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万葉集読解・・・44(605~617番歌)

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     万葉集読解・・・44(605~617番歌)
0605   天地の神し理なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
      (天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目)
 「天地(あめつち)の神し理(ことわり)なくはこそ」は大袈裟に聞こえるが、何のことはない、「ああ、神様」という意味である。「死にせめ」は「死ぬことになるのでしょうか」である。
 「ああ。天地の神々に道理がなければ、結局私はあなた様に逢えずじまいに終わるのでしょうか」という歌である。

0606   我れも思ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風のやむ時もなし
      (吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有)
 「我れも思ふ」は「私はあなたを決して忘れることはありません」という意味である。「人もな忘れ」は「な~そ」の禁止形。「あなた様も私のことを忘れないで下さい」という意味である。おほなわに(原文「多奈和丹」)は諸書とも語義未詳としている。が、私は地名ではないかとにらんでいる。
 「私はあなたを決して忘れることはありません。あなた様も私のことを忘れないで下さい。タナワニ海岸にいつも吹いている風のように忘れないで下さい」という歌である。

0607   皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐ねかてぬかも
      (皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨)
 次歌に「大寺の」という句があるので、本歌の「鐘」は寺の鐘と考えてよかろう。
 「人々が寝静まる刻を知らせる鐘の音が聞こえるけれど、あなた様のことを思うとなかなか寝付かれません」という歌である。

0608   相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし
      (不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如)
 「相思はぬ人を思ふは」は「思ってもくれない人のことを思い続けるのは」である。餓鬼は仏教用語で、広辞苑に「悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者」とある。
 「思ってもくれない人のことを思い続けるのは、大寺の餓鬼象の後方にひれ伏して拝んでいるようなものです」という歌である。

0609   心ゆも我は思はざりきまたさらに我が故郷に帰り来むとは
      (従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者)
 この歌は笠女郎を考える上で重要なヒントを与える大切な歌の一首である。「心ゆも」は「ゆめゆめ」の意である。「心ゆも」は「心から決して」という意味である。
「心から決して、故郷に帰ってくることになるとはゆめゆめ思いませんでした」という歌である。

0610   近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ
      (近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝<自>)
 左注によって、前歌ともども、本歌は彼女が故郷に帰ってきてからの歌と知れる。「結句の「有りかつましじ」は「~なんてできましょうか」という意味である。平明歌。
 「近くにいればお逢い出来なくとも耐えられますが、(故郷に帰ってきて)さらに遠く
なってしまったので、耐えられそうにありません」という歌である。
 左注に「右二首は相別れて後に贈られてきた歌」とある。
 以上で、587番歌から続く笠女郎の24首全歌の読解が終了した。

 頭注に「大伴宿祢家持が応えた歌二首」とある。
0611   今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ
      (今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有)
 本歌及び次歌の二首は笠女郎に応えた家持(やかもち)の歌。24首に対する応歌ではなく、帰郷後贈ってきた二首に対する応歌である。その前の22首に対しては無視してきたに相違ない。妻の坂上大嬢が控えている身、無視せざるを得なかったのだろう。
 「今さらに妹に逢はめやと思へかも」は「今となってはもう逢うこともないと思うせいか」である。「ここだ」は「こんなにも」という意味。結句の「いぶせくあるらむ」は「気が晴れないのでしょうか」で、家持の「彼女に悪かった」という思いがにじみ出ている。彼女を傷つけまいとするこういう複雑な心情を歌にするのは困難だろうに、その思いがよく出ている。地味ながら非常に秀逸な歌だと私は思う。
 「今となってはもう逢うこともないと思うせいか、こんなにもわが胸は気が晴れないのでしょうか」という歌である。

0612   なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに
      (中々者 黙毛有益<乎> 何為跡香 相見始兼 不遂尓)
 「なかなかに」は「かえって」、「黙(もだ)もあらましを」は「声をかけなければよかったものを」という意味である。微妙なのは「相見そめけむ」である。文字通りなら「逢ったりしたのだろう」という意味。その程度が不明。共寝まで行ったか否か。どう受け取るにしろ、笠女郎の激しい歌の数々や、それを無視し続けた家持の行為を勘案すると逢ったのはこの時一回で、共寝までいったと考えていい。結句「遂げざらまくに」(どうせ実らぬ恋なのに)から、前歌と同様、家持の「彼女に悪かった」という思いがにじみ出ている。
 「かえって声をかけなければよかった。どうして逢ったりしたのでしょう。どうせ実らぬ恋なのに」という歌である。

 以上で、笠女郎の24首、それに応えた家持の二首の読解をすべて終えた。これらの歌を手がかりに笠女郎の姿を推察してみよう。その前に、笠女郎の歌はこの24首のほかに5首登載されている。すべて家持に宛てて贈った歌である。念のためにその5首を歌意の要点と共に掲げてみよう。

