Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

突発的災難

$
0
0
日々つれづれ-15トップへ
 人生、どうなるか分からない。つい、昨日まで元気いっぱい。きょうになったら病魔に見舞われ、あるいは交通事故等に見舞われたりするかもしれない。こうした突発的災難によって、人生が一変しないとは限らない。自分の身の回りでも色々ある。
 つい、この7月にも、日本の100名山の踏破を目前にして、肺炎に見舞われ、達成不能になった知人を話題にした。登山の名手だから頑丈この上ない人だ。その後、その人は急速にやせ衰え、それまでの頑健さは見る影もない。
 今度は女性の例だが、自転車で移動中、突然交通事故に遭遇し、脚を骨折した。高齢の身でありながら、働き続け、老いてますます盛んに見えた。やや小太りのふくよかな女性だった。ところが、交通事故を境に脚が不自由になり、働けなくなってしまった。この一年の間にみるみるやせ衰え、やはり、以前の姿は見る影もない。
 病気になって、徐々に弱っていくのなら、あきらめも付くのだろうが、上記した例のように活気あふれる人生のさなかに、突如、病魔や交通事故に襲われたのでは本人はもとより、家族はあきらめきれまい。
 現在元気活発だからといって、次の瞬間どうなるか分からない。まさに一寸先は闇なのである。
 一昨日のことである。日本赤十字病院の前の薬局を出て、道路を横断しようとしたときである。道路に駐車していた乗用車が不意に発進してきた。驚いた私はとっさに飛び退いたが、靴の踵がタイヤにこすった。間一髪だった。避けきれなければ一巻の終わりだった。無謀に飛び出したわけではなく、左右をよく確認して横断にかかったので、とっさに飛び退くことができた。そうでなければ、人生終了。助かったとしても重傷だったろう。
 人生、次の瞬間、何が起こるか分からない。しかもこうした突発的災難は予測不可能、備えようがない。我々のできることはただ一つ。いつ、災難に見舞われても後悔しない生き方をする、これだ。これが私の結論である。
             (2017年10月26日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles