万葉集読解・・・48(662~674番歌)
頭注に「市原王(いちはらのおほきみ)の歌」とある。市原王は三十八代天智天皇の末裔。
0662 網児の山五百重隠せる佐堤の崎小網延へし子が夢にし見ゆる
(網兒之山 五百重隠有 佐堤乃埼 左手蝿師子之 夢二四所見)
「網児(あご)の山」は三重県志摩半島の英虞湾岸(あごわんがん)の山々のことか。私は英虞湾内の間崎島を訪れているが、複雑な地形を反映して周囲の山々は表現通り五百重(いほへ)なす山々である。「佐堤(さで)の崎」は湾岸のどこかの岸に相違ない。「小網(さで)延(は)へし子が」はその佐堤の崎で「小網を張っていたあの子が」である。
「網児の山々が多く重なって隠されている、佐堤の崎で小網を張っていたあの子が夢に出てきて忘れられない」という歌である。
頭注に「市原王(いちはらのおほきみ)の歌」とある。市原王は三十八代天智天皇の末裔。
0662 網児の山五百重隠せる佐堤の崎小網延へし子が夢にし見ゆる
(網兒之山 五百重隠有 佐堤乃埼 左手蝿師子之 夢二四所見)
「網児(あご)の山」は三重県志摩半島の英虞湾岸(あごわんがん)の山々のことか。私は英虞湾内の間崎島を訪れているが、複雑な地形を反映して周囲の山々は表現通り五百重(いほへ)なす山々である。「佐堤(さで)の崎」は湾岸のどこかの岸に相違ない。「小網(さで)延(は)へし子が」はその佐堤の崎で「小網を張っていたあの子が」である。
「網児の山々が多く重なって隠されている、佐堤の崎で小網を張っていたあの子が夢に出てきて忘れられない」という歌である。
頭注に「安都宿祢年足(あとのすくねとしたり)の歌」とある。年足は伝未詳。
0663 佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしき愛しき妻の子
(佐穂度 吾家之上二 鳴鳥之 音夏可思吉 愛妻之兒)
「佐保渡り」は「渡り」とあるので「佐保川を渡ってきた」と解して無理はない。佐保川は奈良市内を流れる川。結句の「妻の子」は一見子供のことを言っているように思える。が、自分の子なら我が子という言い方をする。そうしないと妻の子では「連れ子」と誤解されかねない。本歌の「妻の子」は「妻であるあの子」という女性の愛称であることが分かる。
「佐保川を渡ってきて我が家の上で鳴く鳥の声のように、なつかしくも可愛らしい我が妻」という歌である。
0663 佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしき愛しき妻の子
(佐穂度 吾家之上二 鳴鳥之 音夏可思吉 愛妻之兒)
「佐保渡り」は「渡り」とあるので「佐保川を渡ってきた」と解して無理はない。佐保川は奈良市内を流れる川。結句の「妻の子」は一見子供のことを言っているように思える。が、自分の子なら我が子という言い方をする。そうしないと妻の子では「連れ子」と誤解されかねない。本歌の「妻の子」は「妻であるあの子」という女性の愛称であることが分かる。
「佐保川を渡ってきて我が家の上で鳴く鳥の声のように、なつかしくも可愛らしい我が妻」という歌である。
頭注に「大伴宿祢像見(おおとものすくねかたみ)の歌」とある。像見は大伴一族の一人か。
0664 石上降るとも雨につつまめや妹に逢はむと言ひてしものを
(石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾)
「石上(いそのかみ」は枕詞。第三句「つつまめや」は「岩波大系本」に「障(さは)らめや」とある。現在でも「差し障りがある」と使われる。「雨など何のその」という意味。
「降る雨など何の差し障りがありましょう。あなたに逢うと約束したんだもの」という歌である。
0664 石上降るとも雨につつまめや妹に逢はむと言ひてしものを
(石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾)
「石上(いそのかみ」は枕詞。第三句「つつまめや」は「岩波大系本」に「障(さは)らめや」とある。現在でも「差し障りがある」と使われる。「雨など何のその」という意味。
「降る雨など何の差し障りがありましょう。あなたに逢うと約束したんだもの」という歌である。
頭注に「安倍朝臣蟲麻呂(あべのあそみむしまろ)の歌」とある。蟲麻呂は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)といとこ同士。667番歌左注参照。
0665 向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも
(向座而 雖見不飽 吾妹子二 立離徃六 田付不知毛)
結句の「たづき」は手段。なので「たづき知らずも」は「どうして別れられましょう」の意になる。要するに「別れがたい」と詠っている歌である。
「向かい合って見ているが、飽きもしない我が彼女、どうして別れられましょう」という歌である。
0665 向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも
(向座而 雖見不飽 吾妹子二 立離徃六 田付不知毛)
結句の「たづき」は手段。なので「たづき知らずも」は「どうして別れられましょう」の意になる。要するに「別れがたい」と詠っている歌である。
「向かい合って見ているが、飽きもしない我が彼女、どうして別れられましょう」という歌である。
頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌二首」とある。
0666 相見ぬは幾久しくも(幾久さにも・・・通常説)あらなくにここだく我れは恋ひつつもあるか
(不相見者 幾久毛 不有國 幾許吾者 戀乍裳荒鹿)
第二句の原文は「幾久毛」。これを「岩波大系本」、「伊藤本」、「中西本」はそろって一様に「幾(いく)久さにも」と訓じている。「久さ」は「久々」の略だという。が、こう訓ずるのは問題。少なくとも決定稿とは言い難い。げんに「佐々木本」は第二句を「ここだ久にも」と訓じている。にもかかわらず各書が「幾(いく)久さにも」としているのは、おそらく「岩波大系本」が「幾(いく)久さ」とする根拠に、拾遺集744番歌に「あひ見てはいくひささにもあらねとも年月のことおもほゆるかも」とあるのを挙げていることによるのだろう。が、拾遺集の成立は万葉集成立よりも三百年近くも経ってからであり、加えて、もっと肝要な点は歌意の問題である。「幾久毛」を「幾(いく)久さにも」としたのでは「幾(いく)久々にも」となって奇妙だ。幾つもの久々では意味不明。久々はそれ自身独立用語。それどころか「久々にお逢いしましたね」という使用例からうかがわれるように、期間の長短よりも単に当該時点での過去を振り返って使用する、いわば挨拶用語。
さらに肝心の万葉集に本歌のほかに「幾久さ」などという使用例は皆無なのだ。「久」の文字は「ひさし」ないし「ひさしく」と訓じられているのが通例である。たとえば768番歌「久しくなりぬ」(原文「久成」)、1214番歌「久しく見ねば」(原文「久不見者」)、3144番歌「久しくなれば」(原文「久成者」)等々。なので、ここは通例に従って「幾(ここだ)久しくも」と訓じるのが妥当だろう。やや細部にこだわってしまったが、これで歌意がすっきり通ると思うからである。
「相見ぬは幾(ここだ)久しくもあらなくに」は「お逢いしてからさほど時を経たわけではないのに」という意味になる。「ここだく」は「しきりに」という意味である。
「お逢いしてからさほど時を経たわけではないのになぜこんなにもしきりにあなたのことが恋しいのでしょう」という歌である。
0666 相見ぬは幾久しくも(幾久さにも・・・通常説)あらなくにここだく我れは恋ひつつもあるか
(不相見者 幾久毛 不有國 幾許吾者 戀乍裳荒鹿)
第二句の原文は「幾久毛」。これを「岩波大系本」、「伊藤本」、「中西本」はそろって一様に「幾(いく)久さにも」と訓じている。「久さ」は「久々」の略だという。が、こう訓ずるのは問題。少なくとも決定稿とは言い難い。げんに「佐々木本」は第二句を「ここだ久にも」と訓じている。にもかかわらず各書が「幾(いく)久さにも」としているのは、おそらく「岩波大系本」が「幾(いく)久さ」とする根拠に、拾遺集744番歌に「あひ見てはいくひささにもあらねとも年月のことおもほゆるかも」とあるのを挙げていることによるのだろう。が、拾遺集の成立は万葉集成立よりも三百年近くも経ってからであり、加えて、もっと肝要な点は歌意の問題である。「幾久毛」を「幾(いく)久さにも」としたのでは「幾(いく)久々にも」となって奇妙だ。幾つもの久々では意味不明。久々はそれ自身独立用語。それどころか「久々にお逢いしましたね」という使用例からうかがわれるように、期間の長短よりも単に当該時点での過去を振り返って使用する、いわば挨拶用語。
さらに肝心の万葉集に本歌のほかに「幾久さ」などという使用例は皆無なのだ。「久」の文字は「ひさし」ないし「ひさしく」と訓じられているのが通例である。たとえば768番歌「久しくなりぬ」(原文「久成」)、1214番歌「久しく見ねば」(原文「久不見者」)、3144番歌「久しくなれば」(原文「久成者」)等々。なので、ここは通例に従って「幾(ここだ)久しくも」と訓じるのが妥当だろう。やや細部にこだわってしまったが、これで歌意がすっきり通ると思うからである。
「相見ぬは幾(ここだ)久しくもあらなくに」は「お逢いしてからさほど時を経たわけではないのに」という意味になる。「ここだく」は「しきりに」という意味である。
「お逢いしてからさほど時を経たわけではないのになぜこんなにもしきりにあなたのことが恋しいのでしょう」という歌である。
0667 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむしましはあり待て
(戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待)
これは典型的な倒置表現歌。上二句が歌意の主体。つまり結句に来てよい内容の句である。「月しあれば夜は隠(かく)るらむ」はおもしろい表現。「まだ月がかかっていますが、それも沈んで深夜がやってくる」つまり「夜が隠れている」とは「まだ夜明けまでには間があるではありませんか」という意味である。
「ずっと恋焦がれていて、やっとお逢いできたのですもの。夜明けまでまだ間があるではありませんか。今少し一緒にいて下さい」という歌である。
左注に、大略次のように記されている。
「坂上郎女の母石川内命婦(いしかはのないみやうぶ)と蟲麻呂の母安曇外命婦(あづみのげみやうぶ)は同じ家で育った姉妹で仲がよかった。で、坂上郎女と蟲麻呂はたびたび顔を合わせ、親密の仲だった。従って、この問答は戯れにやりとりしたものである」
(戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待)
これは典型的な倒置表現歌。上二句が歌意の主体。つまり結句に来てよい内容の句である。「月しあれば夜は隠(かく)るらむ」はおもしろい表現。「まだ月がかかっていますが、それも沈んで深夜がやってくる」つまり「夜が隠れている」とは「まだ夜明けまでには間があるではありませんか」という意味である。
「ずっと恋焦がれていて、やっとお逢いできたのですもの。夜明けまでまだ間があるではありませんか。今少し一緒にいて下さい」という歌である。
左注に、大略次のように記されている。
「坂上郎女の母石川内命婦(いしかはのないみやうぶ)と蟲麻呂の母安曇外命婦(あづみのげみやうぶ)は同じ家で育った姉妹で仲がよかった。で、坂上郎女と蟲麻呂はたびたび顔を合わせ、親密の仲だった。従って、この問答は戯れにやりとりしたものである」
頭注に「厚見王(あつみのおほきみ)の歌」とある。厚見王は系統未詳。
0668 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに
(朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國)
「朝に日(け)に色づく山」は「秋の山」のことだが、澄んだ空気の中に色づいた山肌と白雲の対比が鮮やかで美しい。ここまで比喩的序歌。
「朝ごとに日ごとに色づく秋の山にかかる白雲のように流れ去っていくような君ではありませんのに」という歌である。
0668 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに
(朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國)
「朝に日(け)に色づく山」は「秋の山」のことだが、澄んだ空気の中に色づいた山肌と白雲の対比が鮮やかで美しい。ここまで比喩的序歌。
「朝ごとに日ごとに色づく秋の山にかかる白雲のように流れ去っていくような君ではありませんのに」という歌である。
頭注に「春日王(かすがのおほきみ)の歌」とあり、細注に「志貴皇子の子で母は紀皇女(きのひめみこ)」とある。志貴皇子は三十八代天智天皇の皇子。紀皇女は四十代天武天皇の皇女。
0669 あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ
(足引之 山橘乃 色丹出<与> 語言継而 相事毛将有)
「あしひきの」は枕詞。山橘(やまたちばな)はヤブコウジのことという。ヤブコウジは冬に鮮やかな紅い実をつける。「色に出でよ」は「その実のようにはっきり意思表示して下さいな」という意味である。
「山橘(やまたちばな)の紅い実のように、はっきり思いを出して下さいな。そうすればやりとりを重ねていくうちに直接お逢いすることになると思います」という歌である。
0669 あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ
(足引之 山橘乃 色丹出<与> 語言継而 相事毛将有)
「あしひきの」は枕詞。山橘(やまたちばな)はヤブコウジのことという。ヤブコウジは冬に鮮やかな紅い実をつける。「色に出でよ」は「その実のようにはっきり意思表示して下さいな」という意味である。
「山橘(やまたちばな)の紅い実のように、はっきり思いを出して下さいな。そうすればやりとりを重ねていくうちに直接お逢いすることになると思います」という歌である。
頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)の歌」とある。湯原王は三十八代天智天皇の孫に当たる。父は志貴皇子。
0670 月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
(月讀之 光二来益 足疾乃 山寸隔而 不遠國)
月読(つくよみ)は『古事記』では天照大御神(あまてらすおほみかみ)、須佐之男命(すさのをのみこと)と並ぶ三貴子として生誕した神で、月読命(つくよみのみこと)と表記されている。ここでは月自体のことを指している。したがって、「月読の光りに来ませ」は「月の光をたよりにおいでなさい」という意味になる。「あしひきの」は枕詞。第四句の「山きへなりて」は耳慣れない用語。「山き」ははっきりしないが「山を間において」という意味のようだ。「へなりて」は「隔りて」だが、「隔たっていること」を「へなりて」と読む例は3755番歌や3764番歌に「山川を中にへなりて」とあり、ちゃんと原文に「山川乎 奈可尓敝奈里弖」とある。むろん隔を使用した例もある。たとえば3187番歌に「青垣山のへなりなば」とあり、その原文は「青垣山之 隔者」である。
「月の光を頼りにおいでなさい。山が隔たって遠い訳でもないのですから」という歌である。
0670 月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
(月讀之 光二来益 足疾乃 山寸隔而 不遠國)
