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万葉集読解・・・47(646~661番歌)

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     万葉集読解・・・47(646~661番歌)
 頭注に「大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌」とある。駿河麻呂は御行の孫。家持の従兄に相当?。
0646   ますらをの思ひわびつつたびまねく嘆く嘆きを負はぬものかも
      (大夫之 思和備乍 遍多 嘆久嘆乎 不負物可聞)
 「ますらをの」は「男子たる者」、「無骨者」、「この私め」等々人により色々に取れる。「たびまねく」は「幾度も幾度も」という意味。「負はぬものかも」は「負担に感じないのですか」である。
 「幾度も幾度も男子たる者を嘆き苦しませて平気なのですか」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌」とある。
0647   心には忘るる日なく思へども人の言こそ繁き君にあれ
      (心者 忘日無久 雖念 人之事社 繁君尓阿礼)
 頭注には記されていないが、駿河麻呂の歌に応えたような歌である。「君にあれ」は「あなたですものね」で、皮肉たっぷりの一刺し。
 「心には忘れる日などなく、ずっと思い続けていますが、何しろ女の噂が絶えないあなたですものね」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌」とある。
0648   相見ずて日長くなりぬこの頃はいかに幸くやいふかし我妹
      (不相見而 氣長久成奴 比日者 奈何好去哉 言借吾妹)
  「相見ずて日(け)長くなりぬ」は「随分長くお逢いしてませんが」という意味である。「いかに幸(さき)くや」は「お元気でお過ごしでしたでしょうか」である。
 「随分長くお逢いしてませんがいかがでしたか。気がかりでしたよ、愛しい人」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌」とある。
0649   夏葛の絶えぬ使の淀めれば事しもあるごと思ひつるかも
      (夏葛之 不絶使乃 不通<有>者 言下有如 念鶴鴨)
 葛(くず)は多年草の蔓草だが、その根は絡み合って頑丈である。つまり「うっとおしいくらいに絡みつく」という比喩に使われる。
 「あれほど繁々と使いがやってきていましたのに、最近見かけません。何事か起こったのかと心配してましたのよ」という歌である。
 左注に「坂上郎女は佐保大納言卿の娘なり。駿河麻呂は高市大卿の孫なり。両卿は兄弟の家。娘と孫の二人は姑姪(をばをひ)の間柄で、歌をやりとりして様子を訊ね合った。」とある。 佐保大納言卿は大伴安麻呂(旅人の父)、高市大卿は大伴御行とされる。
 このように詳しい系図事項を注記することは滅多になく、幅広い人々の歌の集大成とみられる万葉集も、一皮むけば大伴一族の私家集ではないかと疑いたくなる。

 頭注に「大伴宿祢三依(おほとものすくねみより)の離れて後再会を歡ぶ歌」とある。三依は御行の息子。再会の相手はいとこの坂上郎女と目される。
0650   我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり
      (吾妹兒者 常世國尓 住家<良>思 昔見従 變若益尓家利)
 「常世の国」は「不老不死の国」、結句の「変若(をち)ましにけり」は「お若くなられましたね」という意味である。
 「あなたは不老不死の常世(とこよ)の国に住んでおられるようですね。昔お逢いした頃よりお若くなられましたね」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の歌二首」とある。
0651   ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ
      (久堅乃 天露霜 置二家里 宅有人毛 待戀奴濫)
 「ひさかたの」は枕詞。「天(あま)の露霜置きにけり」は「外は露霜がおりる夜更けになりました」という意味である。第四句の「家なる人も」の「家」が誰の家のことかこの歌単独では分かりにくい。「岩波大系本」は作者の家と解しているが、「伊藤本」や「中西本」は相手の家と解している。主語省略の場合は作者本人とするのが歌作の常道なので、この歌も「岩波大系本」に従うのが自然。そもそも、この歌を別の相手と逢っている歌とはきめつけられない。作者が宴会ないし会合等からの帰途に詠った歌と考えていっこうに差し支えない。
 「ああ、夜も更けてきた。家の人も私の帰りを待っていることだろうに」という歌である。

