尾張西部(清洲市及び一宮市)探訪記
本文は「古田史学・東海」の会報誌に掲載するつもりでいますが、ここブログにいち早く掲載するものです。
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訪問日 平成26年(2014年)10月30日(木)
尾張西部(清洲市及び一宮市)探訪記
古田史学東海の今年秋の探訪地は尾張西部(清洲市及び一宮市)でした。尾張西部は木曽川流域に形成された濃尾平野のもと、いち早く開けた先進地域で、全国的にみても注目すべき弥生遺跡が存在しています。日程は平成26年10月30日のみの日帰り探訪でしたが、絶好の天候に恵まれ、素晴らしい旅となりました。探訪箇所は5カ所。参加者は竹内会長以下6名。
尾張西部(清洲市及び一宮市)探訪記
古田史学東海の今年秋の探訪地は尾張西部(清洲市及び一宮市)でした。尾張西部は木曽川流域に形成された濃尾平野のもと、いち早く開けた先進地域で、全国的にみても注目すべき弥生遺跡が存在しています。日程は平成26年10月30日のみの日帰り探訪でしたが、絶好の天候に恵まれ、素晴らしい旅となりました。探訪箇所は5カ所。参加者は竹内会長以下6名。
朝日遺跡・貝殻山貝塚
■愛知県清洲市朝日貝塚
一同は、名古屋市金山駅北口に集合し、午前10時頃出発。最初に向かったのがこの朝日遺跡・貝殻山貝塚だった。朝日遺跡自体は愛知県清洲市から名古屋市西区にまたがる広大な弥生集落ですが、内、貝殻山貝塚を含む一万平米(10169m2)が国史跡として指定されています。貝塚といってもこんもりした岡のように大きな貝塚で、多くの人々が集落を形成し、暮らしていた様子が忍ばれます。域内に当時の住居が復元されていて、そのまま住居内部に足を踏み入れることが出来ます。当時の生活の一端をうかがうことができるでしょう。
■愛知県清洲市朝日貝塚
一同は、名古屋市金山駅北口に集合し、午前10時頃出発。最初に向かったのがこの朝日遺跡・貝殻山貝塚だった。朝日遺跡自体は愛知県清洲市から名古屋市西区にまたがる広大な弥生集落ですが、内、貝殻山貝塚を含む一万平米(10169m2)が国史跡として指定されています。貝塚といってもこんもりした岡のように大きな貝塚で、多くの人々が集落を形成し、暮らしていた様子が忍ばれます。域内に当時の住居が復元されていて、そのまま住居内部に足を踏み入れることが出来ます。当時の生活の一端をうかがうことができるでしょう。
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貝殻山貝塚資料館
■愛知県清洲市朝日貝塚
貝殻山貝塚の域内に設置されているのが貝殻山貝塚資料館です。ここに朝日遺跡から出土した様々な遺物が集められ、保存、展示されています。展示されている出土品は実に豊富で、息をのむばかりでした。係員の人が最も力を入れて説明してくれたのは朝日銅鐸で、実際に吊して鳴らしていた銅鐸としては最大級とのことでした。朝日遺跡銅鐸以外にも、巴形銅製品、筒形同製品、銅鏡、石鏃、ベンガラを施した赤いパレススタイル土器、土器の口縁に埋め込まれたガラスの小玉、円窓付土器、縫い針と紡錘車、等々実に豊富でした。平成24年9月、朝日遺跡の出土品のうち、2028点もが国の重要文化財に指定されています。ここに個々の出土品について逐一言及できませんが、全国的に注目されるものが少なくありません。これらのうち、ガラスの小玉、円窓付土器、縫い針の三点についてはエッセイ「日々つれづれ」という形ではありますが、私のブログ(「古代史の道 加藤勝美」と検索。)に掲載しておきましたので、興味のある向きは一度覗いてみて下さい。
■愛知県清洲市朝日貝塚
貝殻山貝塚の域内に設置されているのが貝殻山貝塚資料館です。ここに朝日遺跡から出土した様々な遺物が集められ、保存、展示されています。展示されている出土品は実に豊富で、息をのむばかりでした。係員の人が最も力を入れて説明してくれたのは朝日銅鐸で、実際に吊して鳴らしていた銅鐸としては最大級とのことでした。朝日遺跡銅鐸以外にも、巴形銅製品、筒形同製品、銅鏡、石鏃、ベンガラを施した赤いパレススタイル土器、土器の口縁に埋め込まれたガラスの小玉、円窓付土器、縫い針と紡錘車、等々実に豊富でした。平成24年9月、朝日遺跡の出土品のうち、2028点もが国の重要文化財に指定されています。ここに個々の出土品について逐一言及できませんが、全国的に注目されるものが少なくありません。これらのうち、ガラスの小玉、円窓付土器、縫い針の三点についてはエッセイ「日々つれづれ」という形ではありますが、私のブログ(「古代史の道 加藤勝美」と検索。)に掲載しておきましたので、興味のある向きは一度覗いてみて下さい。
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三ツ井稲荷山古墳(みついいなりやまこふん)
■愛知県一宮市三ツ井八丁目
三ツ井稲荷山古墳は、墳丘上に鎮座する神明社の社頭掲示によると、「墳径40m、墳高6.64mの円墳」とあります。墳墓の3分の1ほどが削り取られ、道路が走っています。神明社の一部も改変を受けていて、残念ですが、急な石段を登っていかなければなりません。登っていって頂上に立つと、古墳を見渡すことができます。墳墓の主その他詳細は分かっていません。墳墓の東方80メートルほどの位置に伊勢塚があり、稲荷山古墳の陪塚(ばいちょう)とされています。1967年(昭和42年)3月2日に一宮市史跡の指定を受け、保存措置が講じられています。
