意味。「心あるごと」は「ふたごころがあるなどと」である。「な思ひ」は「そ」が省略された禁止形。
「人の口がうるさいのでお逢いしなかっただけです。決してふたごころがあるなどと思わないで下さいな、あなた」という歌である。
(他辞乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背<子>)
「繁み言痛(こちた)み」は「人の口がうるさくわずらわしいので」という意味。「心あるごと」は「ふたごころがあるなどと」である。「な思ひ」は「そ」が省略された禁止形。
「人の口がうるさいのでお逢いしなかっただけです。決してふたごころがあるなどと思わないで下さいな、あなた」という歌である。
0539 我が背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを
(吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志<乎>)
「繁(しげ)くありとも」は「口がうるさかろうとも」である。悩ましいのは「遂げむ」。常識的には「結婚しようと言って下されば」という意味である。
「あなた、あなたさえ結婚しようと言って下されば、人の口がうるさかろうとも、出て行ってお逢いしたいですわ」という歌である。
(吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志<乎>)
「繁(しげ)くありとも」は「口がうるさかろうとも」である。悩ましいのは「遂げむ」。常識的には「結婚しようと言って下されば」という意味である。
「あなた、あなたさえ結婚しようと言って下されば、人の口がうるさかろうとも、出て行ってお逢いしたいですわ」という歌である。
0540 我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる
(吾背子尓 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流)
一読して分かる平明歌。
「この方にもう二度と逢うことはあるまいと思うからか、今朝の別れが切なくやりきれない」という歌である。
(吾背子尓 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流)
一読して分かる平明歌。
「この方にもう二度と逢うことはあるまいと思うからか、今朝の別れが切なくやりきれない」という歌である。
0541 この世には人言繁し来む世にも逢はむ我が背子今ならずとも
(現世尓波 人事繁 来生尓毛 将相吾背子 今不有十方)
この歌も平明な歌。「人言繁し」で歌はいったん切断。
「この世では口うるさくてままなりません。来世こそお逢いしましょう、今でなくとも」という歌である。
(現世尓波 人事繁 来生尓毛 将相吾背子 今不有十方)
この歌も平明な歌。「人言繁し」で歌はいったん切断。
「この世では口うるさくてままなりません。来世こそお逢いしましょう、今でなくとも」という歌である。
0542 常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじとたゆたひぬらし
(常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思)
「常やまず」は「絶え間なく」である。
「絶え間なくやってきたあの方の使いが来なくなった。今は逢うまいとためらっていらっしゃるのでしょうか」という歌である。
頭注に「神龜元年甲子(724年)冬十月、紀伊國に幸された時、従駕人(ともびと)の妻に頼まれて作った歌と短歌。笠朝臣金村作」とある。行幸は四十五代聖武天皇。紀伊國は和歌山県南部から三重県南部にまたがる国。
0543番 長歌
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく
(天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手<弱>女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝)
(常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思)
「常やまず」は「絶え間なく」である。
「絶え間なくやってきたあの方の使いが来なくなった。今は逢うまいとためらっていらっしゃるのでしょうか」という歌である。
0543番 長歌
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく
(天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手<弱>女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「天飛ぶや」、「玉たすき」、「あさもよし」等は枕詞。「軽の路は」は藤原京に近接する道で、市(いち)が開かれた。畝傍(うねび)は奈良県橿原市南西部の、耳成山、天香具山と共に大和三山のひとつ。真土山(まつちやま)は奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。「にきびにし」は「慣れ親しんだ」という意味。「あそそには」は「うすうす」。
(口語訳)
天皇の行幸につき従って、多くの付き人と出て行った我が夫。軽の路から畝傍山を見て紀伊への道に立って、真土山を越えてゆく。黄葉の散り飛ぶ光景を見ながら、すっかり慣れ親しんだ私のことは忘れ、旅はいいものだとあなたは思っておいでだろうと、うすうす気づいています。けれども黙ってじっとしてられなくて、あなたの後を追っていこうと、いくたび思ったことか。けれど、か弱い女の身である私、関所の番人に問いつめられたら何とこたえていいか分からず、立ちすくんだまま途方に暮れるばかりでしょう。
天皇の行幸につき従って、多くの付き人と出て行った我が夫。軽の路から畝傍山を見て紀伊への道に立って、真土山を越えてゆく。黄葉の散り飛ぶ光景を見ながら、すっかり慣れ親しんだ私のことは忘れ、旅はいいものだとあなたは思っておいでだろうと、うすうす気づいています。けれども黙ってじっとしてられなくて、あなたの後を追っていこうと、いくたび思ったことか。けれど、か弱い女の身である私、関所の番人に問いつめられたら何とこたえていいか分からず、立ちすくんだまま途方に暮れるばかりでしょう。
反 歌
0544 後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを
(後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎)
「後れ居て」は「大和にいて」という意味である。「妹背の山」は和歌山県伊都郡かつらぎ町にある妹の山と背の山。
「大和にいて恋続けてなどいないで、紀伊の妹背の山になってずっとおそばにいたい」という歌である。
0544 後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを
(後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎)
「後れ居て」は「大和にいて」という意味である。「妹背の山」は和歌山県伊都郡かつらぎ町にある妹の山と背の山。
「大和にいて恋続けてなどいないで、紀伊の妹背の山になってずっとおそばにいたい」という歌である。
0545 我が背子が跡踏み求め追ひ行かば紀の関守い留めてむかも
(吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨)
「い留めて」は強意のい。平明歌。
「あなたの歩いた後を追っていったら関所の番人にとめられてしまうのでしょうか」という歌である。
(吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨)
「い留めて」は強意のい。平明歌。
「あなたの歩いた後を追っていったら関所の番人にとめられてしまうのでしょうか」という歌である。
