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万葉集読解・・・40(553~565番歌)

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     万葉集読解・・・40(553~565番歌)
 頭注に「丹生女王(にふのおほきみ)が大宰帥大伴卿(おおとものまえつきみに贈った歌二首」とある。卿は太宰府長官、大伴旅人。
0553   天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも
      (天雲乃 遠隔乃極 遠鷄跡裳 情志行者 戀流物可聞)
 「そくへ」は原文「遠隔」とあるように遠隔の地、太宰府。「心し行けば」は「心自体は通うのですもの」という意味。しは強意。
 「遠い遠い遠隔の地、遠いけれども、心が通えば、このようにも恋しいのです」という歌である。

0554   古人のきこしめすとふ吉備の酒病めばすべなし貫簀賜らむ
(古人乃 令食有 吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟)
 「古人の」を大伴旅人と解する見方が多いが、前歌で「心し行けば恋ふるものかも」と詠いあげた丹生女王がその彼を古人などと呼ぶだろうか。「我が背子」ないし「我が君」としそうなものではないか。文字通り古人は古人でよかろう。素直にそう読めば第二句の原文「令食有」は「きこしめしとふ」と訓ずることになる。つまり、「酔いしれる」という意味だ。第三句までは「古人も酔いしれたという(あの有名な)吉備の酒」となる。吉備は、岡山県(備前、美作、備中)と広島県の一部(備後)。「酒病めば」は「酒に酔いしれ」である。貫簀(ぬきす)はからだが火照ったときなどに敷く簀の子。簀の子はいうまでもなく、「横になりたい」という間接表現。
 「古人も酔いしれたという(あの有名な)吉備の酒で酔っ払ってしまいましたわ。下に敷く簀の子をいただけないかしら」という歌である。

 頭注に「大宰帥大伴卿(だざいそちおおとものまえつきみ)が大貳丹比縣守卿(だいにたぢひのあがたもりのまえつきみ)が民部卿として京に戻ることになったので、贈った歌」とある。大宰帥は太宰府長官で大伴旅人のこと。。大貳は次官。民部卿は民部省長官。
0555   君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして
      (為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手)
 「岩波大系本」は丹比縣守卿が民部卿になったのは天平元年(729年)2月のことと考えられるとの注記を行っている。とすると、大伴旅人自身も翌年(天平二年)京に戻されるので、太宰府の長官(師)と次官(大貳)が相次いで召還されたことを示している。
 それはさておき、初句の「君がため」の君はむろん丹比縣守卿。続く「醸(か)みし待酒(まちざけ)」は「醸造してとっておいた酒」のことである。「安(やす)の野」は「岩波大系本」の注に福岡県朝倉郡夜須村とある。惜別の情を詠った歌である。
 「貴君と飲み交わそうと醸造してとっておいた酒も安の野で一人で飲むことになろう。友がいなくなってしまうので」という歌である。

 頭注に「賀茂女王(かものおほきみ)が大伴宿祢三依(おおとものすくねみより)に贈った歌」とあり、「故左大臣長屋王の娘」とある。三依は旅人の従兄(いとこ)に当たる。
0556   筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ
      (筑紫船 未毛不来者 豫 荒振公乎 見之悲左)
 この歌のキーワードは「筑紫船」と「荒ぶる君」である。「岩波大系本」と「伊藤本」は筑紫船を「君を乗せていく船」、つまりこれから三依が乗って筑紫に向かう船と解している。「荒ぶる君」は「うとましく、あるいはよそよそしくする君」と解している。これに対し、「中西本」は筑紫船を「君が乗った船」と解し、「荒ぶる君」は「岩波大系本」等と同様「よそよそしい君」と解している。どう解するにせよ、いずれも賀茂女王が京(みやこ)にいて詠ったという点では一致している。
 さて、賀茂女王が京にいて詠った歌ならば、いずれの解釈も不審である。夫婦でもない男女が(否たとえ夫婦だとしても)、「よそよそしくする君」などという歌を作って当の相手に贈るものだろうか。うとましければ男がやってくる筈もない。しかも当時としては月世界のように遠かったに相違ない筑紫へと去ろうという相手に向かって、わざわざ「よそよそしくする君」などと詠うだろうか。あり得ない。
 「筑紫船いまだも来ねば」は「中西本」のように「君の乗った船がやって来るのを待つ」意味だと私にも思われる。待っているからこそ、「いまだも来ねば」の一句が生きてくる。いよいよ君が乗った船が到着するとなって、歌作された歌に相違ない。というわけで、私は筑紫から帰ってくる三依を案じながら待つ女心の歌だと思う。「荒ぶる君」は「よそよそしい君」などではなく、文字通り「荒ぶる君」すなわち「荒れ果てた(やつれた)君」である。電気カミソリもない当時の船の長旅、さぞかしやつれた姿だったに相違ない。
 「筑紫から船でお帰りになるというあなたを待ちわびています。あらかじめ、長の船旅で荒れ果てた君の姿を目にするのは悲しいですが・・・。」という歌である。