■愛知県一宮市三ツ井八丁目
三ツ井稲荷山古墳は、墳丘上に鎮座する神明社の社頭掲示によると、「墳径40m、墳高6.64mの円墳」とあります。墳墓の3分の1ほどが削り取られ、道路が走っています。神明社の一部も改変を受けていて、残念ですが、急な石段を登っていかなければなりません。登っていって頂上に立つと、古墳を見渡すことができます。墳墓の主その他詳細は分かっていません。墳墓の東方80メートルほどの位置に伊勢塚があり、稲荷山古墳の陪塚(ばいちょう)とされています。1967年(昭和42年)3月2日に一宮市史跡の指定を受け、保存措置が講じられています。
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浅井古墳群
■愛知県一宮市浅井町尾関
三ツ井稲荷山古墳を後にして北上していくと、木曽川の南岸に達します。その一帯に浅井古墳群があります。かっては大古墳群だったのですが、現在は20基ほどが遺っているようです。うち、岩塚古墳、毛無塚古墳、桃塚古墳、愛宕塚古墳、小塞神社古墳の主要五基が保存の対象になっています。1963年(昭和38年)4月19日に愛知県指定文化財に指定されています。塚頭掲示によると、かっては50基を越す大古墳群だったということです。付近一帯には延喜式神名帳に載る、いわゆる式内社の小塞神社や石刀神社も鎮座していて、かって私自身が訪れたことがあり、なつかしさを覚えました。岩塚古墳以下各古墳自体はさほど大きな規模のものではないが、かってここに古墳時代の豪族が起居していたかと思うと、ロマンをそそられました。
■愛知県一宮市浅井町尾関
三ツ井稲荷山古墳を後にして北上していくと、木曽川の南岸に達します。その一帯に浅井古墳群があります。かっては大古墳群だったのですが、現在は20基ほどが遺っているようです。うち、岩塚古墳、毛無塚古墳、桃塚古墳、愛宕塚古墳、小塞神社古墳の主要五基が保存の対象になっています。1963年(昭和38年)4月19日に愛知県指定文化財に指定されています。塚頭掲示によると、かっては50基を越す大古墳群だったということです。付近一帯には延喜式神名帳に載る、いわゆる式内社の小塞神社や石刀神社も鎮座していて、かって私自身が訪れたことがあり、なつかしさを覚えました。岩塚古墳以下各古墳自体はさほど大きな規模のものではないが、かってここに古墳時代の豪族が起居していたかと思うと、ロマンをそそられました。
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一宮市博物館
■愛知県一宮市大和町妙興寺
妙興寺に隣接する歴史博物館である。妙興寺は臨済宗妙心寺派の大寺院であり、博物館では折しも特別展「妙興寺展」を開催していました。同寺は貞和4年(1348年)創建というからそれなりの古刹ですが、わが古代史とは直接の関連は見あたらないため、妙興寺まで足を伸ばし、寺内に足を踏み入れることはありませんでした。
私たちの注意は常設展の方に向けられた。
常設展では濃尾平野に人が住みだした頃から弥生時代終末にいたるまでの古代の歩みが、一宮市一帯を中心とする遺跡と出土物でたどられていました。パネルを使って要領よくまとめられており、縄文土器、弥生土器を始め、銅鐸その他の銅製品、農器具等が簡潔にまとめられ、分かりやすい展示になっていました。
貝殻山貝塚資料館のような豊富にして様々な出土物というわけにはいきませんが、当博物館でも「鳴らされた銅鐸」や「ベンガラを施した赤いパレススタイル土器」に関するかなり丁寧なパネルが施されていて、印象的でした。
展示を見終わって、出てきた駐車場の前に見事な紅葉が青空を彩っていて、印象的でした。
■愛知県一宮市大和町妙興寺
妙興寺に隣接する歴史博物館である。妙興寺は臨済宗妙心寺派の大寺院であり、博物館では折しも特別展「妙興寺展」を開催していました。同寺は貞和4年(1348年)創建というからそれなりの古刹ですが、わが古代史とは直接の関連は見あたらないため、妙興寺まで足を伸ばし、寺内に足を踏み入れることはありませんでした。
私たちの注意は常設展の方に向けられた。
常設展では濃尾平野に人が住みだした頃から弥生時代終末にいたるまでの古代の歩みが、一宮市一帯を中心とする遺跡と出土物でたどられていました。パネルを使って要領よくまとめられており、縄文土器、弥生土器を始め、銅鐸その他の銅製品、農器具等が簡潔にまとめられ、分かりやすい展示になっていました。
貝殻山貝塚資料館のような豊富にして様々な出土物というわけにはいきませんが、当博物館でも「鳴らされた銅鐸」や「ベンガラを施した赤いパレススタイル土器」に関するかなり丁寧なパネルが施されていて、印象的でした。
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以上、今回の尾張西部(清洲市及び一宮市)探訪旅行は、たった一日とは思われない、期待に違わぬ有意義、かつ、ロマンあふれる旅となりました。とりわけ、貝殻山貝塚資料館の展示物は豊富なだけではなく、全国的にみても注目に値すると思われるものが数々あり、考古学フアンにとっては必見の資料館だと思われます。浅学に過ぎない私には期待以上の収穫だったと受け止めています。相変わらずもたもたして遅れがちに終始した私を温かく支えて下さった参加者の皆さんに感謝しつつ報告の挨拶に代えたいと思います。
なお、新たに関心をもたれた方がいつでも再訪できるようにと、所在市町村名を記しておきましたので参考になれば幸いです。