万葉集読解・・・42(578~586番歌)
頭注に「大伴宿祢三依(おおとものすくねみより)が別れを悲しんで作った歌」とある。三依は旅人の従兄とされる。
0578 天地とともに久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
(天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳)
頭注にはどこの家を離れる歌なのか不記載なので不明。挽歌と取る論者もいるが無理。万葉集第四巻はすべて相聞歌であって、挽歌の区分はない。加えて挽歌の場合は死者の名が記されているのが通例なので、二重の意味で挽歌とするのは無理。
ここで思い起こされるのが賀茂女王(かものおほきみ)が三依に贈った556番歌「筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ」である。この歌は京にいて筑紫から帰ってくる三依を待っている歌である。この解が正しいとすると、時期は不明だが、三依も太宰府に赴任していた時期があったことを示している。すなわち。太宰府の住まいから都に戻る時の歌に相違ない。
「天地(あめつち)と共に長らく住もうと思っていた家の庭だったのに」という歌である。
頭注に「大伴宿祢三依(おおとものすくねみより)が別れを悲しんで作った歌」とある。三依は旅人の従兄とされる。
0578 天地とともに久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
(天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳)
頭注にはどこの家を離れる歌なのか不記載なので不明。挽歌と取る論者もいるが無理。万葉集第四巻はすべて相聞歌であって、挽歌の区分はない。加えて挽歌の場合は死者の名が記されているのが通例なので、二重の意味で挽歌とするのは無理。
ここで思い起こされるのが賀茂女王(かものおほきみ)が三依に贈った556番歌「筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ」である。この歌は京にいて筑紫から帰ってくる三依を待っている歌である。この解が正しいとすると、時期は不明だが、三依も太宰府に赴任していた時期があったことを示している。すなわち。太宰府の住まいから都に戻る時の歌に相違ない。
「天地(あめつち)と共に長らく住もうと思っていた家の庭だったのに」という歌である。
頭注に「余明軍(よのみやうぐん)が大伴家持(おほとものやかもち)に贈った歌二首」とあり、「明軍は大納言卿の資人」とある。大納言は大伴家持の父大伴旅人のこと。.資人はその付け人。
0579 見奉りていまだ時だに更らねば年月のごと思ほゆる君
(奉見而 未時太尓 不更者 如年月 所念君)
「見奉(みまつ)りて」は「お仕えして」の意。
「お世話するようになってからまだ年替わりもしていませんのに長年月お仕えしているように思えます」という歌である。
0579 見奉りていまだ時だに更らねば年月のごと思ほゆる君
(奉見而 未時太尓 不更者 如年月 所念君)
「見奉(みまつ)りて」は「お仕えして」の意。
「お世話するようになってからまだ年替わりもしていませんのに長年月お仕えしているように思えます」という歌である。
0580 あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも
(足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞)
「あしひきの」は枕詞。山菅(やますげ)の根は細かい根が土に絡まって固まっているという。「ねもころ」は「その細かい根のように、こまごまとした点に至るまで」という意味である。「見まく欲しき」はいうまでもなく「お仕えもうしあげたい」という意味である。
「山に生えている山菅(やますげ)の根のようにこまごまとした点に至るまでお仕えもうしあげたい」という歌である。
(足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞)
「あしひきの」は枕詞。山菅(やますげ)の根は細かい根が土に絡まって固まっているという。「ねもころ」は「その細かい根のように、こまごまとした点に至るまで」という意味である。「見まく欲しき」はいうまでもなく「お仕えもうしあげたい」という意味である。
「山に生えている山菅(やますげ)の根のようにこまごまとした点に至るまでお仕えもうしあげたい」という歌である。
頭注に「家持(やかもち)の歌に応えて坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)が贈った歌四首」とある。大嬢は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の長女で、後に家持に嫁ぐ女性である。
0581 生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
(生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴)
頭注に「家持の歌に応えて」とあるが、家持と大嬢が歌のやりとりをし始めた頃は天平四年(732年)頃とされる説があるが、そうだとすると家持は720年頃の生まれなので、二人はまだ若すぎる。歌のやりとりが出来る歳ではないので、大嬢の母坂上郎女の代作とされる。
この歌だけで歌意を取ろうとすると難解。歌は平明。
「生きていればお逢いするかも知れないのに、どうして「死のうよ、お嬢さん」などとおっしゃるあなたが夢に出てくるのでしょう」という歌である。
0581 生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
(生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴)
頭注に「家持の歌に応えて」とあるが、家持と大嬢が歌のやりとりをし始めた頃は天平四年(732年)頃とされる説があるが、そうだとすると家持は720年頃の生まれなので、二人はまだ若すぎる。歌のやりとりが出来る歳ではないので、大嬢の母坂上郎女の代作とされる。
この歌だけで歌意を取ろうとすると難解。歌は平明。
「生きていればお逢いするかも知れないのに、どうして「死のうよ、お嬢さん」などとおっしゃるあなたが夢に出てくるのでしょう」という歌である。
0582 ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも
(大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方)
