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私は10月27日、午後に長楽寺に向かっていた。が、その近辺に寺らしきものは見当たらない。その代わり、富部神社(とべじんじゃ)が目に入った。メモった所在地が違ってたのかなと思って、長楽寺は後回しにして、その神社に立ち寄ることにした。
正面鳥居の前に立つと、鳥居に向かって左手に立つ社碑が目にとまった。「郷社 式外 富部神社」とある。先ず、村社が多い神社にあって郷社とある。「○○郷」という村に近い地区をこう呼んだが、おおむね数か村を含む氏子からなる村社より大きな神社のことと思われる。かっては多かったが、今は少なくなている。次に「式外」は「式外社(しきげしゃ)」のことで、式内社ではない神社をいう。基本的に1100年も前の式(法律)に掲載されていない神社のことである。
私が不思議に思ったのは家の表札にあたる社碑に古風な「郷社」と記し、わざわざ「式外」と断っている点である。神社自体は立派な神社で、本殿は桃山時代の建築様式を残す立派なもので、国の重要指定文化財になっているほどだ。創建は慶長8年(1603)津島神社から勧請を受け、慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒を祈願して快癒したため、本殿、拝殿、祭文殿、廻廊を創建した社だ。
式内社のほかにこんな立派な神社があったとは。式内社ばかりに注意を集中していたので、気づかなかった。反省、反省である。私の気になったのはただ一点。古風な「郷社」と刻印したのはともかくとして、わざわざ「式外」と刻印したのは何故か。普通、神社は由緒深いことを誇るものだと思うが、わざわざ「式外」と明記するとは。「馬鹿正直じゃないの」と言いたくなる。富部神社が創建されたのは慶長8年。めっちゃ新しい。式内社と同じ古い神社なら『「式外社」だが、同等の神社ですよ。わが神社は』と誇示する意味がある。が、めっちゃ新しいから、式内社と無関係は当たり前。不思議な刻印ですね。
(2017年10月31日)
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私は10月27日、午後に長楽寺に向かっていた。が、その近辺に寺らしきものは見当たらない。その代わり、富部神社(とべじんじゃ)が目に入った。メモった所在地が違ってたのかなと思って、長楽寺は後回しにして、その神社に立ち寄ることにした。
正面鳥居の前に立つと、鳥居に向かって左手に立つ社碑が目にとまった。「郷社 式外 富部神社」とある。先ず、村社が多い神社にあって郷社とある。「○○郷」という村に近い地区をこう呼んだが、おおむね数か村を含む氏子からなる村社より大きな神社のことと思われる。かっては多かったが、今は少なくなている。次に「式外」は「式外社(しきげしゃ)」のことで、式内社ではない神社をいう。基本的に1100年も前の式(法律)に掲載されていない神社のことである。
私が不思議に思ったのは家の表札にあたる社碑に古風な「郷社」と記し、わざわざ「式外」と断っている点である。神社自体は立派な神社で、本殿は桃山時代の建築様式を残す立派なもので、国の重要指定文化財になっているほどだ。創建は慶長8年(1603)津島神社から勧請を受け、慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒を祈願して快癒したため、本殿、拝殿、祭文殿、廻廊を創建した社だ。
式内社のほかにこんな立派な神社があったとは。式内社ばかりに注意を集中していたので、気づかなかった。反省、反省である。私の気になったのはただ一点。古風な「郷社」と刻印したのはともかくとして、わざわざ「式外」と刻印したのは何故か。普通、神社は由緒深いことを誇るものだと思うが、わざわざ「式外」と明記するとは。「馬鹿正直じゃないの」と言いたくなる。富部神社が創建されたのは慶長8年。めっちゃ新しい。式内社と同じ古い神社なら『「式外社」だが、同等の神社ですよ。わが神社は』と誇示する意味がある。が、めっちゃ新しいから、式内社と無関係は当たり前。不思議な刻印ですね。
(2017年10月31日)