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Channel: 古代史の道
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一枚の写真

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 前回、東海道呼続の宿場町だった地に作られた呼続公園を話題にした。紅葉がきれいだという情報を小耳にはさんだので出かけてみた。訪ねてみて、なるほど紅葉のきれいな公園で、紅色や黄色に染まった木々が美しく輝いていた。
 それはそれとして、現地で私は妙なことに苦労している。ほかでもない。カメラを構えたとき、ある機会が訪れるのを待つのだ。動かない紅葉を撮影するのに、苦労などある筈もなく、せいぜい自分が動いて日光の具合や構図を決めることくらい。苦労といえば苦労と言って言えなくもない。が、むろんそんなことは当たり前なことで、ちょっと自分が動くのさえ嫌がるようでは撮影する資格がない。資格?。そもそも私の撮影など、一丁前の腕があるわけでもなければ練習さえしたこともない。
 気軽に撮影することが好きなだけで、資格云々など言えた義理ではない。第一、私が保持しているカメラは安物のデジカメ。撮影が好きです、とさえ言えない腕前ゼロの輩だ。しからば、そんな輩が何に苦労しているのか、である。
 ここに呼続公園で撮影した一枚の写真をお目にかけよう。何の変哲もない紅葉の写真だ。曽池も映っていなければ、噴水の影も形も見えない。が、この一枚には象徴的な事物が反映されている。あえて、今回は回答を掲げないで次回に譲るとするが、読者各位のどなたかお気づきだろうか。この一枚には呼続公園だからではない。愛知牧場等、出かけた先のたいていの写真に共通する苦労が隠されている。私の密かな密かな楽しみの一つなのである。もしもお気づきの向きがあれば、その人は私の美的感覚と共通のものを抱いておられるといってよかろう。おそらく、長い長い本欄の中で、謎を仕掛けるのは初めてのこと。「美的感覚が共通、ないし共感出来る人がいるかも知れない」。こう思うことは人知れず楽しいことである。
             (2017年11月18日)
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