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万葉集読解・・・46(631~645番歌)

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     万葉集読解・・・46(631~645番歌)
 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)が娘子(をとめ)に贈った歌二首」とあり、細注に「王は志貴皇子の子なり」とある。湯原王は三十八代天智天皇の孫。
0631   うはへなきものかも人はしかばかり遠き家路を還す思へば
      (宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者)
 「うはへなき」は各書とも「愛想なし」と解している。むろんそれでいいのだが、この先、631~642番歌の12首に渡って二人のやりとりが続く。なのですべてを読み終えてから解しなければなるまい。それによれば、この歌の「うはへなき」は表面的な「愛想なし」の意でないことが分かる。「冷たいお人ですな」という男女の丁々発止のやりとりの口火に過ぎないことが分かる。
 「冷たいお人ですな、あなたって人は。遠い家路をせっかく会いに来たのに追い帰してしまうんですか」という歌である。

0632   目には見て手には取らえぬ月の内の桂のごとき妹をいかにせむ
      (目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責)
 桂(かつら)は街路樹に用いられる落葉高木だが、ここでは、中国で月中に生えているとされる想像上の樹木。広辞苑に「転じて月」とある。なので深く考える必要はなく、「月の内の桂のごとき」は「月のような」と取っておけばよかろう。「手には取らえぬ」はいうまでもなく、「手には捉えられない」という意味である。
 「目には見えるけれど手には捉えられない、月の桂(かつら)のような彼女。どうしたら捉えられるだろう」という歌である。

 頭注に「娘子(をとめ)が応えて贈った歌二首」とある。
0633   ここだくも思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し
      (幾許 思異目鴨 敷細之 枕片去 夢所見来之)
 「ここだくも」は耳慣れない言葉である。原文には「幾許」とある。そう、「いくばくもない命」の幾許である。「多くない命」、すなわち、幾許は「多く」の意。「ここだくも」の例は2157番歌、2327番歌等にもある。「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「枕片さる」は「枕の片側が空いている」という意味である。
 「一生懸命あなたのことを思っているせいか、枕の片方が空いてあなたが来る夢を見ますわ」という歌である。

0634   家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨しさ
      (家二四手 雖見不飽乎 草枕 客毛妻与 有之乏左)
 この歌の初句「家にして」を「岩波大系本」及び「中西本」は「我が家でお逢いしてても」と解している。「伊藤本」は微妙な訳し方をしている。わざわざ家に注をふって「女の家」としているので「岩波大系本」等と同様としてよい。が、私には不審である。この歌、湯原王の631番歌ないし632番歌に応えて贈った歌の筈なのに、「我が家でお逢いしてても」と解すると歌意不明。すでにみたように彼女は湯原王を追い返すことはあっても、共寝に応じた気配はない。前歌にも「夢に見え来し」とあるだけで、逢った様子はない。私は本歌の「家にして」は湯原王の家のこととしか解されない。本歌の歌意は「妻を同行しながら私をお誘いになるのですか」で、つまり彼女は湯原王を皮肉っているのである。
 「家にいらっしゃる時にも愛していらしゃっるに相違ない奥様、その奥様を遠い旅先までお連れになっていらっしゃる。お羨ましいことですわ」という歌である。

 頭注に「さらに湯原王が贈った歌二首」とある。
0635   草枕旅には妻は率たれども櫛笥のうちの玉をこそ思へ
      (草枕 客者嬬者 雖率有 匣内之 珠社所念)
 「櫛笥(くしげ)」は櫛を入れる箱。「玉」はむろん娘子のこと。櫛笥に納められた大切な人という意味である。
 「確かに妻を連れてきてはいますが、大切に思っているのはあなたですよ」という歌である。

0636   我が衣形見に奉る敷栲の枕を放けずまきてさ寝ませ
      (余衣 形見尓奉 布細之 枕不離 巻而左宿座)
 「形見に」は「身代わりに」である。「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「枕を放(さ)けず」は「枕から遠ざけない」、すなわち「枕元に置いておいて」という意味である。「まきて」は「着て」という意味。
 「この着物をさしあげますから私だと思って枕元に置いておいて着て寝て下さいね」という歌である。

 頭注に「さらに娘子が応えて贈った歌」とある。
0637   我が背子が形見の衣妻どひに我が身は離けじ言とはずとも
      (吾背子之 形見之衣 嬬問尓 <余>身者不離 事不問友)
 「妻どひに」は「求婚に」である。「我が身は離(さ)けじ」は「我が身から離したりしませんわ」という、「言(こと)とはずとも」は「たとえ物言わぬ着物であっても」という意味である。だが、着物だけ送りつけてきた湯原王にちくりと一刺し皮肉の針を刺した歌である。
 「あなたが身代わりに求婚の印と贈って下さった着物、我が身から離したりしませんわ。たとえ物言わぬ着物であっても」という歌である。

 頭注に「さらに湯原王が贈った歌」とある。
0638   ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ
      (直一夜 隔之可良尓 荒玉乃 月歟經去跡 心遮)
 「ただ一夜隔てしからに」はこの部分だけに着目すると、「たった一夜隔てられただけなのに」となる。つまり「たった一夜逢えなかっただけなのに」という意味になる。事実、「岩波大系本」以下どの書もそう解している。が、634番歌で検討したように、ここまでの歌のやりとりから考えると、二人が毎晩毎晩逢い続けていたとはとうてい考えられない。そんな男を女性がにべもなくはねつけたり(631番歌)、「奥様を伴っていらして羨ましいことですわ」と皮肉ったり(634番歌)するだろうか。また男の方も、毎晩毎晩共寝している女に、「目には見えても触れられぬ月のようだ」とか(632番歌)、「着物を形見だと思ってくれ」などと言って贈ったり(636番歌)するだろうか。「いや、その後毎晩共寝するようになったのだ」と反駁されれば一言もないが、不自然極まりない。事実は逆ではないか。「ただ一夜隔てしからに」は、「たった一夜(一度)隔てられた(はねつけられた)だけなのに」という意味なのではないか。だから結句に「心惑ひぬ」(あなたが恋しくて心が乱れる)と詠っているのだ。毎晩毎晩共寝を続けていたなんて、「とんでもない解釈」と言わねばならない。「あらたまの」は枕詞。
 「たった一夜はねつけられただけなのに、いつの間にか月が代わってしまって心が乱れています」という歌である。

