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Channel: 古代史の道
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写真と美的感覚

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 前回、呼続公園で撮った一枚の写真を示し、この写真には、私の美的感覚を刺激する要素が含まれていると記した。最初に解答を述べてしまうと、それは人影(人の姿)である。写真の左下に小さく映っている。人物ではなく、文字通り人影である。
 今回、最近撮った写真から人影が映っている写真を3枚紹介しておこう。3枚が3枚とも決して人物を撮ろうとして撮ったのではない。偶然映ってしまったかに見える、文字通り人影である。人によっては邪魔に見えるかも知れない人の姿である。
 もとより、写真の主体は寺の山門であり、お花畑である。人影は、言ってみれば、刺身のつまのようなもので、写真としては失敗作と見て取れないことはない。こんな写真なので、人影は偶然にたまたま入ってしまったかのように見えよう。
 が、決してそうではない。人影は私の美的感覚の所産なのである。人影の見えない写真は、むろん美しく、壮観である。が、私にはそうした写真は数も多く、どこかよそよそしく、臨場感に欠けているように思われるのだ。そこへいくと、人影のある写真は親近感があり、かつ、臨場感がある。つまり、画面全体に緊張感がただよい、美しさが際だつように思われる。これが私の美的感覚なのである。
 人影が主体になってしまってはいけない。風景にとけ込み、あくまで風景が主体でなければならない。こういう構図を確保するには、当然人影に近寄り過ぎてはいけない。さりとて遠く成りすぎては人影がいないのと同じことになる。人影は1~3人がベスト。が、1~3人程度の小人数の場合、たいてい人は歩行している。つまり動いているので、瞬間の判断でシャッターを切らないといけない。距離感と人影の大きさを勘案するとチャンスは結構少ない。三枚目の写真は人影がぴったり。私のお気に入りの一枚。私の美的感覚はこの一枚に集約されていると考えていただいていい。 
             (2017年11月20日)
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