(395番歌) 託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
  (紫に染めた着物をまだ着ていないのに人に知られてしまいました、という歌)
(396番歌) 陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
  (遠い遠い陸奥にいてさえ面影に見るというのに、こんな近くにいるのに、という歌)
(397番歌) 奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
  (固く契り合ったあなたを忘れられようか、という歌)
(1451番歌) 水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
  (春霞のようにあなたの気持ちがおぼつかなく思えます、という歌)
(1616番歌) 朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
  (毎朝眺める庭のナデシコのようにいつも逢えるあなたであればなあ、という歌)

 以上、笠女郎の歌はしめて29首となる。これを手がかりに探ってみよう。
 最初に、彼女は朝廷に仕える采女であろうか。どの歌からも采女らしい雰囲気は一切伝わってこない。それもその筈、采女の場合は、「吉備津の采女}(217番長歌)、駿河婇女(507番歌)、八上采女(515番歌)というふうに「~采女」と出身地表記がされている。そうでなくとも、「安見児得たり」(95番歌)、「大津の子が」(219番歌)、「宮に行く子を」(532番歌)とあるように「児」だの「子」だのと表記されている。どうも采女の一人ではなかったようだ。
 第二に、では彼女は都(平城京)ないしその周辺に居住していたのだろうか。唯一「なら山の小松が下に」(593番歌)がある。この「なら山」を平城京の北に連なる奈良山と解釈できれば彼女は家持の居住地の近くに住んでいたことになる。が、彼女の歌には海だの浜辺だのが多く、都を想起させるようなものは全くといっていいほど出てこない。「八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守」(596番歌)とあるように、浜辺だの沖つ島だのが出てくる。「伊勢の海」だの「寄する波」だの(共に600番歌)、「浦吹く風の」(606番歌)だの、彼女の故郷は少しも都らしくない。396番歌に「陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを」とあるので、彼女の故郷は「陸奥(みちのく)の真野」(福島県相馬郡内)と思われる。
 こうした歌の数々から判断すると、彼女が家持に出会ったのは海が近いどこかの地(故郷を含めて)であり、後、家持を追って一時的に大和に移り住み、あきらめて故郷に戻ったという構図が見えてくる。
 では、肝心の家持だが、都を離れたことがあるかといえばある。父の旅人に伴って太宰府に行ったとき。家持6~12歳。次は越中守として赴任したとき。28~33歳。最後は因幡守として赴任したとき。40歳。最後は赴任期間も短く、実質的には笠女郎に出会ったのは越中守在任中と考えてよかろう。家持ないし笠女郎が旅行中に出逢ったか?。
 最後に家持が彼女に声をかけたのは(逢ったのは)様々な彼女の歌から一度だけだった。その時二人は共寝までいったかどうか分からない。いかなかったと考えると、それにしては笠女郎の家持に対する執着はすさまじい。やはり共寝はあったのだろうか。

 頭注に「山口女王(やまぐちのおほきみ)が大伴宿祢家持に贈った歌五首」とある。山口女王は系統未詳。
0613   もの思ふと人に見えじとなまじひに常に思へりありぞかねつる
      (物念跡 人尓不<所>見常 奈麻強<尓> 常念弊利 在曽金津流)
 「なまじひに」は「なまじ無理して」である。「常に思へり」は「人に気づかれないように普段どおりに装っている」という、「ありぞかねつる」は「出来ようはずもない」という意味である。
 「胸に思いを秘めながら、人に気づかれまいと装っても、出来ようはずもない」という歌である。

0614   相思はぬ人をやもとな白栲の袖漬つまでに音のみし泣くも
      (不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳)
 「相思はぬ人をや」は「片思いの人なのに」である。「もとな」は「むしょうに」、「白栲(しろたへ)の」は枕詞。「袖漬(ひ)つまでに」は「袖がぬれるまで」という意味。
 「片思いと分かってはいますが、むしょうにあの方が恋しくて袖がぬれるまで泣いています」という歌である。

0615   我が背子は相思はずとも敷栲の君が枕は夢に見えこそ
      (吾背子者 不相念跡裳 敷細乃 君之枕者 夢<所>見乞)
 「我が背子は」は「あなたは」である。「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「夢に見えこそ」は「夢に出てきてほしい」という意味。
 「あなたは私のことを思って下さいませんが、せめて共寝する枕くらいは夢に出てきてほしい」という歌である。

0616   剣太刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば
      (劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者)
 「剣太刀(つるぎたち)」は枕詞(?)。「名の惜しけくも我れはなし」は「もう今となっては浮き名も怖くない」というほどの意味。
 「剣太刀のようにもう怖くはありません、浮き名がたとうと。もう今となっては。あなたに逢えないまま何年も立ってしまいましたもの」という歌である。

0617   葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる
      (従蘆邊 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴)
 一読して分かる平明歌。
 「葦の生えた岸辺に潮がじわじわと満ちて来るように、あなたへの思いが増してきて忘れられません」という歌である。
      (2013年7月31日記、2017年11月8日記)
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