 頭注に「さらに娘子が応えて贈った歌」とある。
0639   我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ
      (吾背子我 如是戀礼許曽 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家礼)
 「ぬばたまの」は枕詞。平明歌。
 この歌、二重の意味で毎晩毎晩共寝を続けている相手ではないことを裏付けている。そんな相手が夢に出てくるわけはないし、いちいち作歌して使いの手を介して相手に届ける必要がない。
 「あなたがそんなふうに恋い焦がれるからこそ、夢にあらわれてなかなか寝られません」という歌である。

 頭注に「さらに湯原王が贈った歌」とある。
0640   はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
      (波之家也思 不遠里乎 雲<居>尓也 戀管将居 月毛不經國)
 「はしけやし」は「ああ」という感嘆詞。
 「ああ、近くの里に君がいるというのに、まるで雲の上にいる人のように隔たっている。まだひと月も経たないのに恋しくてならない」という歌である。

 頭注に「さらに娘子が応えて贈った歌」とある。
0641   絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君
      (絶常云者 和備染責跡 焼大刀乃 隔付經事者 幸也吾君)
 「絶ゆと言はば」は、[これで二人の仲は終わりだね、と言えば」という意味。「わびしみせむと」は「わびしがるだろうと」という意味である。「焼大刀(やきたち)の」は万葉歌中4例ある。そしてひとつも同じ言葉にかからない。枕詞(?)である。「へつかふ」は「へつらう」である。
 「これで二人の仲は終わりだねと言えば、私がわびしく思うだろうなとおっしゃいますが、つけ刃の焼大刀のようにひっこんで、それでいいんですか私のあなた」という歌である。

 頭注に「湯原王の歌」とある。
0642   我妹子に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄せむと我が恋ひそめし
      (吾妹兒尓 戀而乱者 久流部寸二 懸而縁与 余戀始)
 「くるべき」は糸車。
 「あなたにしかけた恋がうまくいかなければ糸車にかけた糸でたぐり寄せればいいと思って恋をしかけました」という歌である。

 以上、631番歌から12首にわたって続けられてきた、湯原王と娘子の恋のやりとりは終焉を迎えた。この恋のやりとりは湯原王の一人芝居と考えるのが自然。ひと月前に一度だけ逢った可能性は残るが、逢ったとしてもその一回のみ。二人が現実に交際した形跡はうかがえない。万葉集には登載されていないが、「二人の仲は終了だね」という意味の歌が彼女に届いたのだろう。宴席上で交わされたラブゲームのような歌のやりとりである。
 宴席でのやりとりでなければ、妻に隠れて湯原王が娘子にモーションをかけ、あわよくばものにしようとした場面である。が、結局は娘子に手玉に取られるような形で終結した。今も昔も女性はしたたか。簡単に男の手に落ちなかったようである。

 頭注に「紀女郎(きのいらつめ)の怨恨歌三首」とあり、細注に「鹿人大夫(かひとのまへつきみ)の女(むすめ)で名を小鹿(をが)といふ。安貴王(あきのおほきみ)の妻なり」とある。安貴王は志貴皇子の孫。志貴皇子は三十八代天智天皇の皇子。
0643   世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや
      (世間之 女尓思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八)
 「痛背(あなせ)の川」は穴師川、すなわち奈良県桜井市を流れる今の巻向川(まきむくがわ)のことという。結句の「渡りかねめや」は反語表現。「渡りかねるなんてことがありましょうか」という意味である。
 「私が世間一般の普通の女性だったら巻向川を渡りかねるなんてことがありましょうか」という歌である。

0644   今は我はわびぞしにける気の緒に思ひし君をゆるさく思へば
      (今者吾羽 和備曽四二結類 氣乃緒尓 念師君乎 縦左<久>思者)
 「わびぞしにける」は「侘びしく心細い」という意味。問題は次の第三句、「気(いき)の緒(を)に」。「岩波大系本」は「命の綱」、それに同調したのか「伊藤本」も「命の綱」と解している。「中西本」は「生命、生きること」としているが、前二書と大きな差はない。こうした解が生ずるのは、第四句「思ひし君を」を「頼みに思ひし」と「頼みに」を補って読むところから来ているに相違ない。が、「思ひし君を」は文字通り「恋し続けてきた君を」という意味である。つまり、「気の緒に」は「息長くずっと」という意味。結句の「ゆるさく思へば」の「ゆるさく」。私は「うるさい」の副詞用法が「うるさく」となるように、ここは「ゆるむ」の副詞用法だと思う。
 「今の私は侘びしく心細い思いで暮らしています。長らくずっとあなたのことを思ってきたのに、あなたとの絆がほどけてあなたが離れていくと思うと」という歌である。

0645   白栲の袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ
      (白<細乃> 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「袖(そで)別る」は現在も「袂を分かつ」と言うように、「二人の別れ」を意味する。「近み」は「~なので」のみ。「音(ね)のみし泣かゆ」は「おいおい声をあげて泣く」という意味である。
 「袂を分かつ日が近いので胸がつかえ、むせび泣くばかりです」という歌である。
           (2013年8月7日記、2017年11月13日)
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