月読(つくよみ)は『古事記』では天照大御神(あまてらすおほみかみ)、須佐之男命(すさのをのみこと)と並ぶ三貴子として生誕した神で、月読命(つくよみのみこと)と表記されている。ここでは月自体のことを指している。したがって、「月読の光りに来ませ」は「月の光をたよりにおいでなさい」という意味になる。「あしひきの」は枕詞。第四句の「山きへなりて」は耳慣れない用語。「山き」ははっきりしないが「山を間において」という意味のようだ。「へなりて」は「隔りて」だが、「隔たっていること」を「へなりて」と読む例は3755番歌や3764番歌に「山川を中にへなりて」とあり、ちゃんと原文に「山川乎 奈可尓敝奈里弖」とある。むろん隔を使用した例もある。たとえば3187番歌に「青垣山のへなりなば」とあり、その原文は「青垣山之 隔者」である。
「月の光を頼りにおいでなさい。山が隔たって遠い訳でもないのですから」という歌である。
頭注に「これに応えた歌。作者不詳」とある。
0671 月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに
(月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念)
月読は前歌参照。「思ひあへなくに」は「ふんぎりがつかないのです」という意味。
「月の光は清くこうこうと輝いていますが、気持ちに迷いがあってなかなかふんぎりがつきません」という歌である。
0671 月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに
(月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念)
月読は前歌参照。「思ひあへなくに」は「ふんぎりがつかないのです」という意味。
「月の光は清くこうこうと輝いていますが、気持ちに迷いがあってなかなかふんぎりがつきません」という歌である。
頭注に「安倍朝臣蟲麻呂(あべのあそみむしまろ)の歌」とある。蟲麻呂は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)といとこ同士。667番歌左注参照。
0672 しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
(倭文手纒 數二毛不有 壽持 奈何幾許 吾戀渡)
安倍朝臣蟲麻呂。
「しつたまき」は現代風にいえば安物の腕輪。なので「しつたまき数にもあらぬ」は「不肖の私ごとき」である。「ここだく」は「しきりに」ないし「一生懸命に」という意味。
「安物の腕輪のような不肖の私ごとき者がなにゆえ熱心にあなたに恋焦がれるのでしょう」という歌である。
頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌二首」とある。
0673 まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも
(真十鏡 磨師心乎 縦者 後尓雖云 驗将在八方)
「まそ鏡」は枕詞。結句の「験(しるし)あらめやも」は410番歌の結句と全く同じ。「甲斐がない」という意味である。
「滅多なことでは男の口車に乗せられまいと心を研ぎ澄ましているのに、ひとたび許してしまって後で後悔することになっては甲斐がない」という歌である。
0672 しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
(倭文手纒 數二毛不有 壽持 奈何幾許 吾戀渡)
安倍朝臣蟲麻呂。
「しつたまき」は現代風にいえば安物の腕輪。なので「しつたまき数にもあらぬ」は「不肖の私ごとき」である。「ここだく」は「しきりに」ないし「一生懸命に」という意味。
「安物の腕輪のような不肖の私ごとき者がなにゆえ熱心にあなたに恋焦がれるのでしょう」という歌である。
頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌二首」とある。
0673 まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも
(真十鏡 磨師心乎 縦者 後尓雖云 驗将在八方)
「まそ鏡」は枕詞。結句の「験(しるし)あらめやも」は410番歌の結句と全く同じ。「甲斐がない」という意味である。
「滅多なことでは男の口車に乗せられまいと心を研ぎ澄ましているのに、ひとたび許してしまって後で後悔することになっては甲斐がない」という歌である。
0674 真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔にはありといへ
(真玉付 彼此兼手 言齒五十戸<常> 相而後社 悔二破有跡五十戸)
「真玉つく」は枕詞。「をちこち」は「彼方と此方」で「この先も今もずっと」という意味。「兼ねて」は「たばねて」。結句の「悔にはありといへ」は「後悔するというではありませんか」である。
「男はこれから先もずっと面倒を見ると口ではいいますが、後悔先に立たずというではありませんか」という歌である。
(2013年8月20日記、2017年11月20日記)
![イメージ 1]()
(真玉付 彼此兼手 言齒五十戸<常> 相而後社 悔二破有跡五十戸)
「真玉つく」は枕詞。「をちこち」は「彼方と此方」で「この先も今もずっと」という意味。「兼ねて」は「たばねて」。結句の「悔にはありといへ」は「後悔するというではありませんか」である。
「男はこれから先もずっと面倒を見ると口ではいいますが、後悔先に立たずというではありませんか」という歌である。
(2013年8月20日記、2017年11月20日記)