 頭注に「土師宿祢水道(はにしのすくねみみち)が筑紫から海路で上京する際作った歌二首」とある。
0557   大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては
      (大船乎 榜乃進尓 磐尓觸 覆者覆 妹尓因而者)
 「大船を漕ぎの進みに」は「大船を漕ぎ進めるあまり」という意味、「妹によりては」は「彼女に早く逢えるなら」という意味である。
 「大船を漕ぎ進めるあまり、岩に接触して、転覆するならしてもよい。一刻も早く彼女に逢えるなら」という歌である。

0558   ちはやぶる神の社に我が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに
      (千磐破 神之社尓 我<挂>師 幣者将賜 妹尓不相國)
 「ちはやぶる」は枕詞、幣(ぬさ)は神への供え物。
 この歌単独では歌意が取りづらい。が、前歌と併せて読むとはっきりする。すなわち、前歌に「(大船が)岩に触れ覆らば覆れ」とあるように大変な嵐の中を航海している様子がうかがわれる。
 「航海に先立って神様の社に安全祈願をし、供え物しました。が、供え物はお返しいただきたい。こんな荒れ航海では彼女に逢えるかどうか分からないではありませんか」という歌である。

 頭注に「大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿祢百代(おおとものすくねももよ)の戀の歌四首」とある。大宰大監は三等官。
0559   事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも
      (事毛無 生来之物乎 老奈美尓 如是戀<乎>毛 吾者遇流香聞)
 「老いなみに」は「老いを迎えて」という意味である。平明歌。
 「これまで何事もなく生きてきたのに、老いを迎えてこんな苦しい恋に出会うとは」という歌である。

0560   恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
      (孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼)
 上二句の「恋ひ死なむ後は何せむ」は「恋い焦がれて死んでしまったらどうしようもない」という意味。
 「恋い焦がれて死んでしまったらどうしようもない。生きている今、その今彼女に逢いたい」という歌である。

0561   思はぬを思ふと言はば大野なる御笠の杜の神し知らさむ
      (不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三)
 「思はぬを思ふと言はば」は、「思ってもいないのに、恋い焦がれていると言うなら」という意味である。「神し知らさむ」のしは強意、「知らさむ」は敬語で「お見通しでいらっしゃる」という意味である。「大野なる御笠の杜」は福岡県大野城市に御笠川があるので、そこにあった神社とされている。
 「思ってもいないのに、恋い焦がれていると言うなら、大野の御笠にある神社の神様がお見通しでいらっしゃって罰を下さるれるでしょう」という歌である。

0562   暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも
      (無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞)
 「暇(いとま)なく人の眉根(まゆね)を」の人はむろん作者自身のこと。相手にその気がありそうな時に眉根を掻きたくなるという。
 「しきりに思わせぶりな素振りを見せながらも、なかなか逢ってくれませんね」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌二首」とある。坂上郎女は大伴旅人の異母妹。万葉集の代表的歌人の一人。
0563   黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに
      (黒髪二 白髪交 至耆 如是有戀庭 未相尓)
 百代の「老いなみにかかる恋にも」(559番歌)に引っかけて詠われた歌。
 「白髪交じりになるまで老いたこの日までこのような恋に出会ったことはありませんわ」という歌である。

0564   山菅の実ならぬことを我れに寄せ言はれし君は誰れとか寝らむ
      (山菅<之> 實不成事乎 吾尓所依 言礼師君者 与孰可宿良牟)
 山に生える菅は実がならないという。作者はその山菅に自分を喩えている。
 「山菅のように実らぬ恋であることくらいご存知のくせに・・・。その私に言寄せておっしゃるなんて。本当はどなたと寝ていらっしゃるのでしょうね」という歌である。

 頭注に「賀茂女王(かものおほきみ)の歌」とある。556番歌の作者。長屋王の娘。
0565   大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも
      (大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜尓 直相在登聞)
 「大伴の」を、「岩波大系本」も「伊藤本」も枕詞としている。が、こんなのまで枕詞とするのはついていけない。すでに63番歌「いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」で言及したように、御津は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す地名。御津は「みつ」なので、見つにかけての枕詞と解している。「大伴の御津」の例は15例に及ぶが本歌のように枕詞的に使われている例はない。
 賀茂女王の相手は556番歌でうかがわれるように大伴三依(おおとものみより)。なので本歌の「大伴の見つとは言はじ」は単にもじって言っているだけの話なのである。
 「あえて大伴様とお会いしたとは申しません。誰知らぬ者もいないほどこうこうと照れる月下に堂々とお会いしてますけど・・・。」という歌である。
           (2013年7月11日記、2017年10月26日)
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