頭注に「二年乙丑(725年)春三月、三香原の離宮に幸された時、娘子を得て作った歌と歌と短歌。笠朝臣金村作」とある。三香原は京都府木津川市加茂町の野。
0546番 長歌
三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神言寄せて 敷栲の 衣手交へて 己妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
(三香<乃>原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨)
0546番 長歌
三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神言寄せて 敷栲の 衣手交へて 己妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
(三香<乃>原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨)
「よしのなければ」は「理由もないので」。「神、言寄せて」は「神様が仲を取り持って下さって」という意味。「ありこせぬかも」は「あってくれないものか」。
(口語訳)
三香の原、旅寝にあって、行きずりに出逢った乙女、天雲のようによそ目に見ているばかり。声をかけようと思うが、その理由もないので心で愛しく思うばかり。こんな時、天地の神様が仲を取り持って下さって共寝をする手はずになった。私の妻となってくれると思う今宵、この秋の夜が百倍もの長さであってくれないものか。
三香の原、旅寝にあって、行きずりに出逢った乙女、天雲のようによそ目に見ているばかり。声をかけようと思うが、その理由もないので心で愛しく思うばかり。こんな時、天地の神様が仲を取り持って下さって共寝をする手はずになった。私の妻となってくれると思う今宵、この秋の夜が百倍もの長さであってくれないものか。
反 歌
0547 天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを
(天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾)
「天雲の外に見しより」は、「天雲のようによそ目に見ていた」という意味。
「天雲のようによそ目に見ていただけの彼女に身も心も引かれてしまった」という歌である。
0547 天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを
(天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾)
「天雲の外に見しより」は、「天雲のようによそ目に見ていた」という意味。
「天雲のようによそ目に見ていただけの彼女に身も心も引かれてしまった」という歌である。
0548 今夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願ひつるかも
(今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨)
「すべをなみ」は「どうしようもないので」。「~ので」のみ。「願ひつるかも」は546番長歌から「神に願って」という意味である。
「今夜が早く明けてしまってどうしようもないので、秋の長夜が百倍も続くよう、神様にお願いしました」という歌である。
(今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨)
「すべをなみ」は「どうしようもないので」。「~ので」のみ。「願ひつるかも」は546番長歌から「神に願って」という意味である。
「今夜が早く明けてしまってどうしようもないので、秋の長夜が百倍も続くよう、神様にお願いしました」という歌である。
頭注に「五年戊辰(728年)太宰府少貳(次官)石川足人朝臣(いしかはのたるひとあそみ)が、筑前國、蘆城の駅家にて選んだ歌三首」とある。筑前國は福岡県北西部。蘆城(あしき)の駅家(うまや)は福岡県筑紫野市。駅家は全国の主要道に設置された。
0549 天地の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで
(天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右)
本歌以下577番歌まで太宰府関連の歌。草枕は枕詞。「旅行く君が」の君は主人か恋人かはっきりしないが、相聞歌なので恋人と考えてよかろう。
「天地の神様もお助け下さい。あの方が無事に大和の家に帰りつくまで」という歌である。
0549 天地の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで
(天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右)
本歌以下577番歌まで太宰府関連の歌。草枕は枕詞。「旅行く君が」の君は主人か恋人かはっきりしないが、相聞歌なので恋人と考えてよかろう。
「天地の神様もお助け下さい。あの方が無事に大和の家に帰りつくまで」という歌である。
0550 大船の思ひ頼みし君が去なば我れは恋ひむな直に逢ふまでに
(大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二)
平明歌。一読してそのまま分かる。
「大船に乗った気分で頼りにしていたあなた様が行かれたら、心細く恋しいことですわ、無事帰られてお顔を見るまでは」という歌である。
(大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二)
平明歌。一読してそのまま分かる。
「大船に乗った気分で頼りにしていたあなた様が行かれたら、心細く恋しいことですわ、無事帰られてお顔を見るまでは」という歌である。
0551 大和道の島の浦廻に寄する波間もなけむ我が恋ひまくは
(山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者)
「島の浦廻(み)に」は「島々の岸辺に」。「恋ひまくは」は「恋する心」という意味。
「大和へ向かう瀬戸内海の島々の岸辺に寄せる波のように、絶え間がありませんわ。私のあなた様を恋する心は」という歌である。
左注に「右三首は作者未詳」とある。
(山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者)
「島の浦廻(み)に」は「島々の岸辺に」。「恋ひまくは」は「恋する心」という意味。
「大和へ向かう瀬戸内海の島々の岸辺に寄せる波のように、絶え間がありませんわ。私のあなた様を恋する心は」という歌である。
左注に「右三首は作者未詳」とある。
頭注に「大伴宿祢三依(おほとものすくねみより)の歌」とある。三依は御行の子で旅人の従兄とされる。
0552 我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二走るらむ
(吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相<夜> 二走良武)
「我が君」は身分の高い女性。「わけ」は若輩者の意。「二走るらむ」は「召したり召さなかったり」という意味。
「ご主人はこの私めを死ねと思っていらっしゃるのか。夜に私めを召したり召さなかったりされる」という歌である。
(2013年6月25日記、2017年10月21日記)
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0552 我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二走るらむ
(吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相<夜> 二走良武)
「我が君」は身分の高い女性。「わけ」は若輩者の意。「二走るらむ」は「召したり召さなかったり」という意味。
「ご主人はこの私めを死ねと思っていらっしゃるのか。夜に私めを召したり召さなかったりされる」という歌である。
(2013年6月25日記、2017年10月21日記)