「ますらをも」は「立派な男の方も」、「たぐひあらめやも」は「比べられるものがありましょうか」という意味である。
「立派な男の方もこんなにも恋に苦しまれるのですね。まして弱々しい女の身の私が抱く恋ごころですもの。これ以上切ないものがありましょうか」という歌である。
(大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方)
「ますらをも」は「立派な男の方も」、「たぐひあらめやも」は「比べられるものがありましょうか」という意味である。
「立派な男の方もこんなにも恋に苦しまれるのですね。まして弱々しい女の身の私が抱く恋ごころですもの。これ以上切ないものがありましょうか」という歌である。
0583 月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ
(月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来)
月草はツユクサ。藍色の花をつけるが、それで染めると美しい藍染めになる。が、水で洗うと落ちやすいので「変わりやすい」という意味に使われる。「思へかも」は「思っていらっしゃるのでしょうか」である。
「私を露草のように移り気な女とお思いになっているからでしょうか。何の便りもくださらないのは」という歌である。
(月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来)
月草はツユクサ。藍色の花をつけるが、それで染めると美しい藍染めになる。が、水で洗うと落ちやすいので「変わりやすい」という意味に使われる。「思へかも」は「思っていらっしゃるのでしょうか」である。
「私を露草のように移り気な女とお思いになっているからでしょうか。何の便りもくださらないのは」という歌である。
0584 春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも
(春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨)
春日山は奈良の春日大社が鎮座する山。そこから2キロほど西北にあたる佐保山の近辺に大嬢は住んでいたと考えられている。佐保山から春日山は目の前だ。「見まくの欲しき」は「見ていたい」という意味である。
「毎朝、春日山には雲がかかっていない日はありません。その雲のようにいつも見ていたいわが君です」という歌である。
(春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨)
春日山は奈良の春日大社が鎮座する山。そこから2キロほど西北にあたる佐保山の近辺に大嬢は住んでいたと考えられている。佐保山から春日山は目の前だ。「見まくの欲しき」は「見ていたい」という意味である。
「毎朝、春日山には雲がかかっていない日はありません。その雲のようにいつも見ていたいわが君です」という歌である。
頭注に「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌」とある。坂上郎女は坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)の母。
0585 出でていなむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちていぬべしや
(出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉)
この歌の客は家持(やかもち)に相違ない。「妻恋しつつ」がキーワード。作者が大嬢の母であることを考えると、「娘が待っていますから」ないしは「妻が気になりますから」という意味になる。どうやら娘の大嬢が家持の許へ嫁いだ後の歌らしい。
「あわててお帰りにならなくてもいいじゃありませんか。妻が気になりますからと言ってあわててお帰りにならなくとも」という歌である。
0585 出でていなむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちていぬべしや
(出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉)
この歌の客は家持(やかもち)に相違ない。「妻恋しつつ」がキーワード。作者が大嬢の母であることを考えると、「娘が待っていますから」ないしは「妻が気になりますから」という意味になる。どうやら娘の大嬢が家持の許へ嫁いだ後の歌らしい。
「あわててお帰りにならなくてもいいじゃありませんか。妻が気になりますからと言ってあわててお帰りにならなくとも」という歌である。
頭注に「大伴宿祢稻公(おおとものすくねいなきみ)が田村大嬢(たむらのおほいらつめ)に贈った歌」とあり、「大伴宿奈麻呂の娘」とある。稻公は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の弟。田村大嬢は坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)の異母姉。
0586 相見ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ
(不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為)
左注に「この歌は姉坂上郎女作」とあるので、稻公のために姉が代作したようだ。
「相見ずは恋ひずあらましを」は「逢わなければ恋することもなかったでしょうに」という意味である。「もとな」は「しきりに」という意味。
「逢わなければ恋することもなかったでしょうに、あなたに逢ってから、しきりに恋焦がれています。どうしたらいいのでしょう」という歌である。
左注に「右は姉の坂上郎女が作った歌」とある。
(2013年7月17日記、2017年11月4日記、)
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0586 相見ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ
(不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為)
左注に「この歌は姉坂上郎女作」とあるので、稻公のために姉が代作したようだ。
「相見ずは恋ひずあらましを」は「逢わなければ恋することもなかったでしょうに」という意味である。「もとな」は「しきりに」という意味。
「逢わなければ恋することもなかったでしょうに、あなたに逢ってから、しきりに恋焦がれています。どうしたらいいのでしょう」という歌である。
左注に「右は姉の坂上郎女が作った歌」とある。
(2013年7月17日記、2017年11月4日記、)