0652   玉守に玉は授けてかつがつも枕と我れはいざふたり寝む
      (玉主尓 珠者授而 勝且毛 枕与吾者 率二将宿)
 玉は貴重な人。ここでは坂上郎女の愛娘(次女の二穣か?)を指す。玉守はむろんその夫。「かつがつも」は「ともかくも」という意味。
 本歌により彼女の家には別棟か否かは別にして娘夫婦も暮らしていたことが分かる。すなわち、前歌の「家なる人」の解釈は「岩波大系本」が当を得ていることが裏付けられる。
「娘は夫に任せて、私は枕と共にゆっくり寝るとしよう」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)の歌三首」とある。駿河麻呂は御行の孫。家持の従兄に相当?。
0653   心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月ぞ経にける
      (情者 不忘物乎 儻 不見日數多 月曽經去来)
 「たまさかに」は「知らぬ間に(たまたま)」という意味。また、「さまねく」は「さ、まねく」で原文に「數多」とあるように「多く」である。
 「決してあなたを忘れることはありません。たまたまお逢いできない日々が続き、もう一ヶ月にもなりました」という歌である。

0654   相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも
      (相見者 月毛不經尓 戀云者 乎曽呂登吾乎 於毛保寒毳)
 第四句目の「をそろ」は粗忽者、軽率者という意味である。
 「逢ってまだひと月も経っていないのに恋しいと申したら、粗忽者とお思いでしょうね」という歌である。

0655   思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変
      (不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑礼左變)
 結句「邑礼左変」は訓じ方不詳とされ、したがって語義も未詳。これは私の一案だが、「邑」は「村」、「礼」は「札」で、「郷札(さとふだ)にさへ」ではなかろうか。「郷杜(村社)にも誓いの札を入れました」という意味に相違ない。
 「思ってもいないのに思っていると言っても、天地の神様は(その偽りを)お知りになっていらっしゃる。私は村社にさえ誓いの一札を入れました」という歌である。

  頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌六首」とある。
0656   我れのみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふといふことは言のなぐさぞ
      (吾耳曽 君尓者戀流 吾背子之 戀云事波 言乃名具左曽)
 結句の最後の「ぞ」は「に相違ない」という意味をこめている。平明歌。
 「私の方はあなたに恋焦がれていますが、あなたが言う恋しいは口先だけの慰めぞ」という歌である。

0657   思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも
      (不念常 日手師物乎 翼酢色之 變安寸 吾意可聞)
 「はねず色の」は耳慣れない。はねずは朱華で、1485番歌に「夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか」とあるように、色変わりしやすい花のようだ。基本的には赤い花。
 「あなたのことはもう思わないようにしようと言いましたが、我が心ははねず色のように移ろいやすくまたあなたのことを思ってしまいます」という歌である。

0658   思へども験もなしと知るものを何かここだく我が恋ひわたる
      (雖念 知僧裳無跡 知物乎 奈何幾許 吾戀渡)
 「験(しるし)もなしと」とは「甲斐がないと」という意味。「ここだく」は、633番歌に「ここだくも思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し」とあるように「しきりに」である。
 「思っても甲斐がないと分かってはいますが、どうしてもしきりに恋焦がれてしまいます」という歌である。

0659   あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ
      (豫 人事繁 如是有者 四恵也吾背子 奥裳何如荒海藻)
 「人言繁し(ひとことしげし)」は「人の口がうるさい」という意味。第四句目の「しゑや」は、「ええままよ」、「ああしゃくだ」、「まあ」等々様々に訳されているが、要は間投詞。結句の「奥も」は「この先」という意味。
 「今のうちからこんなに人の口がうるさいのでは、あなた、私たちの行く先はどうなるんでしょうね。全く」という歌である。

0660   汝をと我を人ぞ離くなるいで我が君人の中言聞きこすなゆめ
      (汝乎与吾乎 人曽離奈流 乞吾君 人之中言 聞起名湯目)
 「汝(な)をと我を人ぞ離(さ)くなる」は「あなたと私の仲を裂こうとしている人がいます」という意味である。「いで我が君」は「ねえあなた」である。「中言(なかこと)」は「中傷」という意味。末尾の「ゆめ」は「ゆめゆめ」である。
 「あなたと私の仲を裂こうとしている人がいます。ねえあなた、ひとの中傷には耳を貸さないで下さいな。決して、決して」という歌である。

0661   恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば
      (戀々而 相有時谷 愛寸 事盡手四 長常念者)
 「時だに」は「時だけでも」という意味。「うるはしき」は「優しく美しい」という意味。「長くと思はば」は「私たちの間を長く続けようと思っていらっしゃるなら」という意味で、願い、期待、不安こもごもの響きが入り交じっている。
 「恋しくて恋しくてやっと逢えたのですもの。この時だけでも、優しく美しい言葉を尽くして下さいな。私たちの間を長く続けようと思っていらっしゃるなら」という歌である。
           (2013年8月15日記、2017年11月16日)
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